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【連載】 引きこもりと孤独力(3)「老後2000万円」は机上の空論 金融庁の報告書で「老後2000万円不足」と指摘されたことが論議を呼んでいるという。この連載から少々脱線するが、このことについて一言、私の考えを述べておくことにしたい。 まず、もとの報告書の中身だが、冷静に考えると、とくに目新しいことは言っていないという指摘がある。要するに、報告書自体は、 夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20〜30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円〜2000万円になる。と指摘しているだけであり、95歳まで長生きした場合、毎月5万円の赤字なら年間で60万円の赤字、30年で60×30年=1800万円というような大ざっぱな計算から2000万円という数字が出てきて一人歩きを始めたもののようである。 この「老後2000万円不足」というのは、定年退職後の年金生活を始めた私にとってはまさに現実的な数字であるが、就職したばかりの20歳代、30歳代の人たちが、定年退職後の目安として設定する数値としては全く根拠が無く、机上の空論にならざるを得ない。もちろん、政策立案という観点から言えば20年後、30年後といった中長期的な財政の道筋を示すことは必要であろうが、個々人の人生を考える上では、「老後資金はこれだけあれば安心」というような数値を示すことはナンセンスであると言わざるを得ない。 その理由は2つある。
この先何十年も低金利が続くとは思えないが、高金利になれば当然物価も上がるので、数字の上では目標貯蓄額を達成しても、物価上昇で大幅に目減りして安定した老後は決して保障されないだろう。 次の2.は、私の持論、「お金とは何か?」に基づくものである(2013年3月30日の日記ほか参照)。要するに、高齢者がなぜ老後資金を必要とするのかと言えば、その大部分は、お金を払って、他者からサービスを受ける必要があるからに他ならない。「他者からのサービス」というのは直接的な介護、介助サービスにとどまるものではない。外出をする時にはタクシーやバス、電車の運転手のお世話になる。日々の食事は、農水産物の生産者、加工業者、さらに、調理や販売業者のお世話になる。そして病気になれば医療関係者のお世話になる。それぞれの職種の人たちの人件費は、その時代の需給関係や物価水準で決まる。なので、いまの30歳代の人たちが、老後の資金に備えて、横並びに
けっきょく、何十年も先の時代について「いくらあれば安心」というような議論は無意味である。もともと年金という仕組自体がそうであるが、今の年金生活者の生活を支えているのは今の時代の若者であって、過去の貯蓄のおかげではない。一部の高齢者が過去の貯蓄によって贅沢な生活をしているとしたらそれは、限られた資源(食物、土地、建物、道具など)のうちの一部を、若い世代よりも先に占有しているからに他ならない。 30年後の高齢者の生活は、30年後の世界に生きている人たちによって支えられるのであり、少子化でそれが難しいのであれば、高齢者どうしの相互扶助システムをしっかり構築していくほかはない。繰り返し言うが、みんなが2000万円を貯めようとしても、1億円を貯めようとしても、あるいはどこかの大富豪が高齢者全員に1人1億円ずつをプレゼントしたとしても、30年後の高齢者の生活はどれも同じ。単に物価水準が変わるだけのことである。 次回に続く。 |