じぶん更新日記1997年12月分Y.Hasegawa |
【思ったこと】
教室の忘年会があったため、本日は執筆休止。 |
【ちょっと思ったこと】
971226(金) [生活]忘年会のため、写真日記に 今日は御用納め。26日というのは、週休2日制になってから最も早い御用納めになるのではないかと思う。きょうは、教室の忘年会があった。私は、お酒を飲むとだんだん眠くなって、口数が少なくなり、非常にツマラナイ人間になる(←酒を飲まなくてもツナラナイ)。思考力が低下して日記を書くのも難しい。 ということで、きょうは、写真を3枚掲載するだけとしたい。いずれも期間限定公開です。 |
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】 |
【夫婦の会話】
忘年会から帰ってくると、ビデオの電源が入っている。
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【親子の会話】 |
【新聞記事のメモ】
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【思ったこと】
971225(木) [一般]「わかりやすい」理屈とは何か 「理屈」と何だろうか。意味で調べてみると、「すじみち、わけ、道理、理論」などの意味がかかげられている。しかし、現実の理屈とは、そんなに筋の通ったものではなさそうだ。 『新明解国語辞典(第五版)』は、さすがに的確な意味をかかげている。 これらの意味は、理屈が絶対的な真理であるとの前提にたっていない。大多数が当然とする考え方は、本質的に誤りであったとしても理屈になりうる。また、世の中には、一般性の高い「理屈」がいくつか考案されていて、論争で不利な立場に立たされた人は、それらを活用してなんとか優位をとりもどそうとする。会議での議論・論争は、学術的な話題を別にすれば(←もっともこれもあやしいものだが)、必ずしも真実を主張する場にはならない。自分の主張にあった「理屈」を持ち出して支持を集め、合意形成をはかる場であると言ってもよさそうだ。 21日に行われた名護市の市民投票とその後の反応は、理屈という意味を考える格好の機会を与えてくれている。ここで多数派を形成しそうな理屈と言えば、 何はともあれ、過半数が反対した以上、その結果を尊重すべきである。この理屈は民主主義の根幹にかかわる理屈であるため、そう簡単には反撃できない。では、海上基地建設を推進する人々がたてた理屈にはどういうものがあっただろうか。なお、以下に掲げるのは、私が要約・一般化した理屈であって、特定個人の発言をそのまま引用したものではない。
上記の事例に限らず、多数決や投票でものごとを決する時にも、かならず相反する「一般性の高い理屈」が火花を散らす。多数派の理屈は「多数決で決まったことには従うべきだ」。これに対する少数派の理屈は「こういう重大な問題は話し合いによって全員一致の合意をめざすべきだ」、「少数意見も尊重すべきだ」などなど。 数学的な証明や実験によって真偽が決せられない議論の場は、けっきょくのところ、自分の主張を、それに合致する理屈(=世の多くの人が当然とする考え方)にいかにこじつけるか、その話術を競う場であるのかもしれない。大学のような「真理を追究する場」であっても、高額の予算獲得とか学部設置のような問題となると、理詰めの議論よりも「わかりやすい理屈」の活用に徹したほうが功を奏することになる。 で、結論として「わかりやすい理屈」とは何かということになるが、人間の生命の基本にかかわる主張は第一義的に、わかりやすい理屈になるだろう。次いで、文化、宗教、時代的背景に根ざした理屈。また、政治家がよく利用するのが、国民の多くが注目するような事件。例えば神戸の小学生殺害事件をひきあいに出して道徳教育の強化を主張するとか、(外国で)テロ事件の直後に政治犯の取締強化を主張するといったもの。各自の主張の根底には、それを支える利害がある。自分の利害に反する理屈に説得される人は滅多にいない。説得される代わりに、新しい理屈を探そうと頑張るだけだ。 |
【ちょっと思ったこと】 |
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】
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【夫婦の会話】
うーむ。いくら思いだそうとしても思い出せない。妻の聞き間違いではないだろうか。 |
【親子の会話】 |
【新聞記事のメモ】
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【思ったこと】
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【ちょっと思ったこと】
971224(水) [生活]クリスマス・イブ きょうはクリスマス・イブである。我が家はキリスト教とは何の関係もないが、きわめて日本的なクリスマスのお祝い、つまり、クリスマスツリー、クリスマスケーキ、クリスマスプレゼントの3点セットで、日本的なクリスマスのムードを楽んだ。 そういえば、ここの町内会に属する子ども会でもクリスマスプレゼントの図書券を配っていた。水神祭や「だんじり祭」だけだとクリスチャンに不公平になるとの配慮だろうか。ここでまた思い出話になってしまうが、学生時代に下宿していた家は敬虔なカトリックの信者だった。クリスマスイブの晩は一家揃って夜中に教会まで礼拝に行っていたように記憶している。いっぽう、その頃家庭教師に行っていた家は仏教系の某団体の集会所になっていた。こちらのほうはクリスマスのお祝いは一切やっていなかった。無宗教気味の我が家は、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、初詣に行く予定だ。まあ、家族それぞれの楽しみ方があってよいのだろう。 さて、今年のクリスマス・イブは、妻が用意したチーズ・フォンデュとローストチキン、子どもたちが作ったイチゴとホイップクリームのケーキなど。その時の会話は、下欄ご参照。 クリスマス・プレゼントのほうは12月11日の日記に書いた通り、息子がプレイステーション本体(のみ)、娘はリサイクル品を修理したバイオリン。妻がこれ以外にも本をいっぱい買ってきた模様である。これでは二人分合わせて4万円以上使ったことになる。同僚のA氏の家は娘さんが3人おられるが、平等になるよう「てんしっち」を1個ずつプレゼントするそうだ。私自身は「行動→結果」という行動随伴性を人間生活の基本にすえる立場にあるので、高価なプレゼントを与えることには、あまり賛成できない。てんしっちぐらいが妥当ではないかと思うのだが、妻は若干異なる考えをもっているようだ。そういえば、きょう、娘が友達から「サンタは親」説を仕入れてきたようだが、どういう反応を示すだろうか。 |
【新しく知ったこと/リンク情報】
電話回線からのEメイル送受信とFTP転送に成功。 |
【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】
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【夫婦の会話】
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【親子の会話】 |
【新聞記事のメモ】
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【思ったこと】
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【ちょっと思ったこと】
971223(火) [一般]ピアノを弾くということ きょうは午後から息子のピアノの先生宅で「クリスマス会」があった。会場を借りる正式な発表会は2年に1度であるため、これに代えたミニ発表会のようなものだ。 私は子供の頃、2年ほどピアノを習っていたことがある。こういう発表会に行くと、昔練習したブルグミュラーの練習曲などが登場してきて、たいへん懐かしく思う。 私がピアノを習っていた頃は「電子オルガン」だけで練習していたものだが、最近では、各社から7-8万円台でけっこう上等な「デジタルピアノ」類が発売されており、やりがいがあるというものだ。じつは、このページにある「演奏」なども、数年前に我が家で電子ピアノを買ってから、私が子供以上に真っ先に熱中して練習した「成果」である。 我が家の「デジタルピアノ」は某電卓・時計メーカー製のもので、88鍵、録音機能、26曲の自動演奏機能、パソコンと接続することによるmidi音楽再生機能などがついている。録音機能は練習にも役立つし、たとえば伴奏だけを先に入れておいて、録音再生に合わせて右手だけで弾くとか、自動演奏に合わせて特定の部分だけを自分で弾いてみるというようなこともできる。要するに、初心者でも、名曲の演奏に参加できるという点で、いままでにない楽しみ方が可能になってきたわけだ。 Web日記作者の中にもピアノを弾く方は多いと思う。日記は書いていないが美人のピアノの先生もおられる。男性に限れば、立花氏、「みそちん」氏じゃなかった「みそちん」の飼い主の田沼氏などが、日記や自己紹介ページにピアノのことを書いておられた。 さまざまな演奏ソフトが登場した現在、音を出すだけならばピアノを練習する必要はない。アマチュアの場合、おそらく、自分の指を動かすこととそれに対応してリアルタイムでメロディが流れるという対応関係、つまり行動随伴性が意味があるから自分で弾くのである。ボケの防止にも効果がありそうだ。来年末までには「乙女の祈り」と「エリーゼのために」を最後までミスなしで弾けるようになりたいものだが、運動能力の低下を乗り越えられるかどうか自信はない。 |
【新しく知ったこと/リンク情報】
ノートパソコンを使って、ダイヤルアップで初めてサーバにつなぐ。自力で達成! 9600固定だが、転送の遅さを痛感。また、電話回線の受け口が混んでいるせいか、午後からは接続不可能となる。 |
【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】 |
【夫婦の会話】
妻の差し出し分を除き、年賀状すべて完成。妻は「夫に命令されて書くのはイヤだ」との理由で、読書(マンガ?)にふけっている。 |
【親子の会話】 |
【新聞記事のメモ】
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【思ったこと】
971222(月) [一般]「ちびくろ・さんぼ」その後 きょうは冬至。今年もあと10日余りを残すばかりとなってしまった。今年のうちにぜひ書いておきたいことは山ほどあるが、年内に片づけるべき仕事もそれ以上に山ほどあり、また、25日の修論提出締め切りを控えて、院生の日記....じゃなかった院生の修論の下書きにも赤ペンを入れなければならない。隠居でもしない限り、ゆったりとした気分で何かに没頭するなどということは所詮無理な話かもしれない。 さて、年末になってきたこともあり、不定期ながら、今年とりあげた話題の中で、結末がはっきりしていない問題についてその後の経過報告をしていきたいと思う。本日は「ちびくろサンボ」問題。ちょうど、(1152)いまどきの母日記さんが12/20の日記で「ちびくろサンボとほっとけーき」のことを書かれていた。2カ月ほど前のことになるが、ぼくのミステリな読書日記さんも10/20から10/22頃にとりあげておられる。日記界では結構ホットな話題なのかもしれない。 このことについて私自身は7月13日の日記でそれなりの見解を示した。きっかけは、小学館の『ママお話きかせて』という本の中の「チビクロ」が、いつの間にか『悪魔のつくった橋』に置き換わってしまったことにあった。この時の私の見解はおおむね次のようなものであった。
さて、この日記を書いた後のできごとを簡単にまとめると次のようになる。
なお、守一雄氏は、上記の出版問題とは別に、日本教育心理学会の機関誌「教育心理学研究」への論文掲載をめぐって、学会の体質を批判しておられる。これは、「日本の子どもたちが『ちびくろサンボ』をその差別性のために面白いと考えているのではないことを実証した」守氏の論文を教育心理学会編集委員会が機関誌への掲載を「不採択」としたこと、そのさいの審査内容への疑問に対して明解な回答を得られなかったことによるものである。学会誌への論文掲載の審査のあり方を考える資料として必読に値するものだ。 私の手元にも、北大路書房発行の『チビクロさんぽ』がある。岩波の子どもの本『ちびくろ・さんぼ』と比較すると、ざっと次のような違いがある。岩波のほうは、登場人物が「ちびくろ・さんぼ」、お父さんの「じゃんぼ」、おかあさんが「まんぼ」となっており、第二話の、「さんぼ」が鷲の背中に乗って悪い猿たちにさらわれた弟たちを救う話も収録されている。改作された森まりも氏の本では、登場者はすべて黒い犬の家族になっており、名前は「チビクロ」、「パパクロ」、「ママクロ」と変えられている。第二話は掲載されていない。もともと「ちびくろ」の面白さは、トラがバターになるところにある。第二話もそれなりに楽しいとは思うが、読み手の記憶にはあまり残らないレベルの内容かと思う。 「ちびくろ」問題はどうやら年を越しそうである。いっぽうでは先日「日記猿人界」でちょっと話題になった「支那」呼称問題とも関係があり、また、つい先日のポケモン騒動に発した放送自粛問題とも大いに関係がありそうだ。各方面で活発な議論がまきあがることを期待していきたいと思う。 <本日の執筆量4560バイト> |
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【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】
息子が通知表をもらってきた。一学期よりは「5」が増えたようだが、逆に体育が「3」になった。思い返してみると、私自身、体育は「3」か「4」ばかりで、自慢ではないが小学校から高校までを通して1度たりとも「5」をもらったことがない。残念ながら、だんだん私に似てきたようだ。もっとも、どうせ私に似るならば、算数と理科も頑張ってもらいたいものだなあ。おっと、過度の期待は子供の成長を歪めるっか。 |
【夫婦の会話】
朝7時半頃。妻はまだ寝ている。
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【親子の会話】 |
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【思ったこと】
971221(日) [一般]岡山について思うこと 一昨日の日記(12/18)でよろずやさんが岡山に来られたことを書いた。せっかく来られるのだからどこかご案内できる場所はないものかと考えつつ、結局、名案が浮かばなかった。今日の日記では、このことを含めて、岡山市の特徴や住み易さについて、考えてみたいと思う。 まず、初めて岡山に来られた方が戸惑うのは、東口、西口という名称。東海道・山陽新幹線は、おおむね東西方向に走っている。その直角方向に出入り口がある以上、なぜ北口、南口にならないのかという疑問が出てもおかしくない。で、実際はどうかと言えば、ちょうど、岡山市を通る時に、「/」のように山陽線が北東から南西方向に斜めに走るため、その右側を東口、左側を西口と呼んでいることが混乱の原因になっている。 次に、0時から正午までと、正午から24時までのあいだで、一方通行の方向が逆になる道路があること、西川の両岸の道路の一方通行路が途中で左右逆方向にねじれていることなど、初めて市内に乗り入れた人には戸惑うような道路がある。前者のほうは通勤の車両に合わせた措置、後者は道路の幅を考慮した措置であったと思うが、初めて来た人は迷うだろう。 次に、これはかなりローカルな話になるが、岡山大までバスに乗って来る人が迷うことがある。従来、岡山大までは、東口から妙善寺行きのバスに乗って岡大東門か岡大西門で降りるのがもっとも近い路線であるとされていた。ところが、奇妙なことに、岡大西門から岡山駅方面、津高営業所行きのバスに乗って寝過ごしていると、岡山駅をすぎて15分ぐらいたってから、岡大入口という停留所を通過する。岡大西門と岡大入り口は数百メートルしか離れていないので、いったいどういう道を走っているのだろうかと混乱に陥る。じつはこのバスは、数字の「6」のような路線を走っており、「6」の頂点が津高営業所、交点付近が岡大、数字の右下のあたりに岡山駅が位置しているのである。なお最近になって、西口から岡大方面へ直進するバスが運行されるようになった。17:30頃までの時間帯ならば、こちらを利用したほうが遙かに速く到達できる。 岡山でよく使われる交通手段に自転車がある。これについてはよろずやさんも、 岡山は,自転車が異常に多い街である.ここほどウジャウジャ走りまわっている街は見たことがない.平坦で道が広いこともあるだろうが,道路の自転車レーンや駐輪場の充実など行政の施策も効果を発揮しているように感じた.と指摘されていた。確か、岡大生の自転車通学の比率は国立大では全国一であるという調査結果もあるらしい。そういえば、長崎市に居た頃は自転車なるものを見かけたことが一度もなかった。もちろん自転車屋もないし、デパートでも子供用の三輪車ぐらいしか置いていなかったように記憶している。 次に物価。これはごく普通の大都市なみではないかと思う。以前は北九州あたりに比べるとガソリンがリットルあたり10-20円も高い時があったが、私がよく利用しているスタンドの12月中旬現在の価格はリットルあたり97円、灯油は持ち帰りで666円(安いところで648円あり)となっている。そのほか牛乳1リットルを100円程度で売る店があるのは、ごく一部の地域かもしれないが安いほうではないかと思う。 文化面では、シンフォニーホール、美術館などが揃っていると思う。ただし、私自身は殆ど利用していない。どっかで宣伝していたが、テレビのチャンネル数がVHFとUHF合わせて7局あるというのは、多い方かと思う。 私の好きな動物園、植物園に関しては、同じ規模の地方都市の中では不十分であるように思う。殿様が経営する動物園として有名な「池田動物園」と、桜の名所の「半田山植物園」は、いずれも山の斜面にあって規模が小さい。特に、植物園のほうは、一二年生の草花が殆ど見られないところが残念だ。 郊外の環境については、また機会を改めて書くことにするが、、冬は恩原や大山方面へのスキー、夏は瀬戸内海あるいは日本海方面への海水浴、春や秋は、中国山地方面へのキャンプなど、たいがいの所に数時間以内で行くことができる点は、アウトドア志向の者にとってはありがたいことだ。 <本日の執筆量3969バイト> |
【ちょっと思ったこと】 |
【新しく知ったこと/リンク情報】 |
関係者の方は、ボタンを押す前に、こちらをご覧ください。関係者とは、“面接室”に出入りする方のことです。 |
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