【思ったこと】
980210(火) [一般]私が清水選手の金メダル獲得を喜ぶ理由 わっはっは。今日はとっても機嫌がよいぞ。清水選手が金メダルを獲得したからじゃ。で、なぜ機嫌がよいのか。別に日本の選手が金メダルをとったからではない。清水選手の身長が私と同じ161cmだったからなのじゃ。 思えば、これまでずいぶんと「身長差別」を受けてきた。これからは、「長谷川さんて、ずいぶん小柄だけれど何センチですか」と聞かれたら、「あっ、161cmです。あの清水選手と同じなんですよ。」と胸を張って答えることができる。ざまーみろ。大男どもめ。 (ここからはいつもの文体で) 私の身長は161cmである。はっきりとした記憶はないが、小学校の頃は平均よりやや高いぐらいのところを推移したが、高校入学時で158cmぐらい、その後殆ど伸びずに現在の値を保っている。 小学校の頃は特に背が高くなりたいと思ったことはなかった。ピーターパンとかポパイなど、人気者はみんな小柄であった。大男よりも、小柄で機敏に振る舞う少年のほうがむしろカッコよいと思っていたのである。 中学に入った頃から、背が伸びないことを気にするようになった。同じクラスに仲のよい女の子(←ガールフレンドと呼ぶにはちと早すぎるだろう)がいたが、その人の身長が私より7-8cm高かった。そのうち追い越すと思っていたがちっとも差が縮まらなかった。 高校に入ると、さらに劣等感を感じるようになった。私はもともと陸上が得意で、50mは6秒台、ハードル競走でも学年で2位の記録をとったことがあったのだが、学年がすすむにつれて記録が伸びなくなくなってきた。ハードルなどは、それ自体が高くなり、足の短い私はそれを引っかけながらヨタヨタと走るハメになった。その他、バレーボールのネットも、バスケットもみな高くなって、だんだんと苦手意識が強まるようになった。 高校の時に受けた最大の屈辱は、体育でフォークダンスをやった時である。私の高校は、1クラス男子が28人女子が22人ぐらいの構成だったため、私を含めて背の低いほうから3人は、女子の輪のほうに入れさせられ、男子を相手に踊らされたのであった。体育祭の入場の時も、なぜか背の高いほうから行進することになっており、私は行進の最後尾を金魚のフンのようにくっついて歩いた。 負けず嫌いの私は、身長差別の屈辱を勉強で取り戻そうと必死に頑張った。何とか某国立大に合格したものの、4回生の時にふたたび身長差別を感じるようになった。当時は、確か163cm以上でないとパイロットになれなかった。入るつもりはなかったが、自衛隊なんかも身長差別をしていたと思う(最近は、どうなっているのだろうか)。 数日前のシカゴあたふた+CD制作さんの日記[詳細はこちら]に紹介されていたように“人種や性別やら差別にはうるさいアメリカでも問題とされていないのが「身長差別」だという記事”はまことに的を射た指摘であると思う。 日本でも、「三高」という言葉に表れているように「身長が高い」ことをよしとする風潮は依然根強いように思う。ある高貴なお方は確か奥様のほうが背が高かったと思うが、まだまだ「背の高い男性」を理想とする女性は多い。女性の男性観を変えることは不可能だとしても、せめて学校教育や就職のさいの身長差別の問題だけは、これを機会に考えてもらいたいと思う。 <追記>今回は背が低い私の立場から書かせてもらったが、背の高い人に対する差別の問題も同様に考えていく必要があるだろう。知り合いの女性は身長が175cmほどあるが、子供の時から「のっぽ」と言われ、足の骨を縮める手術をしてもらおうと思ったことがあると言っていた。 |
【ちょっと思ったこと】 |
【新しく知ったこと】
|
【リンク情報】
|
【生活記録】
|
【家族の出来事】
|
【スクラップブック(翌日朝まで)】
※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
|