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昨日の日記

7月10日(金)

【思ったこと】
980710(金)[日記]Web日記:この機会に考えを述べる(中編):プライバシーや匿名性について
 昨日の日記をアップしたあと、新作日記リストを見てビックリ。何と、複数の日記作者のところに同一のアンケートが送りつけられており、ななゑさんの家には直接取材に取材があったのだという。また、これはあくまで噂の範疇であるが、アンケートを送ってきた記者さんは、じつは日記猿人登録の日記を書いておられる方らしい。
 私の記憶が正しければ、その方が本年1月下旬に日記を登録された頃に、数回拝見したことがあった。最近はどうされているのかと思ったが、人違いで無ければ、1月は1票、2月は18票、3月は3票、4月は0票、5月は5票、6月は23票...と、地道に得票されていることが分かった。
 さて、「回答」に代わる日記は今日で終わりにする予定であったが、時間の関係で本日は1件のみ、プライバシー、匿名について。
プライバシー、匿名について
  • この話題は、日記猿人界でもしばしば話題になる。私個人としては、執筆者の同一性が保たれていて、かつ責任ある発言をされている限りにおいては、本名を隠した日記も、実名の日記もまったく同等のものであろうと考えている。
  • 私が日記作者名を実名にしているのは、特別にペンネームを使う必要を感じないから。逆に、掲示板の書き込みでは「はせぴぃ」、「栗鼠蔵」、「自粛人(←悪のりしたあとで使う)」などのハンドル名を使っているけれど、これも別段隠すつもりはない。もし実名を使っていることで何らかの誹謗中傷などの被害を受けた時はそれなりにたたかう準備はしているけれど、幸い今のところ、そういう被害には遭っていない。
  • けっきょく、日記作者名を実名とするかどうかは、日記の内容にかかってくるのだろう。日記の内容が私生活のリアルな描写中心である場合は、周囲の人間のプライバシーを損ねるおそれもあるし、また周囲の人々に読まれてしまうことで自分自身が被害を受けることもある。不特定多数との関係というより、周囲の人々との関係で匿名性を高める必要が出てくるのはやむを得ないことだ。
  • 読み手の立場から言えば、執筆者の本名、勤務先の詳細、住所などは、少なくとも私自身にとってはどうでもよいことである。聞いたところですぐ忘れてしまうだろう。オフミでお会いすれば、それなりに相手の方の個人情報を知る可能性が高まるが、それとて、大まかな職種とか年齢ぐらいしか記憶に残らない。
  • 発言者が特定できないようなWeb掲示板では、時たま、開設者や他の日記書きへの嫌がらせを目的としたような書き込みを見かけることがある。他の人から批判させると、別の名前を語って自分自身が支持されているような印象を与えようとする。あげくのはては、他者からの批判に筋道たててまともに回答することができずにそそくさと退散する...。こういう方はおそらく、現実の社会生活では誰からも相手にしてもらえない気の毒な方なのだろう。個人的には好きではないし、アクセスすることも無いけれど、社会的に適応できない人々たちの癒しの場としては、それなりに機能しているかもしれない。


【ちょっと思ったこと】
  • 7/11の朝日新聞によると、信州大学医学部は10日、来年度の入試から二次試験を面接と小論文だけで合格させる枠を縮小し、筆記試験枠を20人から30人に増やすことを明らかにしたという。「人間性が重要」として筆記試験免除枠で合格させていた学生のほうが留年が多いなど成績が劣るケースが目立ったためだという。
    近年、医学部や歯学部でも推薦入試とか面接試験が行われるところが多いと聞いているが、そもそも何をもって「人間性」とするのか、面接とか小論文でそういうものが測れるのかが疑わしいところだ。またその根底には「人間はみな平等だから、何かが優れていれば別の面で劣っているはずだ」という変な公正仮説があって、「それゆえ、筆記試験成績優秀者は人間性が劣っているに違いない」という妙な主張が受け入れられたりする。しかし、筆記試験の成績優秀者には少なくとも、「困難を乗り越えられるねばり強い人」、「特定の課題を達成するためにきっちりと努力できる人」が含まれやすいことは確かだし、逆に、成績の悪い人の中には「ちょっと辛いことがあるとすぐくじける人」が含まれているかもしれない。面接官の印象や、小論文での「演技」に対する評価で、そんなに望ましい人物が選ばれるとはとうてい思えない。演劇部で訓練された者か、小論文の特訓を受けた者が合格するのがオチ(←いや、「ウカリ」)だ。ヘタをすると、縁故入学、裏口入学の温床にもなりかねない。
    ではどうすればよいのかということだが、人間性のようなものは、むしろ入学後に自然に振り分けられ、たとえば著しく協調性にかけたり思いやりにかける学生は臨床には進めないような教育システムを作っていくことのほうが確実であろうかと思う。
    また最終的には、医師の人間性は患者が選ぶべきものである。悪徳医師は淘汰され破産してしまっても構わない。医者になれば必ず儲かるような仕組みを変えることのほうが重要かと思う。インターネット上などで、医師や医療機関に対する患者の立場からの評価活動が活発になることも大切だろう。
【新しく知ったこと】
【リンク情報】
【生活記録】
【家族の出来事】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】