【思ったこと】
980714(火)[生活]我が家の個人消費動向から減税、景気対策、福祉問題を考える 参院選挙では多くの政党が減税を公約に掲げていたけれど、そもそも何で「減税」論議が出てきたのだろうか。国民の多くが重税感に苦しみ身動きがとれない状況にあるという話はあまり聞かないし、世論調査でもそういう声が強いようには思えない。要するに本当の狙いは、少しでも国民のふところを豊かにしておいて、個人消費を増やし、これをもって景気の回復をはかるというところにあるらしい。 しかし、我が家の生活をみるかぎりでは、減税によって何万円かの手取り収入が増えたからといって、これはぜひと思うような買い物は浮かばない。というより物があふれている。 妻の検閲があるのであまり具体的なことは書けないけれど、室内でラジオ体操などしたら、手を振り回すたびに何かにぶつかる。夜中に室内を歩き回ればドサッドサッと積み重ねた物が落ちてくる。決して金持ちというわけではなくて、大型ゴミの日に拾ってきた本棚とかテーブルなどもたくさんあるわけだが、とにかくこれ以上の物は買えない。アパート暮らしをしている限りは、何かを捨てなければ新しい物を買うことはできない実情だ。子どもたちのベッドとか、ピアノとか、洗濯物の乾燥機とか、あるいは私の書斎でもあれば、そこに置く机とかインターネット関連の設備とか、スペースさえあればいろいろ欲しいものはあるのだけれど、引っ越しでもしない限り、それらを購入したところで置き場所が無いのは目に見えている。 車だって、理想を言えばアウトドア・レジャー用のRV車と妻の買い物用に2台欲しいが、そのためには新たに駐車場契約が必要。駐車料金とか、自動車税とか、自賠責保険代まで払って買おうという気にもならない。 では郊外に家でも建てたらどうか。そういう気持ちはあるのだが、そのために月々ローンを支払って身動きのとれない生活を送るのはイヤだ。それに、個人的には、持ち家よりはライフスタイルに合わせて家を借り換えていったほうが便利ではないかという考えもある。いまのアパートは子供が大学に入るまでは狭苦しいけれど、夫婦だけで暮らすスペースとしてはそれほど不自由ではないし、大学の研究室まで1300メートルしか離れていないという魅力は捨てがたいところがある。少子化がすすめばどうせ空き家が増えるのだから、慌てて買う必要も無いなどという考えも加わって先延ばし状態になっている。 我が家の場合、アパート暮らしとか、アパートが職場に近いといった特殊な事情があるので一般化はできないと思うけれど、もし政治家が、「減税をすればモノが売れる」と単純に考えているようだったら、かなり疑問であると言わざるを得ない。 もともと、人間の生きがいの基本は、「行動とその結果」、つまり外界に能動的に働きかけて、相応の結果(それも「収穫」とか「完成」「達成」といった行動に内在する結果)を得ることにあると私は思う。生命維持に最低限必要な衣食住関連品を除けば、モノというのはほんらい「行動とその結果」を多様に実現するための手段であって目的ではない。「行動」が保証されない状態でモノばかり手に入っても何の喜びもない。 たとえば、もしあなたが懲役刑になって、「食物は何でも好きなだけ与えられるが狭い部屋から出られない」刑務所と、「自分で畑を耕して作物を作る自由はあるが、飢死防止のための栄養剤以外には一切食料が与えられない」刑務所のいずれかを選べるとしたらどちらを選ぶだろうか。私なら間違いなく後者を選ぶ。 この種の問題は、高齢者の福祉政策についても言える。医療費を無料にするとか、特別養護ホームをたくさん建てるというだけでは真の福祉とは言えない。肝心なことは、お年寄りが自分のできる範囲で、自由に環境に働きかけ、それに応じた結果を得ることを保証する環境づくりをすることだと思う。 で、もとの話に戻るが、景気対策として何が有効かという問題は、経済学のハイレベルの知識を必要とする部分もあり、私には分からない。選挙では「分かりやすい政策」が支持されたと思うが、「分かりやすい」ことが最良の景気対策であるという保証もない。もっとも、短期的にはどうあれ、いずれ「消費の拡大」をバネにした景気維持策は破たんするように思える。GDPなどに現れる見かけ上の豊かさではなくて、「行動とその結果」が保証される地道な生活環境づくりが求められるようになることは必至であろう。 |
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