じぶん更新日記1999年5月6日開設Y.Hasegawa |
文法経三学部2号館南側にあるプラタナス?の紅葉。昨年は毛虫がいっぱい付いて、夏にはマル禿げとなり秋に2度目の新緑の芽が出るという始末。今年は防除を徹底したせいか、見事な紅葉となった。 |
【思ったこと】 991202(木)[一般]テレビで報道してもらいたいこと(1)今更言うまでもないがWeb日記とテレビの違いについて 11月29日の日記で、熊本市の小学2年生の男児が誘拐され、その後無事に家に戻ったという事件と、その少し前に起こった文京区の幼女殺害事件に関して書いたところ、まついさんから、こちらの資料にあるようなご指摘をいただいた。2つの事件に関するこれらのやりとりは、報道についての非常に本質的な問題を含んでいると思うので、単なる「日記の感想」ではなく日記本文の連載として、いくつかの問題を考えていきたいと思う。私がここで述べたいことを列挙すれば
と書いたところで時間が無くなってきたので、今回は、上記の1.についてのみ考えを述べたいと思う。 上にも書いたように、テレビでは、限られた時間の中で局側が定めた優先順位に従って、一方向的に、限られた時間の中で情報が伝達されていく。新聞記事でも紙面の構成や見出しの大きさという点では一方向的であるけれど、どこをどれだけの時間をかけて読むかということは読者に委ねられている。Web日記は、特定の日記だけに限ってしまえば内容に偏りはあるが、どの日記を読むかどれを読まないかは完全に読者の自由。ケーブルテレビが普及して誰もが何百ものチャンネルを選択できる時代になるならともかく、現状では、地上波は岡山の場合8局だけ、視聴者側が情報を入手する際の選択の幅はWeb日記に比べると著しく制限されている。それだけに公平さが強く求められるわけだ。 いっぽう個人が発信するWeb日記はいくらでも「チャンネル」を増やすことが可能。むしろ多様な価値観をストレートに発信するような個性的な内容のほうが好まれる。今回の事件に関して言えば、報道機関の全体的な姿勢を論じる日記があってもよいし、ワイドショーの問題点と思われる部分だけを取り上げて批判する日記があってもよい。また、事件からの連想として「お受験」問題を一般的に論じる日記があったとしてもいっこうに構わない。 まついさんのご指摘の中に、「お受験」という側面ばかりを事件の要因として追求する報道と、そういう報道ばかりを取り上げる日記の区別がつきません。という記述があったが、私自身が、日記の中でワイドショーの問題点だけを拾い上げて論じたとしても、報道と日記の区別がつかなくなることは、決してありえないと思う。もっとも、ワイドショーが報道にあたるのかどうかについては別に考えていく必要がある。ワイドショーが「癒し番組」としての役割を重視するのであれば報道番組と同じ優先順位でニュースをとりあげる必要はないし、その取り上げ方にゆがみがあったからといって直ちに批判されるべきものでもないかもしれない。但し、芸能界の騒動ならともかく、現実に起こった刑事事件の被害者に言及するような取材が妥当な話題になりうるかどうかは考えていく必要がある。 ちなみに、私自身の日記では、今回に限らず、問題点があると感じた部分だけをピックアップして論じることが多い。執筆時間の上からもこれはやむを得ないことだ。話題にとりあげないことがあるとしたら、それは問題点として受け止めていないか、その問題に無関心であるかいずれか。文京区の事件に関連して11/29に取り上げた新聞テレビ欄の文言の紹介の中にNHKが1つも含まれていないのは、NHKの報道が私が直接見聞きした範囲でおおむね妥当であったと考えているからであるが、だからといって、「ワイドショーは問題だが、NHKは妥当だ」と述べる必要はなかろう。単に「ワイドショーには問題が多い」というところだけを指摘すればそれでよかろう。 余談だが、「問題点を指摘するだけでよい」というスタンスはあくまでWeb日記執筆に限ってのお話。家庭内には持ち込まないほうがよい。例えば、妻の料理に不満があった時だけ「問題点を指摘」する一方、手間暇かけておいしい料理を作ってくれた時には何も文句を言わないと、たぶん、妻は積極的に美味しい料理を作ろうとはしなくなる(←イヤに自信に満ちた発言ですなあ)。家庭内では、問題点について文句を言うよりも、よい面を褒めるという姿勢がなければ夫婦仲はうまくいくまい(←これもイヤに自信に満ちた発言ですなあ)。 |
【ちょっと思ったこと】
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【本日の畑仕事】
サツマイモと小松菜を収穫。タマネギ苗の植え付け(続き)。 |
【スクラップブック】
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