じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
ヤグルマギクとハナビシソウ。春から初夏にかけての花の中でも特に丈夫な組合せ。種ができる時に適当に間引いてやれば、毎年花を咲かせ、雑草の繁殖を抑える上でも効果がある。 |
【思ったこと】 _10510(木)[心理]エコマネーとボランティア通貨(4)変貌するカネとヒトとの関係 5月12日(土)午後に、京大文学部で「第30回 京都心理学セミナー:ことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで〜」が開催される(今回は長谷川が世話係・企画を仰せつかっており、詳しい案内はこちらにあります)。このセミナーでは、「エコマネー」についても話題提供をいただくことになっているのだが、たまたま5/9の朝日新聞文化欄・思潮21で、岩井克人・東大教授が、カネとヒトとの関係について興味深い論考を展開しておられた。岩井氏の論考自体は、“「株主主権論」再考”というタイトルであるが、カネとヒトとの関係を見直すことは、エコマネー発想の原点につながるように思う。 論考の中で岩井氏は、1998年末における、アメリカで株式を上場している非金融企業全体の資産総額の内訳を引用しておられた。それによれば、機械や設備や建物といった有形資産の価値が占める比率はなんと31%にしかならず、残りの69%は、特許やブランド名やデータベース、さらには経営者の企画力や技術者の開発力や従業員のノウハウといつた、モノとしての形をもっていない無形資産の価値になっていた。20年前の78年には両者の比率はまったく逆で、資産総額の83%を有形資産が占めており、無形資産の貢献分は17%にすぎない。岩井氏が引用した数字は、この20年間における資本主義の変貌を如実に示すものとなっている。 岩井氏は、これらの数字をもとに[いずれも長谷川による要約]、
そして、論考の最後の部分で、 産業資本主義の時代においては、カネはモノを支配することによつて、ヒトをも支配していました。だが、産業資本主義の終焉が語られている今、カネとヒトとの力関係が大きく変わり始めているのです。いま私たちに求められていることは、「株主主権論」のドグマにも、日本的経営への郷愁にも囚われずに、もう一度カネとヒトとの関係を考え直し、脱産業化・高度情報化の中で生き抜いていける新たな企業の形態を模索していくことにあるのです。として、カネとヒトとの力関係について再考を求めておられた。 いっぽう、エコマネーを紹介する本の中でもいちばん分かりやすいと言われる 『エコマネーの世界が始まる』(加藤敏春、講談社、2000年) では、従来のお金について、 ...こう考えていくと、お金があらわす価値というものは、きわめて限定されていることがわかります。つまり、市場(マーケット)での価値なのです。いいかえれば、市場に存在できるモノやサービスなら、どんなものにでも価格がつき、その価格が基準となって、売買され、人から人へ、組織から組織へとわたっていくのです。という形で、再考が行われている。岩井氏が再考を求めている「経営者の企画力や技術者の開発力や従業員のノウハウ」だけなら部分的にはお金で買えることもあるが、加藤氏の再考はさらに広い範囲に及んでいるのだ。その上でたどりついた答えが「エコマネー」であり、その理念は 「エコマネー」とは、環境、福祉、地域コミュニティ、教育、文化などに関する多様な価値を媒介する、二一世紀の「新しいお金」です。従来の市場経済の尺度でははかれない価値を、その多様性を評価したうえで、流通させるものです。というところにある。 エコマネーが現実社会で流通するか、失敗に終わるか、という議論はあまり生産的ではない。思考実験の範囲でもよいから、自分なりのエコマネーを構想してみるということは、結局のところ、「カネとヒトとの関係」を考え直し、価値の起源を再認識することに繋がるように思う。 |