じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] マツバギク。一昨年の5/12の日記にも書いたことだが、この花壇のマツバギクは、色によって開花の時期が微妙にずれる。黄色はすでに終わり。いまは赤が最盛期、まもなくピンクが咲く。



5月17日(木)

【思ったこと】
_10517(木)[心理]京都心理学セミナー(4) 「経験の回避」の悪循環

 昨日の日記に引き続き、5/12に行われた「京都心理学セミナー:ことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで〜」の感想を述べることにしたい。

 昨日の日記では、
  • 行動分析的視点に立った心理療法では、行動をいかに変革するかが最大の課題となる
  • 「気分」や「感情」、「充実感」などは、行動と表裏一体となって湧き出るようなものであり、行動を変えることで初めて変化させることができる。
  • とはいえ、個々の独立した行動の改善だけでは、生活全般を変えるのが難しい場合がある。
という3点を指摘した。

 ここでさらに補足させていただくが、「行動を変える心理療法」と言っても、何も行動を変えることだけを万能と考えているわけではない。そもそもスキナーの提唱した行動分析は、自発される行動(=オペラント)だけがすべてとしたわけではない。行動には、自発される行動と、刺激によって誘発される行動(=レスポンデント)の二種類があるというのがまず出発点にあり、そのうえで、生活体が外界に能動的に働きかける機会の重要性を考慮した上でオペラント条件づけや行動随伴性の原理が重んじられるようになったのである。

 それゆえ、レスポンデント的に形成される不安や恐怖、嫌悪感などは、当然のことながらレスポンデント的に消去されていかなければならない。
  • よく行われる系統的脱感作、馴化などはその1つである。
  • クライアントが過去の体験を語り、セラピストが黙ってそれを聞くというのも「消去」の操作として有効。
  • 性的同一性障害の治療(←あくまで本人が治療を望んでいる場合の話)において、異性への性的興奮を高める操作を行う場合にもレスポンデント的手法が用いられる。


 さて、元の話題に戻るが、「個々の独立した行動の改善だけでは、生活全般を変えるのが難しい場合」というのは他にもいろいろなケースがある。

 今回の武藤・高橋氏の話題提供の中で取り上げた「経験の回避」(Experiential Avoidance)はその中でも特に深刻な悪循環をもたらす。「経験の回避」は、ある個人が
  • 特別な内的経験と接することを渋り続けるときに生じる
  • その経験の形態や頻度、さらにその経験が生じる文脈を変えようとする
現象。これは、言語の双方向的な特性(Cognitive Fusion)、自己知識・自己評価(Self Evaluation)、回避・逃避反応が即時強化される(Avoidance)、行動の理由が内的事象であるとされる(Reason Giving)、「指示」に従う行動が賞賛される(Rule FollowingあるいはPliance)などによって形成・維持される。そして、そこから脱出するための援助手続として開発されたのが、今回の話題提供の中心となるAcceptance and Commitment Therapy (ACT) であった。

 武藤氏によれば、ACTの援助手続のポイントは、次の6点にまとめられる。
  1. 「救いがない」ことが「救い」なんだというところから始めよう
  2. 「コントロール」というやり方こそが「問題」なんだ
  3. ことばの「毒抜き」をしよう
  4. 自分を「一歩下がって」見てみよう
  5. 求める「価値」とは何なのか
  6. アクションに移す前に準備を始めよう
 時間が無くなったので次回に続く。
【ちょっと思ったこと】

團伊玖磨作曲で最もよく知られた曲と言えば...

 作曲家の團伊玖磨氏が17日午前2時40分、旅行先の中国・蘇州で心不全のため死去されたという。77歳。

 TVや新聞では、團伊玖磨氏が作った曲として「ぞうさん」、「祝典行進曲」などが挙げられているが、最もよく聞かれている曲を1つ挙げろと言われれば、私は、「ラジオ体操第二」ではないかと思う。あまり知られていないことだが、現行のラジオ体操は
  • ラジオ体操の歌(1956年〜) 作曲 藤山一郎 作曲 藤浦 洸
  • ラジオ体操第一 作曲 服部正
  • ラジオ体操第二 作曲 團伊玖磨
となっている[いずれも敬称略]。

 ネットで検索してみたところ、御本家の簡保のサイトによれば、ラジオ体操第二の放送が開始されたのは1952年の6月16日からであった。

 たまたまヒットしたこちらの日記に、「第一体操の明るい脳天気な曲調に対し、第二体操は、時々すごく暗い曲調になったり、明るくなったりする。どこかでこのような雰囲気を持つ曲をきいたことがあるぞ。....それは、バッハである。ゴールドベルク変奏曲だ。」という興味深い記述があった。

 もともと、ラジオ体操第一は、朝起きてから、少しずつ体を動かすための準備体操的な性格がある。これに対して「第二」のほうは、ある程度体を動かしたあとの整理体操的な目的があり、当然のことながら「動→静」を意図して作られたものと思う。曲調が暗くなったり明るくなったりするのは、体の各部を「動→静」に転じさせるためではないだろうか。

 5/18の朝6時半に念のためラジオをつけてみたが、放送の中では作曲者に対する弔意の言葉は特になかったようだ。團氏の葬儀は未定だというが、葬儀の日には、ラジオ体操愛好者はこの「第二」を通じて作曲者を追悼したいものである。