じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 時計草の花。蜘蛛が秒針?



6月2日(土)

【思ったこと】
_10602(土)[生活]さらば、世田谷

 5月の連休中にこの日記を読まれた方ならお察しがついたと思うが、このたび東京の自宅を貸家に出すことになった。荷造りの大部分はすでに連休中に完了しており、今回は、家具や布団などの搬出のための短期間の滞在である。これまで月に一度ほど何かの上京の用事のついでに立ち寄って家の掃除などしていたが、やはり建物というのは活用されなければ存在価値がない。家族や兄弟にも相談の上、今回の決断に至ったものである。この時期にしては珍しく晴天続きで湿度は最低、絶好の引っ越し日和である。これはきっと、ご先祖様も応援してくれるというあかしなのだろう。わははは。




 この日記にも何度か書いているように、私は東京の国立世田谷病院(現在、国立小児病院が建っているところ)で生まれ、幼稚園から高校まで18年間をすべて世田谷区内で過ごした。大学入学以後は、京都→犬山→長崎→岡山というようにもっぱら西日本各地を移動したが、自宅はずっと世田谷の地にあり、いずれは戻って住むことになるかもしれないと思いつつ、30年の歳月が流れてしまった。

 今回はあくまで定期借家なので、期限が切れれば再び戻る可能性は残っている。とはいえ、
  • 定年までは今の岡山から動くつもりはないし、定年後も大都会の騒がしい所で余生を送りたいとは思わない。
  • 仮に息子や娘が住むようになったとしても、もはや私は客人にすぎない。
  • だいいち、胃癌のために60歳で急逝した母のことを思えば、私自身が定年まで生きているという保証すら無いのである。
  • 今後学会などで上京することはあっても、この世田谷まで足を伸ばすことはあるまい。
となると、ひょっとして、6月2日が世田谷で過ごす最後の夜になるかもしれないなどと、勝手に感動してみたりする。

 それにしても、30年、40年と経つうちに、自宅周辺の景色も大きく変わってしまった。私の子供の頃から商売を続けているお店は、世田谷線の若林駅近辺では2〜3軒のみ(私の記憶が正しければ、文房具屋さんと薬屋さんと果物屋さんのみ)。松蔭幼稚園があった場所は、今では図書館になっている。自宅の周辺には大きな欅の木が何本か茂っていたがみな切り倒されてしまった。そんななか、昔ながらのモルタル塗りの古い家を見ると妙に懐かしさを覚えるものだ。

 夕食時は、駒沢近辺には美味しいラーメン屋がいっぱいあるはずだなどと思って、自転車を走らせながら中学時代の通学路を辿った。たまたま見つけた「よしラーメン」というお店でネギラーメンを注文。期待通りの味で一滴残さずスープを飲み干した。店の主人も、まさか自分の作ったラーメンが、世田谷で私が食べる最後のラーメンになるとは思いもよらなかっただろう。

 ラーメン屋の帰りは、松陰神社の商店街を通ってみた。若林駅近辺に比べるとこちらはかなりの繁盛ぶりだ。私が子供の頃から営業しているお店としては、雑貨屋さん、和菓子屋さん、パン屋さん、薬屋さんなど。たぶん10軒ぐらいは残っているのではないかと思う。

 今度訪れるのは何年後になるだろうか。どんなに景色が変わっても、私のふるさとはやっぱりここなんだろうと思う。