じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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7月7日(土)

【思ったこと】
_10707(土)[記録]オーストラリア研修(番外編)珊瑚海に浮かぶひょうたん島と日本列島?/赤道の痕跡?

[写真] [写真]  6/24にオーストラリアから戻ったあと、全学のFD委員会の委員長にさせられてしまい、7/1はその初仕事として上京、その後も会議が続き、休むヒマが無かった。久しぶりの休日となったので、帰りの飛行機から見た景色のことを書いておきたいと思う。

 シドニーから関空までの飛行機は日本時間の10時半すぎに現地を飛び立ち、19時50分頃に関空に到着した。ちなみにこの便は、JL778便(カンタス航空とのコードシェア便だが、日航機が就航していた)。往路の便名が、ラッキーナンバーの777便となっていた。

 指定された席は最も眺めの悪い真ん中の位置にあったが、空席が多く離陸直前に窓際の席に移動。南太平洋やニューギニアの様子を眺めることができた。

 離陸後1時間50分ほどはオーストラリア大陸の東部上空を進む。変わりばえのしない平坦な土地が続いた。その後、ケアンズのあたりで珊瑚海(グレートバリアリーフ北端)に出る。

 写真上段左は、その直後に見た島で、私の世代ならお馴染みの「ひょっこりひょうたん島」によく似た形をしていた。地元では何と呼んでいるのだろうか。右側の陸地はオーストラリア大陸の最後の部分である。

 それから1分も経たないうちに、今度は、日本列島が沈没しかかっているような面白い形の島が見えた(写真上段右)。おそらく左上方向を中心とする珊瑚礁の一部なのだろう。

[写真] [写真]  珊瑚海上を1時間半飛行したあと、ニューギニア島到達直前で、オーストラリアとのお別れにふさわしいブーメラン型の珊瑚礁が見えた(写真中段左)。海中には色とりどりの魚が泳いでいるにちがいない。ニューギニアの南海岸に達したのは、13時52分頃であった(写真中段右)。

 ニューギニア上空は殆ど雲ばかりで、再び海上に達した瞬間を知ることはできなかった。そんななか、ポートモレスビー近くと思われる4000メートルクラスの山々 が少しだけ見えた(写真下段左)。

[写真] [写真]  その後はずっと海と雲ばかりの景色。写真下段右は、何の変哲も無い、海と雲ばかりだが、ほぼ赤道通過と思われる時点で撮影したものである。子供の頃地球儀を眺めながら、地球の赤道上には赤い線がずっと引かれていると思いこんでいた時期があった。残念ながら、今回、そのような赤い線を肉眼で確認することはできなかった。もしそういうことを信じているお子さんがおられたら、ぜひ右の写真を見せてやってください。
【ちょっと思ったこと】

御三家

 夕食時に見ていた「ものまねバトルご対面SP」という番組に研ナオコさんと田原俊彦さんが出演していた。研なおこさんは確か私と同じ歳だと思うが、昔よりはずいぶん老けて見えた。田原さんは研なおこさんよりは随分年下のはずなのだが、もっと老けて見えた。時の流れははやいものだ。

 番組には野口五郎さんも出演しておられた。その顔を見て、「そういえば、御三家って誰だったかなあ。橋幸夫、舟木和夫、ええともう一人が野口五郎だったかな」と言うと、妻は、「そんなはずはないわ。野口五郎は、郷ひろみと西城秀樹で新御三家だったはずよ」という。「そうかなあ、田原俊彦と郷ひろみと西城秀樹が新御三家ではなかったかな。あれそう言えば近藤真彦とかいう人もいた....」などとだんだん混乱してくる。

 夕食後の散歩で妻が、「辺見マリと離婚した人、それと星空の何とかを歌っていた人だけど、どうしても出て来ない」などとつぶやきながら、しばらくたってから「西条輝彦だった」などと言い出す。「いやそんな歌手はおらんで。いくら忘れていても、名前を言われればもっと確信できるはずなんだが。」

 で結局、帰る頃になってやっともう一人は「西郷輝彦」だろうということで納得する。時代がたつと、御三家も新御三家もだんだんと融合して何がなにやら分からなくなるが、いまでも頑張っている歌手はスゴイもんだと思う。



今年の七夕

 今年の七夕はこの時期としては珍しくよく晴れ、東の空に夏の大三角形、南東には火星とアンタレス、しばらく経ってから月齢16の月が南東の空に現れた。近くの竹藪から枝を切ってきて、例年通りの飾り付けをして楽しむ。