じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
研究室に置いてあったドラセナが花芽をつけた。ドラセナは花屋さんでは「幸福の木」として売られている。ということはこの花は「幸福の花」か。 |
【ちょっと思ったこと】
「くだらない」番組を視る理由 夕食前に冬季オリンピックの開会式を視ていたら、
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【思ったこと】 _20209(土)[心理]今年の卒論・修論研究から(6)今を知りたいのか? 人類について調べたいのか? 2/6の日記の続き。心理学の卒論・修論では、何百人もの学生を対象にアンケート調査を行う研究が多いが、最終的に何を調べたいのか本人にもよく分かっていない場合があるようだ。 例えば、いまの日本人が「携帯Eメイル」についてどう考えているのかを知りたいのであれば、選挙人名簿などを基に、日本人全体から無作為に標本を抽出しなければならない。現実にはできない以上、そういうデータは新聞社や放送局が行う大規模な世論調査の結果を引用したほうがよほど正確である。 それと、一昨日も述べたが、例えば2002年2月の時点の日本人全体の動静を正確に記録したからといって、そのことで直ちに、価値のある情報が得られるというものではない。論文執筆には1年近くかかるのが普通である。森内閣や小泉内閣の支持率の変化を見ても分かるように、「日本人全体」なる母集団の中味は常に変化している。まして「携帯Eメイル」などというものは、伝達手段や料金、利用内容が刻々と変わっているのである。調査時点で言えたことがいくら正確であっても、いまの我々に情報的価値が無いものであれば意味がないということになる。 となると、標本の選び方は、無作為抽出ではなく、むしろ、対象選択の合目的性を重視すべきということになる。じつはこの視点は、質的調査では当然のこととして要求されているのだが[例えば『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』(南風原朝和・市川伸一・下山晴彦、2001、ISBN4-13-012035-2)の52頁参照]、標本調査(正確には「標本調査ライクな調査」)でもこれが重要であることを最近特に感じる。 具体的にどういうことかと言えば、もしある行動原理なり法則なりが有効であるのか、有効性はどの範囲まで及ぶか、ということを知りたいのであれば、
もとの「携帯Eメイル」の事例だが、2/8の日記でも指摘したように、「質問紙的な調査+多変量解析」という手法で解明できる内容は限られているのではないか。むしろ、ある人がどのようなきっかけでそれを利用するようになり、「行動と結果」の反復を通じて利用行動をどう変化させていったか、絵文字を多用しているとしたらそれが何によって強化されているのか、といったことを克明に分析したほうが成果が得られるのではないかと思う。 |