じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典
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1月5日(月)

【思ったこと】
_40105b(月)[一般]厳冬のタクラマカンと南新疆シルクロード(1)いちばん印象に残ったこと

 今年の正月は、かつての天山南路と西域南道沿いの(ウルムチ)→トルファン→(鉄道)→クチャ→(砂漠公路)→ニヤ→ホータン→カシュガルを訪れた。

 旅行の第一の目的は、1981年1月下旬に訪れたトルファン→(鉄道・陸路)→敦煌→酒泉→蘭州と、2000年8月に訪れたカラコルムハイウェイ(イスラマバード→クンジュラブ峠→タシクルガン→カシュガル)を陸路でつなぐことにより私自身のシルクロードの旅を完成することであり、これで達成された。旧ソ連時代に中央アジア各国の主要観光地を訪れたこともあるので、私の人生におけるシルクロード旅行はこれでおしまい。

 第二の目的は、砂漠公路を通過することでタクラマカン砂漠の広さを実感することであった。砂漠公路の9割以上は砂丘地帯が続く。東名・名神の高速道路とほぼ同じ長さがすべて大砂丘にあたるくらいの道のりであり、そのスケールの大きさには度肝を抜かれた。

 もっとも、今度の旅行で一番強い印象を受けたのは、それぞれの町の変化の激しさであった。トルファンを訪れたのは23年ぶりになるが、上の写真(左)にあるようにかつてはメインストリートにもロバやラクダが荷を引き、NHKのシルクロード番組で紹介されたのと寸分違わぬ世界が広がっていた。しかしいまや、町の中心部は道路横断に気を遣うほどの車優先の都会になってしまっていた。都市間のハイウェイも縦横に延びていた。ニヤやホータンも同様であり、かつてNHK出版の写真集で紹介されたような景色は、裏町や郊外の村でしか見ることができなかった。

 そこに住む人々の暮らしは少なくとも物質面では豊かになっているに違いないが、時の流れを感じさせない異次元の世界を期待した旅行者たちは少々がっかりするとともに浦島太郎ショックを受けることになる。

 トルファンの大変貌の原因は必ずしも日本人旅行者の数の多さのせいではない。一番の原因は、このあたりやタクラマカン砂漠の真ん中で石油が採掘されるようになったためかと思う。次回に続く。