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8月27日 スクレ市内
スクレはボリビアの憲法上の首都であり、今でも最高裁判所がここにある。ユネスコ世界文化遺産に指定されており、青空と真白なコロニアル建築が魅力的。訪れた時期は日本の2〜3月頃であったが、「常春」と呼ばれる温和な気候であり、プラムと花菱草とハイビスカスとブーゲンビリアが揃って咲いていた。
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簡単な説明
- ホテル中庭に同時に咲くプラムとハイビスカス。
- 自由の家にあるシモン・ボリバルの像。写真右にあるように、横から拝見すると、一本の木から刻まれた像であることが分かる。ボリビアは1825年8月6日に独立。当初は、ボリバルの名にちなんで「Republica Bolivar」と名づけられたが、Manuel Martin Cruzが「コロンブス→コロンビア」と同様の命名法から「Republica de Bolivia」とすべきであると提言し、現在の名前になったという。なお、ボリバル自身は、独立には同意したが、宣言には署名しなかった。彼自身は、ベネズエラ、コロンビア、ペルーなどを含むもっと大きな国家を目ざしていたとか。
ボリバルの肖像画はウィキペディアにあり。ベネズエラ・ボリバル共和国の国名にもボリバルの名が含まれている。】
- ボリビアの国旗の説明をする博物館ガイド。もともとは、上から黄、赤、緑の順の配色であったが(写真右側)、虹の配色にちなんで、現在の、赤、黄、緑の順になったそうだ。
- ボリビアの国花、カントゥータ。花の先端から、赤、黄、緑の配色になっており国旗に一致する。
- ラ・レコレータ修道院のある小山から見たスクレ市街。この町では政令により、壁の色を白く塗ることが義務づけられているそうだ。
- 修道院中庭。
- 中庭に咲く花菱草。
- 修道院横で手を振る子どもたち。
- 修道院近くの石畳の坂。
- 坂の途中で、ジャガイモと植物の苗(ゼラニウムとクワズイモ)を売る女性。
- 街角風景。
- ボンネットバスなどの「クラシック」な車が町の風景に溶け込んでいる。なお、ポトシやラパスで目立った日本製中古車は、この町ではあまり目に入らなかった。
- ポトシと同様、この町でも、白衣のような服が学校の制服になっているようだ。
- この町にもインターネット・カフェがあった。
- 尼僧院(現在は女学校)の中庭。
- 教室内。なぜか周期律表あり。
- 秘密トンネルの入口のフタ。この尼僧院とラ・レコレータ修道院は、なぜか地下トンネルで繋がっていたという。泥水が入り込んでいて現在は通行困難であるが、観光名所として整備する予定であるとか。
- 屋上からの眺め。正面に見えるのがスクレのシンボルの大聖堂。
- 同じく、屋上からの眺め。写真18より左側。
- 屋上直下の民家の中庭。
- 屋上の古びたレンガ。
- 鐘楼。
- チリやボリビアには犬好きの人たちが多い。なんと、スクレの空港内でも犬を飼っていた。