じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

9月26日(土)

【思ったこと】
980926(土)[心理]ふたたび血液型性格判断(2):「長谷川さんとの対話」ページ開設の感想と、ネット上での「対話」や「議論」のあり方について思ったこと
 1998年9/24の日記で血液型性格判断の話題を久しぶりにとりあげたところ、当該のページの主宰者であるOさんが、私がこの日記をアップしてから24時間もたたないうちに「長谷川さんと対話」コーナーを立ち上げたおられた。いやー、まったく驚きましたなあ。私の実名入りのページができていたとは..。

 で、貴重なサーバーのスペースを割いてせっかく長文の御意見まで掲載していただいた以上、私もそれなりに応対させていただこうとは思っている。ただ、そもそも私が血液型性格判断資料集で「個別にはお返事できません」という断り書きを書いたのは、Eメイルはお断りという意味ではなくて、Eメイルであろうと掲示板書込であろうとMLであろうと、とにかく特定個人の方との質疑応答形式の対話はお断りしますという意味だったのだ。だから、率直なところ、「対話」なるものを勝手に始められたのには少々困惑している。できれば「長谷川ページへの感想」程度のコーナーにしてほしかったなあ(←ついでに、「長谷川先生」は「長谷川さん」に、「Prof. Hasegawa」は「Assoc. Prof. Hasep」にでもしていただくとなお結構ですなあ)。

 さて、それではなぜ個別的な対話をお断りするかというと、私がこのWeb日記で書きたいのは、「血液型性格判断」の一般的な問題に対する考えなのであって、特定個人との論争は本意ではないからだ。9/24の日記でOさんのサイトを名指しをせずにに取り上げたのは、Oさんへの反論が目的というよりは、そこで私が誤りであると指摘した2つの点に一般性があり、それを書くことが、血液型性格判断の議論にとって役に立つと考えたからにすぎない。
 検索エンジンでチェックしてみれば分かるように「血液型性格判断」について自分の意見を述べているサイトは他にもいっぱいある。御本人には少々失礼かもしれないが、Oさんのサイトは、私にとってはその何分の1かの重みしかもっていない。さらに言えば、いまのところ私自身は、Web日記で取り上げる種々の話題の中で「血液型性格判断」が特別に優先順位の高い話題だとは思っていない。質問や御意見をいただいたからといって、他の話題を後回しにしたり、30〜40本に及ぶ他の方のWeb日記の拝見を後回しにしてまで、ガッタガッタとそれにお答えするつもりはない。これは別に相手がOさんだからでない。少し前にも、某新聞記者より「Web日記について」のアンケートが送られてきたことがあったけれど、私は7/8の日記【現在、別サイトにアップ】で同じことを述べている。

 ここでさらに一般論として、ネット上での議論のありかたについて思ったことを少々。まだホームページや掲示板が定着していなかった頃、私は、ネット・ニュースfjの議論に参加したことがある。この時の経験を言えば、ネット上での議論というのは簡単のように見えて実は殆ど不可能。というのは、誰でも発言できるなどと言われてもネット上で議論に参加できる時間には参加者個々人それぞれの事情があるからだ。たくさん発言できる環境にある人が、あまり頻繁にはアクセスできない人に執拗な攻撃を繰り返したり質問責めを行ったりすれば、週に1度しかアクセスできないような相手は嫌気がさしてしまう。そのような場合に、返事が無いことを理由に、相手が逃げたとか反論できないなどと批判するのは自分本位の見方しかできない的外れの発言であると言わなければならない。
 いや、Oさんがそういうことをしていると言っているわけでは決してないのだが、ホームページ開設やメイル送信だけでどんな相手とも容易にコミュニケーションができるなどと考えるのは、少々、自分を高く見積もりすぎていないかなあ。もっと言えば、自分の周りのすべての人間が、自分との関係性だけのために存在していると思い込んでいるところは無いのだろうか。

 他のWebサイトの内容に意見を述べたり、反論をしたりする場合に、私は次のような原則を考えている。
  • 相手方の行動の制約につながるようなコンテンツ(例えば、質問ばかりを並べたてるようなコンテンツ)は避けよう。相手方の記述の足りないところを問い合わせるような最小限の質問はよしとしても、何項目にもわたって「〜についてはどう思われますか」、「〜という私の考えは正しいと思いますか」というように、新たに意見の提示を要求するような内容は、相手が不正行為でもしていない限り控えるのがエチケットというものだろう。文体が丁寧ならいいとか乱暴なら悪いとかいう問題ではなくて、そういう行動をとること自体の問題としてご理解いただきたい。
  • 相手方から反応が無かったからといって、相手が逃げたとか反論できないといった印象を読者に与えるような記述は避けよう。単に「メイルで問い合わせたがお返事は無かった」と書けばよし。
  • 相手方には、反論ページにアクセスする義務は一切無い。無視されたり、いや、それ以前の問題として認知されていなかったからといって、愚痴をこぼすのはやめよう。これはOさんに対してではなくて自戒の意味を込めて言うことだが、自分のホームページの非力や無名さをというものをもっと自覚したいものだ。ともすれば、ネット上で意見を述べれば全世界の人が読んでくれるような錯覚に陥りがちである。実際の読者は、私の日記の場合でせいぜい1日に100〜200人。ちょうど、1つの教室で一般教育心理学の受講生相手に話をする程度の規模である。コンテンツに自信がある人(私は無い)はジッと待てばよい。文字通りのWeb上の蜘蛛に成りきることだ。


 ということで時間が無くなってしまったので、「長谷川対話ページ」への反応は明日以降に。とりあえず、気づいたことをいくつか。
  1. Oさんのページには、どこにも自己紹介がないように思うが、あったら教えて欲しい。いや、別に、肩書きにこだわるわけではなく、仮に某大学教授であろうが、高貴なお方の御親戚であろうが、コンテンツ至上主義で文章を読むことが私の基本的態度なんだけれども、正体の分からない方との「対話」ほど気味の悪いものはない。Web日記でも書いているなら別ですが。
  2. 私は日記を書き始めた時から「である、だ。」体で文章を書いている。対話ページは「です、ます」体になっているけれど、それに合わせて日記の文体まで丁寧体に変えるのはご容赦をいただきたい。
  3. とりあえず、対話のページの一部については早ければ明日にでも意見を申し上げたいと思っているが、それはあくまで、9/24の日記の指摘の延長にならざるをえない。あそこで指摘した2つの点について、ご理解いただけないのはまことに残念だが、原因は説明不足の私の側にあったと思っている。
  4. 現時点において、私は昼間の仕事の時間まで割いて、血液型性格判断の問題に検討を加える余裕はない。それゆえ、上にも述べたように、この話題だけを他を後回しにして取り上げていくつもりはない。Oさんにおかれてましても、このさいWeb日記でも開始され、御自分の人生が血液型性格判断によって如何に有意義なものになっているかをぜひご披露していただきたいものである。