【思ったこと】
980929(火)[心理]ふたたび血液型性格判断(4):零から壱のあいだ
きょうはベーカリーレストランで外食、そのあと妻と深夜?のキノコ見物散歩に行ってきたために、日記を書く時間が殆どなくなってしまった。そこで、1998年9/24の日記に書いた“「有る」ことと「無い」ことはどう違うのか”についてちょっとだけ補足をしておきたいと思う。ここでは、
ともすれば、「無い」を「0」、「有る」を「1」というように、排他的に物事をとらえがちである。
として、その危険性を指摘したつもりであったのだが、少々説明不足であったようだ。零か壱か、という二者択一型の思考をするまえに、少なくとも3つの点に留意する必要がある。
- 帰無仮説への理解:零を否定すれば壱になるというような考え方ができるのは、数学や古典的な論理学の世界だけだろう。経験科学では、零と壱は対等ではない。零を帰無仮説として壱を検証することのロジックをちゃんと理解しない限り、血液型性格判断を論じることはできない。
- 一般性や普遍性への理解:物理学であれば、地球上の某所で実証された効果や法則は、地球上のあらゆる場所、いや、太陽系周辺の宇宙のあらゆる場所でも成り立つ可能性が高い。これに対して、非常に多数の要因が同時に作用している人間行動の場合には、そういう普遍原理のようなものを追求してもあまり生産性のある結論は期待できない。要するに「ある効果が成り立つかどうか」というような仮説検証型の議論には限界があり、けっきょくは「成り立つ場合もあるし、成り立たない場合もある」というところに落ち着いてしまう。生産的な議論を進めるためには、当該の効果がどういう条件のもとで、どの程度の力を及ぼすのか、という生起条件探索型の研究に向かう必要がある。
- 多様な可能性への理解:二者択一の議論、もっと広く言えばカテゴリカルな思考には、多様な可能性を見失ったり、排除してしまう恐れがある。時間が無いので、細かい言及は避けるが「最高裁の判事の国民審査」の問題、「あなたは憲法改正に賛成ですか」というような質問、あるいは「右翼か左翼か」など....。次回以降に、詳しく検討していくことにしたい。
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