970618(水)
[心理]血液型と性格をまじめに考える(2)
6月15日放送の「検証! 血液型性格のウソ・ホント」の内容のうち、子供のしつけ方や勉強のさせ方についての記事を血液型性格判断資料集のほうに追加した。このほかに、血液型別ダイエット法とか、靴の脱ぎ方、コンビニでのお釣りの受け取り方などの話題があったが、キリがないので、このぐらいにしておこう。
さて、血液型と性格の問題は、次のような枠組みで検討する必要がある。
- これは遊びなのか、まじめな話なのか
- まじめな話だとすると、科学的に実証されているのか
- 真偽は別として、なぜ多くの人が“当たっている”と思うのか
- 真偽は別として、なぜ、もてはやされるのか。
- 血液型性格判断は、社会にとってプラスになるのか、弊害をもたらすものなのか
- そもそも、人間を理解するということは、性格を知ることなのだろうか
以上のような構成で、この問題を論じることにしたいが、残念ながら1回で完結させられるほどの時間的余裕がない。
この日記は、毎晩、寝る前に書くことにしているが、最近は、家族の相手をせずに日記ばかり書いているので、妻に“あなたバッカじゃないの。心理学とか言っているけれど、本当は、日記の相手しかできないんでしょう! そうやって一生が終わっちゃうのよ。おバカな人生!”などと怒られている。
そこで今回は、1.と2.についてだけ、簡単に述べることにしたい。
まず、1.であるが、今回のテレビ番組は、NHKの教養番組ではなく、娯楽番組の1つであった。私がケチをつけると、制作者は面食らうかもしれない。日常会話で血液型を話題にするのも、もちろん遊び心からくるものであろう。しかし、遊びと本気は、そう簡単に使い分けられるものではない。今度の番組でも、意図はどうあれ、子供の教育方法まで話が及んでいた。そこから何らかの差別が生まれる可能性だってある。“血液型と性格”を遊び半分で話題にすることは危険であると言わざるを得ない(誰かの日記を批判しているわけではない。念のため)。
つぎに2.については、結論ははっきりしている。科学的には何も実証されていない。この一言につきる。この説はもともと、古川竹二氏によって唱えられたものであるが、彼の調査方法は、“この血液型にはこういう特徴があると言われているが、当たっていると思うか”というような誘導質問的な内容を含んでおり、信頼性がない。その後、旧陸軍を中心に本格的な調査が行われたが、何も成果をあげることなく衰退した。戦後の能見父子のデータは、正確なデータが公表されていない。能見俊賢氏は、読者アンケート(能見父子の本に添付されていた読者カード)を集計したなどと言っているが、愛読者の多くが、著者の主張を支持する方向で回答するのは当然のことである。このほか、血液型の構成比率に偏りが見られるとされる“データ”の多くは、サンプルサイズが小さく、偶然に生じた可能性が高いものばかりである(サンプルサイズの問題は、後日、もういちど取り上げたい)。
データの曖昧さは、統計的検定だけの問題ではない。それ以前の問題として、性格的特徴を表す言葉が、厳密な定義なしに、雑多に使われている。血液型性格判断資料集の表を見てもらえばわかるが、どのようにも解釈、こじつけができる言葉ばかりだ。
以上、血液型性格判断は、まじめな話であるが、科学的には何も実証されていない、というところで今日の話を終わる。