プラスチック血液型劇場
1998年12月19日
Y.Hasegawa
クリスマスプレゼントは何にするか
栗鼠:おやっ、洋子、授業はもう終わったのか。
洋子:月曜日からは集中講義があるけれど、はせぴぃ先生の講読の授業が終わったので少しはヒマになったところよ。で、さっそくだけど、おじさん、クリスマス・プレゼントは何がいいかしら。
栗鼠:おやっ、クリスマス・プレゼントって、サンタさんがくれるんじゃなかったかのう...。
洋子:じゃあ、あげなくてもいいわね?
栗鼠:いやいや、冗談じゃよ。でも洋子も小学校2年生ぐらいまではサンタさんを信じておったがのう。
洋子:おじさんだけじゃなくて、キミちゃんとかショウちゃんにもあげたいのだけれど、何かアドバイスがあるかしら。
栗鼠:そうじゃの。贈り物は好意の表現と感じる人が多いから、そのことをよく考えたらよいかのう。
洋子:そんなの当たり前じゃないの。贈り物を悪意の表現と感じる人なんて居ないわ。
栗鼠:そうじゃのう。じゃあ、「心遣いを大事にする」なんてどうかのう。
洋子:それも当たり前じゃない。心遣いを大事にしない贈り物なんてしないほうがマシよ。
栗鼠:よし、じゃあ「好みを聞いてから贈る」なんてどうかなあ。
洋子:直接聞くかどうかは別としても、要らないものを贈らないよう、相手の好みを確かめるのは当たり前のことよね。
栗鼠:よし、これでどうじゃ! 「センスのある贈り物!」
洋子:世の中には、栗鼠蔵おじさんのようにセンスの無い人もいるけれど、センスはどんな場合にも必要だと思うわ。
栗鼠:ま、要するにだなあ。贈り物は好意の表現であり、心遣いを大事にし、相手の好みを尊重してセンスのある贈り物をすればよいということじゃなあ。どうじゃ、これならカンペキだろうが。
洋子:でも、おじさんの言っていることって、全部常識の範囲で誰にでも当てはまることじゃないの。これでは何もアドバイスしていないのと同じよ。もし「贈り物は悪意の表現で、心遣いを無視し、相手の好みも無視してセンスの無い贈り物をしなさい」というならば常識はずれで面白いんだけれど....。
栗鼠:そう、そこに本当の問題があるのじゃ。じつは、そのアドバイスは能見俊賢さん監修の「ABOワールド」というサイトの1998年12月バージョンにあった表現じゃ。そのなかの「相手が喜ぶプレゼントを考えてみよう!」によれば、
贈り物は好意の表現と感じるO型
心遣いを大事にするA型
B型には好みを聞いてから贈る
センスのある贈り物を喜ぶAB型
というように記されている。どれも当たり前のことなんじゃが、血液型別に書かれると「血液型性格判断は当たっている」ように思いこんでしまう。
洋子:でも、間違っているとも言えないわね。心理学では否定できないんじゃないかしら。
栗鼠:そう、上のどの文も否定できない。しかし、否定できないということは科学的に正しいということではない。科学的な命題であるならば、検証可能な形で提示されなければならない。例えば、「贈り物は好意の表現と感じるO型」の正しさを検証するには、A型が「心遣いを大事にする」かどうかではなくて、「A型はO型ほど贈り物を好意の表現と感じない」ことを実証しなければならない。同じ物差しで4つの血液型を比較しないかぎり、「血液型
別
」にアドバイスをする意義は全く認められない。
洋子:でも遊びなんだからいいんじゃないかしら。
栗鼠:もちろん。血液型人間
学
だとか、科学的に正しいというようなことを主張しない限りは私の知ったことではない。もっとも、遊びと真剣な判断の区別ができることが前提になるがのう。
洋子:次の話はいつになるのかしら。
栗鼠:そうじゃなあ。クリスマスの後にでもするか。おや、「くりすます」を漢字変換すると「栗栗鼠増」になるぞ。これは面白いわい。
洋子:おじさん、「り」がひとつ多すぎるわよ。「くりすます」ではなくて「くりりすます」って入力していない?
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