じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _60127(金)[心理]冬のソナタのシナリオを書き換える意味 生協に注文していたもうひとつの冬のソナタ チュンサンとユジンのそれからという本が届いた(1月23日の日記参照)。 さっそく読み始めたいのは山々であるが、1月末の提出締切をひかえ、卒論指導の真っ最中である。しばらく封印することにした。 ところで、1月23日の日記にも書いたように、私は、あのドラマは生涯最高の感動を与えてくれたドラマの1つだとは思っているが、19話以降の展開にどうしても納得できない部分があった。そこで、無理やり、ラストシーン直前までの最後の数十分(第19話途中から)を削除し、自分なりのシナリオを挿入した。原作者の意図に反してストーリーを作り替えることは本意ではないが、そうでもしなければ心の落ち着きを取り戻すことができなかったのである。 これを機会に、私の「作品」の最初のバージョンをこちらに公開する。ちなみに、こちらのサイトに結末はあれでよかったのかという考察があり、4ページ目には 21話は冬のソナタのファンの数だけあってしかるべき、みんなが心に21話をもっている。と記されていた。私もこれに同感だ。もしツマラナイ作品だったら「観るだけ時間の無駄だった。さっさと忘れてしまおう」で終わってしまう。しかし、あれほどの感動を与えてくれた作品では、そうはいかない。世の中で実際に起こっている事件が心の平穏を乱すのと同様、結末部分の展開についての疑問はどうしても自分なりに解決しなければ落ち着きを取り戻すことはできない。原作者の意図は尊重するとしても...。 ちなみに、普段はどちらかと言えば淡泊だが、いったん凝り出すとトコトン追求しなければ気が済まない性分の私である。今回入手した本に加えて、すでに以下の文献・資料を注文済みである。これらを読了した上で考えが変われば、また、冬ソナ・マイバージョンを書き換えていきたいと思っている。
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