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写真で綴る岡大の27年
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【1994年11月〜1996年4月】文学部西側の空き地(現・駐車場)
文学部西側は、もともとは戸建ての官舎があり、取り壊し後は、自然豊かな荒野となっていて、デイキャンプを楽しむことができた。
その後、2000年度には文化科学系総合研究棟新設工事の残土置き場になったとの記録があるが、駐車場造成工事がいつであったのか、記録写真が見つかっていない。
- 1. 1994年11月12日。
- 2. 1996年4月29日。
- 3. 2018年2月17日現在の駐車場。
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【1998年7月】旧・共済会施設取り壊し
岡大生協設立前は旧施設には「共済会」の店舗が入っていた。床屋、書籍(新本と古書)、雑貨などがあり、昭和三十年代の面影が残っていた。
- 1. 1998年6月13日。この時点ですでに岡山生協が設立され、共済会購買部等は生協直営に、また委託業者のお店は、共済会委託から生協委託に移行していた。
- 2. 1998年3月13日。旧施設(手前)とマスカットユニオン(後ろ)
- 3. 1998年7月2日。旧施設取り壊し。
- 4. 1998年7月3日。取り壊し完了。
- 5. 参考:『共済会だより』最終号の表紙に掲載されていた購買部棟の写真
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【参考資料:共済会から生協設立へ】
岡山大学共済会は1950年に発足し45年間にわたって岡山大学の福利厚生を支えてきたが、施設面においても組織面においても十分なニーズに応えられる状態とは言えなかった。【以下の『共済会だより』最終号の長谷川執筆の記事参照。】 種々の議論を経て1995年3月に廃止され、岡大生協(1994年12月設立総会)に移行した。
- 1. 1992年4月時点での共済会建物配置図
- 2. 1992年4月時点での共済会購買棟案内図(現在のピーチユニオン付近)
- 3. 1992年4月時点での各店舗の取り扱い商品
- 4. 1992年4月時点での共済会食堂部(学生会館食堂)のメニュー。
- 5. 1995年2月1日。『共済会だより』最終号
- 6. 共済会会則(1992年4月)
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5. 【PDF】|
6. 【PDF】共済会会則|
【1998年7月〜8月】学生会館食堂閉鎖
ピーチユニオン竣工(1998年8月)に伴い、南東側の学生会館(現在は「大学会館」)にあった食堂が閉鎖された。この食堂は長年にわたり「共済会」により運営されてきたが、岡大生協設立とともに生協食堂となっていた。
- 1. 1998年7月24日。この時点で共済会食堂は生協食堂に移行していたが、カウンターはもとのままだった。
- 2. 1998年7月31日。この日をもって学生会館食堂は閉鎖された。
- 3. 1998年8月19日。リフォーム工事中。その後、かつての食堂客席部分は全学教育・学生支援機構、厨房部分はアドミッションセンターとなった。
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【1998年11月】第四喫茶取り壊し
生協が設立される前、岡大には学生会館食堂のほか、第一喫茶〜第四喫茶という番号のついた、個人経営の軽食堂があった。いずれも旧日本軍の施設を改修した古い建物であった。
このうち第四喫茶は現在の文化科学系総合研究棟(兼・放送大学)の敷地にあったが、1998年11月12日に解体された。麺類や丼物が主体であったと記憶している。ご自宅の畑で収穫された野菜たっぷりの麺類が記憶に残っている。経営者のおばちゃんは体育系の部員からは母上と呼ばれて慕われていた。閉店後も、ご近所のおばあちゃん連中と一緒に学内を元気にウォーキングしておられ挨拶を交わしていたが、ここ数年はお見かけしていない。
なお、この建物の南側の花壇に植えられていた白花曼珠沙華、日本水仙、シラー、アイリス、シラン、アヤメなどの多年生植物は、閉鎖前に私が掘り上げて、文学部周辺や講義棟前に移植した。いまでも何株か残っている。(白花曼珠沙華はその時点よりさらに繁殖している。) また、この場所にあった松の木2本はその後、植木屋さんの手で時計台前・西寄りの芝地に移植されたが、病害虫のせいか、結局2本とも枯れてしまった。
- 1. 1998年7月9日。取り壊し前の第四喫茶。
- 2. 1998年11月9日。取り壊し直前の第四喫茶。
- 3. 同上。入口で、おばちゃんの記念写真。
- 4. 同上。裏側(南側)で、おばちゃんの記念写真。
- 5. 1998年11月12日。取り壊し開始。
- 6. 1998年11月14日。取り壊し完了。
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【1998年12月12日】旧・将校集会所取り壊し
1998年12月12日の朝に、旧・将校集会所が解体された。現在の岡大の文・法・経三学部構内は、もともと第17師団の輜重兵第17大隊(工兵第10大隊のち同第10連隊)の兵営になっていた。その西南の角地には、見習士官・少尉以上の幹部の部隊内クラブ(将校集会所)があり、資料には“庭園を備え、日支事変出征記念と彫った石燈籠が残る。”と記されている。
少し前に、某映画監督がロケの候補地として訪問されたこともあったようだが、結局ボツに。特に保存運動も起こらないままに、先月の旧・第四喫茶建物に続いて解体された。戦後すぐに保存処置がとられていれば明治村あたりに移築できたかもしれないが、すでに屋根の一部が崩れており、解体はやむを得ないところがあった。
2号館の非常階段よりその作業を30分ほど拝見した。実際に作業をされていたのは、重機を動かす人を含めて3人程度。いつもながら、重機を人間の指先のように動かすさまには感心してしまう。
途中、その重機で、瓦礫の中から白い石膏像が丁寧につまみ出された。この建物の一部は持ち主不明の自転車の一時保管場所とか廃棄される備品類の倉庫としても使われていたので、その際に放置されていたものかと思われるが、なぜここに置かれたままになっていたのか不明である。
- 1. 取り壊しの日を迎えた旧・将校集会所。
- 2. 取り壊し始まる。
- 3. 石膏像がつまみ出される。
- 4. 石膏像と重機。
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【2003年4月】旧事務局棟移築
本部棟竣工後、旧・事務局棟[旧日本軍第17師団(大正14年廃止)司令部・歩兵第33旅団司令部]が一部を残して取り壊された。当初はすべて解体されるはずだったが、歴史的建造物ということで、正面の一部のみ移築保存された。といっても、解体前とは似ても似つかぬ洋館に様変わりした。移築保存というよりも、旧日本軍第17師団当時の建物の復元と言うべきかもしれない。
※この建物は2012年に「化粧直し」が行われている。
- 1 1997年4月29日。取り壊し前の写真。
- 2. 2002年12月20日。取り壊し始まる。
- 3. 2003年4月10日。移築部分。台車で現在の場所まで運ばれた。
- 4. 2003年5月30日。現在の場所におさまる。
- 5. 移築の推移。左列は2012年の「化粧直し」の推移。右列は移築作業。
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【2002年3月〜2004年5月】校友会二部ボックス取り壊しと文化科学系総合研究棟前の花壇設置
二部ボックスが文法経講義棟北側に移転されたことにともない、取り壊し工事が行われた。その後、建物跡にはガザニア、テンニンギク、カワラナデシコの混植花壇が設置されたが、誰もメンテしなかったためその後雑草が生い茂るようになった。(約10年後、それに見かねた某ボランティアにより再度、整備が行われた。)
- 1. 2001年2月17日。文化科学系総合研究棟の鉄骨組み立て完了。
- 2. 2002年3月4日。取り壊し直前の校友会二部ボックス。
- 3. 2002年3月7日。取り壊し完了。
- 4. 2003年4月26日。業者さんの手で整備された花壇。まずはガザニアいっぱい。
- 5. 2003年5月10日。テンニンギク開花。なお、テンニンギクは2017年現在でも旺盛に繁殖している。
- 6. 2003年5月12日。テンニンギクとガザニア。
- 7. 2003年6月7日。カワラナデシコが開花。
- 8. 2013年8月2日。ボランティアによる花壇再整備。コキア(ホウキギ)いっぱい。
- 9. 2016年10月20日。ジニアとモミジバフウの紅葉。
- 10. 2018年2月16日。ボランティア職員の定年退職により荒れ放題になりそうな予感。
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【2005年6月〜10月】ネコ騒動
2005年の春、文法経1号館と2号館の間の自転車小屋付近でネコの集団が棲み着くようになった。最終的に、法科大学院の学生が卒業時に手分けして引き取り姿を消した。
- 1. 2005年6月15日。暑さでダレる猫たち。文法経1号館と2号館の間の道路。
- 2. 2005年9月5日。台風接近により、プラスチックのコンテナに避難する猫たち。
- 3. 2005年10月7日。自転車小屋でくつろぐ猫たちと、撤去指示看板。
- 4. 2005年11月2日。文化科学系総合研究棟の前でくつろぐ猫たち。巣箱は自転車置き場から、総研棟西端の外側階段下に移設され、その後、法科大学院の学生たちの手で引き取られていった。
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【2011年8月〜2012年4月】文法経1号館耐震改修工事(一期・西側部分)
耐震改修工事は二期に分けて行われた。建物西半分の工事は一期。その期間、心理学教室は自然科学研究棟5階に間借りした。
- 1. 2011年8月20日。第一期改修エリアの一次移転(引っ越し先への移転)準備状況。
- 2. 2011年8月23日。夜明け近くまで頑張って荷造り完 了
- 3. 2011年9月6日。移転先の都合で引っ越しが延期となり、古い研究室で待機させられて渋い顔をする私。
- 4. 2011年11月17日。第一期改修エリアの進捗状況。
- 5. 2011年12月21日。第一期改修エリアの進捗状況。
- 6. 2012年3月27日。二階にあったもとの研究室の改修前(写真下)と改修後(写真上)の比較。
- 7. 2012年4月23日。一次移転先の研究室(自然科学研究棟5階への引っ越しを喜ぶ私(写真左)と台車での運搬作業(写真右)
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【2007年12月〜2014年4月】図書館・時計台の改修×2
岡大・中央図書館と時計台(時計塔)は、2008年と2014年の二度にわたり改修されている。このうち2008年の工事では時計台の外装が大幅に造り替えられた。また、黒正巌先生像前にあった防火用の池が埋め立てられた。
改修工事がなぜ2回に及んだのかは不明だが、1回目の時は時計台の外装が大きく変わっただけで、館内に大きな変化は無かった。これに対して2回目は、時計台は全く変わらず、旧館の館内が大幅にリフォームされたと記憶している。
- 1. 1996年6月20日。時計台とネジバナ。
- 2. 1996年11月13日。時計台前のモミジバフウとカイノキの紅葉。
- 3. 2008年改修工事の推移。
- 4. 2010年3月4日。黒正巌先生像(青いシートでくるまれている)周辺の整備作業。なお、当初は針葉樹が植えられたじきに枯れてしまい、再度、植えられた別の針葉樹も枯れてしまって、けっきょく芝地となった。
- 5. 2013年改修工事の推移。
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【2013年2月】文法経1号館改修と中庭の環境整備
二期にわたる耐震改修工事終了にともない、文学部中庭も大きく様変わりした。かつて藤棚があったところは花壇となり、当初は農学部農場からもらった花苗で賑わっていたが、その後メンテが全く行われなくなり、見かねた某ボランティア教員により再整備がなされた。
- 1. 2002年4月19日。新緑の中庭。中央には藤棚あり。
- 2. 2004年4月19日。新緑の中庭。中央には藤棚あり。
- 3. 2012年10月13日。1号館改修工事のため、中庭の一部に作業員用施設や駐車場が設置される。
- 4. 2013年2月17日。コンクリートブロック敷き詰め作業。
- 5. 2013年2月19日。講義棟南にあった自転車置き場とカイヅカイブキが撤去される。
- 6. 2013年4月19日。改修後の新緑の中庭。
- 7. 2014年4月6日。藤棚跡は、農学部農場から頂いた苗で本格的な花壇になったが、メンテが行われなかったため、じきに雑草が生い茂る。
- 8. 2016年9月9日。ボランティア職員により再整備された花壇。ジニアやペチュニア。
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【2013年6月28日】一般教育棟西側・ヴィーナス像の破壊
2013年6月、一般教育棟西側の環境整備工事により、長年親しまれてきたヴィーナス像(←長谷川が勝手に命名)が破壊された。作者は分からないが芸術作品であることは確かなので、保管もしくは別の場所に設置されるものと思い込んでいたが、6月28日夕刻には「惨殺遺体」状態で横たわっていた。
この像については、そもそも誰の作品で、いつ頃からどういう経緯でここに設置されているのかが不明であった。写真上にもあるように、確かに芸術作品としてはイマイチで習作であるような気もするが、私が岡山に赴任した20数年前からこの場所にあって、雨の日も風の日も、夏の強い日照りのもとでも、寒風吹き荒ぶ冬の寒さのもとでも、一糸まとわぬ姿で立ち続け、私たちを見守ってくれていた。この像については、芸術的にイマイチということもあって、学生のあいだで話題になることは殆ど無かったと思うが、聞く話によれば、厳冬期に、ハダカでは寒かろうとマフラーがつけられたり、また、ウーマンリブが盛んだった頃には女性の裸を見世物にするのはケシカランということで服を着せられたというような逸話を耳にしたこともあった。
いずれにせよ、芸術的にはどんなに駄作と見なされたとしても、長年にわたって人目にふれる場所に設置されていた作品というのは、設置者や作者の意思を離れて、多くの人との関わりをつくるものである。設置者や作者が不要であると判断しても、重機の一撃で壊してしまったよかったのかどうかは疑問が残る。
- 1. 2010年3月21日。ヴィーナス像の頭上を、白蝶が舞うように咲く。
- 2. 2010年3月22日。明け方の風景。
- 3. 2010年3月26日。昼間の風景。
- 4. 2010年4月5日。辛夷と桜の花に包まれるヴィーナス像。
- 5. 2012年1月28日。氷上のヴィーナス像。
- 6. 2012年6月27日。破壊される前日のヴィーナス像。
- 7. 2012年6月28日。破壊される直前の最後の姿。(この時はどこかに移設されると思い込んでいた。)
- 8. 2012年6月28日。重機で破壊され、惨殺遺体化したヴィーナス像。
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