坂村健氏講演会TRONプロジェクト2002 〜ユビキタスコンピュータのためのオープンアーキテクチャー2002年3月11日(月) 岡山大学総合情報センター主催・岡山大学自然科学研究科大講義室 |
【思ったこと】 _20311(月)[電脳]坂村健氏の講演に感動するわたし(1)オープンアーキテクチャー/グローバルスタンダード 3/11に大学内で行われた坂村健教授(東京大学大学院情報学環・学術情報学府教授)の講演会を拝聴した。坂村氏と言えば、TRONプロジェクトのリーダーであり、日本で数少ないコンピュータ・アーキテクトとして世界的に名が知られている。15年以上前からそのご活躍ぶりを伝え聞いていた私にしてみれば、ビル・ゲイツに直接会うのと同じぐらいの重みがあった。 これだけの有名人が来られるのだからひょっとして満員札止めになるのではと思い、自然科学研究科棟・大講義室に20分前に駆けつけてみたが、まだ会場には20人ぐらいしか来ていなかった。それでも開始時刻には100人前後の聴衆が集まっていた。 今回の演題は「TRONプロジェクト2002 〜ユビキタスコンピュータのためのオープンアーキテクチャー」というもの。最近の講演会では使われることが当たり前になってしまったパワーポイントではなく、「卓龍」という縦書き漢字を背景とした、自前のB-TRONによるスライドで講演が開始された。ちなみに、このB-TRONは、坂村氏が購入したノートパソコンのハードディスクから「ディスクシュレッダー」でWindowsの残骸を完膚無きまで徹底的に削除した後にインストールされたものだという(←本当は、そこまで徹底しなくてもインストールできるらしいが)。 講演ではまず、「TRON」は「The Realtime Operating-systemNucleus」の略であることが坂村氏ご本人から語られた。松尾芭蕉が「奥の細道」の一節を自ら朗読しているような響きであり、まことに感動的であった。「realtime」はTRONの中心をなすコンセプトの1つであり、その重要性については、今回の講演の中でもたびたび言及された。次にユビキタスは「ubiquitous(遍在する)」という意味で、IBMでは「Pervasive」とも呼ばれる。日本語で通すならば、どこでもコンピュータ(Computing Everywhere)だ。 「TRON」は、1984年に坂村氏がプロジェクトリーダーに就任されて以来、その優れた性能とオープンアーキテクチャーの思想が支持を集め、学校教育用パソコンの基本OSとして導入される動きもあった。ところが、米国の理不尽なスーパー301条圧力などによって導入が見送られ、マイクロソフトによる独占化が進むようになる。この時点で私は、TRONはすでに実用化の道を閉ざされ、以後はもっぱら研究目的の開発が細々と続けられているものと思い込んでいた。ところが、実際は大違い。じつは、WindowsよりTRONのほうが2ケタ違いの多さで活用されているのだそうだ。 どうやら、私の誤解の根本は「コンピュータ=パソコン」という認識にあったようだ。コンピュータは実は車のエンジン、ビデオカメラ、FAX、レーザプリンタ、携帯など、さまざまな電子機器に組み込まれている。つまり、かつて坂村氏が提唱した「どこでもコンピュータ」はすでに個別には実現されている。これらを相互に連携させ、協調分散的ネットワークを構築することが21世紀に求められている。その際重要なことは、何十年というスパンで、常にどう使われるかを考え、理想と現実のバランスをとりながら全体デザインを行う姿勢であるという。 坂村氏は次に、TRONの話題から離れて、マイクロソフトの独占問題に言及された。以下、長谷川の言葉に置き換えて、大いに賛同できる部分をまとめてみたい(←あくまで長谷川の記憶に基づくものなので、坂村氏の論旨と異なる部分があればご容赦いただきたい)。 まず、坂村氏もご指摘のように、確かに今の日本では、マイクロソフトをどう考えるのかを発言する人は少ない。世界各国の中でマイクロソフトを独禁法で訴えていないのは日本だけであるという。 講演の後のほうでも言及されたが、かつてスーパー301条圧力がかけらた時も、米国の調査官はTRONとは何かさえ知らずに来日した。米国にとっての不公正とは、要するに米国の企業が日本で商売する時に困ることを意味するのである。 大学改革でもしばしば指摘されるところであるが、日本では、アメリカで使われていることをグローバルスタンダードとして無批判に受け入れる傾向がある。戦後50年以上たった今なお、自分の国について考えることがストレートにできないのである。3/1の日記で取り上げた「自由の女神像」など、まさにその象徴ではないかと思う。 もっともマイクロソフトの問題はもう1つ別のところにもある。クローズドな形で一企業に独占されたOSというのは、会社存続のために、2年おきぐらいでバージョンアップを繰り返されなければならない。これは私自身痛感することだが、そのためにお金がかかるばかりでなく、インストールや習熟に多大な時間的負担を強いられる。こんな不安定なパソコン環境を終生強いられるのはまっぴらである。 では、ハイテク企業が対米従属傾向を強め、もはや日本にはパソコン業界が無いとまで言われるようになったのはいつ頃からだったのだろうか。1ユーザーとしての私個人の印象では、NECがV30のような自社ブランドの開発を諦め、80286、80386、....というようにCPUの米国依存を高めたことと、ジャストシステムがMS-DOS2.11に依拠したワープロソフトを売り出し、その後いったん手がけたジャストウインドウからマイクロソフトのウインドウズに乗り換えたあたりが大きな転換点ではなかったかと思っているのだが、坂村氏によれば、1つにはIBMスパイ事件が大きな衝撃となり「コンパチは危ない」との風潮が広まったことが大きな契機になっているのだという。 マイクロチップとOS、つまり車で言えばエンジンとシャーシの両方の製造手段を奪われた日本のメーカーは、もはや自前で開発ができなくなった。ソフトウェア面でも、OSやドライバが公開されていなければ開発者は育たない。このあたりが辛いところだ。 講演の後半では、Linuxの話題、インターネットの問題点、「超漢字」のデモなどが行われた。次回に続く。 |
【思ったこと】 _20312(火)[電脳]坂村健氏の講演に感動するわたし(2)LinuxとTRONの違い/インターネットの問題点/アメリカ人にできないこと 昨日の続き。坂村健氏の講演の後半では、Linuxの話題、インターネットの問題点、「超漢字」のデモなどが行われた。 まずLinuxだが、はっきり言って私はこの件に関しては全く素人でありコメントできる立場にはない。知っていることと言えば、
いずれにせよ、Linuxに比べてTRONが優れているのは、次の2点であるという。
次にインターネットに関する話題。ご存じのようにインターネットプロトコル(IP)は、サーバーの場所や位置を無視するように作られている。ユビキタスはこれに対して、人間の生活空間を認識しているかどうかという点で決定的に違うという。 一例として、目の前の自販機からネットを経由して缶飲料を買う場合を考えてみるとよい。わずかそれだけのことをするのに、インターネットではわざわざ遠方のネットを経由しなければならないのだが、TRONでは、もう少し場を活かしたリアルタイムは働きかけができるようだ。もっとも、私に言わせれば、自販機から缶飲料を買うだけだったら、コインをチャリンチャリンと穴に入れてガチャリと缶を出せば済むこと。わざわざコンピュータを介する必要は無いようにも思えた。 ま、それはそれとして、何でもかんでもパソコンでやろうとすると無理があることは、講演を拝聴してよく分かった。それは包丁の達人がバナナジュースまで包丁で刻んで作るようなものだという。とにかく、携帯電話のようなコミュニケーションマシンの進化形として実現し始めているのだ。これはセキュリティ問題に関しても言えるものであり、しょせん、パソコンはコピーマシン、常駐している状態では秘密もプロテクトもあったものじゃない(←これは長谷川の言葉)。 もう1つ、「協調/妥協動作」という概念も参考になった。複数の人間が関与するような環境では、Optimalな解の無いアルゴリズムが求められる。たとえば教室の室温を何度に保てばよいか、といった議論などだ。 もっともこれも私に言わせれば、能動的な人間たちが少しの時間を割いて話し合って決めればそれで済むこと。わざわざコンピュータに判断を仰ぐ必要があるかどうかは疑問であった。この件を含め、「どこでもコンピュータ」が人類にとって本当に有用なものかどうかは、もう少し慎重に考える必要があるように思う。少なくとも、人間が能動的に活動できる機会を奪ってはならない。 それと、私個人は、できる限りディスクトップのパソコンだけを使うようにしている。携帯は決して使わない。このことによって、仕事空間と、コンピュータから離れる空間のけじめがつけられる。もし生活空間の隅々までコンピュータが関与するようになると逆に煩わしさが出てくるのではないかと思えるところもある。 講演の最後では「超漢字」のデモが行われた。確かに、1つのコードにまとめ上げられてしまう複雑な漢字の表記(たとえば、「高崎」さんの「崎」の字体とか、スッポン「鼈」の異字体など)、あるいは、日本語テキストの中に中国語や韓国語の文字を入れるところなどはTRONならではの強みだろう。少なくとも、中国文学の先生だったら飛びつくはずだ。 以上が長谷川が受けとめた坂村氏の講演概要と感想である。もう一度まとめると、TRONのコンセプトは「リアルタイム性」と「オープン」にある。リアルタイム性とは、μsecオーダーを保証するということだけでなく、遍在性という点でも重要。「オープン」に関しては、TRONはAPI仕様のみを規定するだけであり、いまや組込型OSとして実績No.1を誇るようになった。 終了後、5分ほど質疑の時間が与えられたのでさっそく私からも1つ: 朝、妻に「今日、坂村健先生の講演があると言ったら、坂村先生って誰?と聞かれたので、日本のビル・ゲイツみたいな人だと答えたのですが、本日の講演を拝聴して、そのような言い方は坂村先生にとって大変失礼な例えであることがよく分かりました。というような内容であった。これに対して坂村氏の回答は、TRONはOSであるので、翻訳機能まではサポートしない。しかし、リアルタイム性を活かしたアプリケーションソフトの開発も行われつつあるというような内容であった。 時間が限られていたのでこれ以上の質問はできなかったが、私の質問の趣旨は2月2日の日記に基づくものであり、要するに、英語しか使えないアメリカ人に打ち勝つには、
御講演のあと、坂村先生はどういう機種のケータイを使っておられるのか、こっそり観察してやろうと思っていたのだが、名刺交換が長引いていてその機会を逸してしまった。それと、坂村先生は私より10歳は年長であろうと思って拝聴していたのだが、ネットで出生年を拝見してビックリ。なっなんと、1951年生まれ、つまり私より1歳年上なだけではないか。同じ地球上に生まれながら、50年間に成し遂げた仕事の量は、あまりにも違いすぎる。坂村先生は卯年で私は辰年生まれだが、体の大きさで比較するならむしろ逆であり、私の実績など、龍と比べたウサギぐらいの大きさにしか値しないと言えるだろう。まっ、そんな比較をしたところで、人生をやり直せるもんでもないけれど.....。 [※追記]ケータイの機種については、その後「・ミカカの三●でした。5シリーズか2シリーズかは忘失しましたがフリップタイプのやつです。」という極秘?情報を頂戴した。 |