リハビリテーションのための行動科学研究会2002年6月16日(日) 広島県立保健福祉大学(広島県・三原市) |
【思ったこと】 _20616(日)[心理]「リハビリテーションのための行動科学研究会」(前編) 6月16日(日)の10時から17時まで、リハビリテーションのための行動科学研究会が広島県立保健福祉大学(広島県・三原市)で開催された。理学療法士、作業療法士、看護師、介護施設関係者など約120名が参加。第1回目のこの日は、三原市で附属幼稚園・小学校・中学校の校長を併任されたこともあるという広島大名誉教授の河合伊六先生、日本行動療法学会の常任理事を務められている関西学院大学・社会学部教授の芝野松次郎先生、それと、長谷川が基調講演を行い、さらに、筑波技術短期大学の小林和彦先生や広島保健福祉大学の岡崎大資先生が、理学療法の立場から具体的事例を紹介しシンポジウムを行った。かつて長崎の医療短大に籍を置かせてもらったことのある私としても、リハビリテーション関係者と行動科学研究者が一同に介して保健医療向上のために語り合うことは長年の願いであった。今回、保健福祉大のスタッフのご尽力によりこのような常設研究会が立ち上げられたことに深く感謝したい。 午前中は、まず、河合先生から「高齢者ケアに対する行動分析学の歴史と展望」という講演が行われた。河合先生は、高齢者に対する行動分析的アプローチが遅れていた理由として、
2番目の芝野松次郎先生は、ミシガン大学大学院でMaster of Social Work、シカゴ大学大学院でPh.D.を取得された豊富な在外経験に基づき、Bear & Pinkston の『Environment and Behavior』、Goldiamondのダイアグラム、Lindsleyのprosthetic(補綴) environmentの概念が紹介された。 ところで、これまでこのWeb日記などで紹介してきた「行動随伴性」概念は「直前→行動→直後」というダイアグラムで行動が環境に及ぼす影響を考えるが、河合先生や芝野先生は、先行要因(弁別刺激等)を重視した「三項随伴性」の概念を前面に出して、諸行動の生起を説明された。この違いについては、明日以降の続編で詳しく考察することにしたい。 Goldiamondのダイアグラムの興味深い点は、「行動→結果」をセットとして、それがさまざまなoccasionに対応してhierarchy(階層)を構成するという考え方である。ひとくちに行動の強化とか弱化とか言っても、行動は場所や文脈を選ばすに好き勝手に生起するものではない。よく起こる行動と滅多に起こらない行動を階層的の捉える上で有用なツールになりうる発想だ。なお、こうした階層は、abstractionkonコントロールと、instructionコントロールを受ける。前者は直接体験に基づくもので、時間は要するが忘れにくいという特徴がある。いっぽう後者は、ルール支配行動のようなものであろう。 Lindsleyの「補綴的弁別刺激」という概念も興味深い。これによって、問題行動自体を弱化するというよりも、問題行動より望ましい行動の出現順位を上げるようなコントロールが可能となる。 芝野先生が紹介された生活環境マネジメント(デザイン)行動というのは、先行事象の管理、つまり、「自分の行動に自分で結果を与える」というより「適切な行動が起こりやすい環境を自ら用意する」に重点が置かれているようだ。 昼食後に行われた長谷川の講演では、行動分析は従来、具体的な行動の変容・維持のための技法、つまり
後半ではさらに、そのツールの活用のしかたや、セラピーの2つの役割についても論じられた。大切なことは、「能動」が適切に強化されることにある。この視点に立てば、スポーツ選手が怪我で体を動かせなくなっても、研究者が痴呆により知的活動に従事できなくなっても、それまで続けていた活動に代わる能動がある限りは決して不幸になることはない。哲学の道を究めることは尊敬に値するが哲学を全く知らないゆえに不幸になるわけでもない、また、痴呆が進行して近親者の見分けがつかなくなったとしても、そこで展開される新たな能動があれば、その人は充分に幸せでいられるということだ。 さて、今回の3者の講演で、行動の先行要因を重視する河合・芝野両先生の「三項随伴性」概念と、長谷川が強調した結果の質や随伴のしかた(強化スケジュールなど)を重視する「行動随伴性」概念が、異質のものなのか、矛盾するものなのか、疑問をもたれた方々もおられたのではないかと思う。私は、これは、ツールを求める際の要請(ニーズ)の違いではないかと思う。話が長くなるので、続きは次回以降に。 |
【思ったこと】 _20617(月)[心理]「リハビリテーションのための行動科学研究会」(後編)「行動の制御」が目的なのか、「行動の中味」が問題なのか 昨日に引き続いて、6月16日(日)の10時から17時まで行われた、第1回リハビリテーションのための行動科学研究会の話題。 今回の3者の講演で、行動の先行要因を重視する河合・芝野両先生の「三項随伴性」概念と、長谷川が強調した結果の質や随伴のしかた(強化スケジュールなど)を重視する「行動随伴性」概念が、異質のものなのか、矛盾するものなのか、疑問をもたれた方々もおられたかもしれない。 結論から先に言えば、これは、「行動の制御」が目的なのか、「行動の中味」が問題なのか、という要請の違いの表れではないかと私は思う。 ここでもう一度、オペラント行動とは何かから考え直してみよう。「オペラント」、「レスポンデント」というのは、刺激によって誘発されるかどうかという基準で行動を二分する概念であり(←他の基準を持ち込む人もいる、念のため)、
※ 今回のシンポで河合先生から、スキナーは晩年、「自発/emit」より「生起/occur」を使うようになったという御指摘があった。いずれにせよ、ここでいう「自発」は「内発的な意志」のようなものを前提にしていない。物理現象「放出」「放射」というような意味に近い。ということになる
これらの事例から分かるように、オペラント行動は、いつ生じるかを正確には予測できない。ただし、
以上、教科書的な復習をしてきたわけだが、現実場面では、上記にかかわらず、
1.は特に、あるタイプの知的障害者や精神障害者が「突発的」に起こす「挑戦的行動」(攻撃、自傷、器物破壊など)にどう対応するのかを考える時に重要である。最近刊行された『挑戦的行動の先行子操作〜問題行動への新しい援助アプローチ』(ルイセリー・キャメロン編、園山ほか訳、二瓶社、2001年)で論じられているように、従来、この種の行動改善は、問題行動が起こった時にタイムアウトなどの弱化の手続をとったり、過剰修正、他行動を強化するなど、どちらかと言えば、「行動が起こったあとの結果を操作する」形で対応してきた。しかし、問題行動の多くは、「ちょっとしたきっかけ」に過敏に反応するなかで生じてくることが多い。であるなら、その「きっかけ」を分析し、先行事象を適切に管理することのほうがはるかに効果的となる。 なお、先行事象を管理するということは、目的によっては、マインドコントロールにも使われる恐れがあるので注意が必要。というか、我々が日常社会の中で、物を買ったり、旅行を思い立ったりするのは、たいがいの場合、CMによって知らず知らずに先行事象を管理されていると言うべきかもしれない。 上記2.の「場の状況や文脈に合わせて確実に行動する」ということは、まさに「適応」そのものを意味する。望ましい行動を増やし、問題行動を減らすといっても、場所をわきまえずに行動していたのでは適応的とは言えない。食事は台所で、排泄はトイレで、集団行事の時には協調的に、というように、それぞれの場所や文脈に合わせて適切な行動が生起することが求められる。これはつまり、弁別刺激を適切に利用できるような行動を形成するということであり、やはり三項随伴性の概念的枠組みがどうしても求められる。 以上は、どちらかというと、問題行動(挑戦的行動)をどうやって未然に防ぐか、あるいは、特定の場所や文脈の中で適切な行動をいかに生起させるかという要請(ニーズ)に基づく分析であった。この場合、とにかく、当該の「行動が起こること(起こらないこと)」自体が目的なのであって、それをどういう結果操作で実現するのかは手段にすぎないということになる。 これに対して、長谷川が提唱しているような ●どのような行動随伴性が生きがいにつながるのかを調べる。 という視点に立つと、行動の結果操作は決して手段ではなくなる。見かけ上全く同じ行動が起こっていたとしても、それがどのような随伴性で強化・維持されているのかを見極めなければ、生きがいには結びつかない。なぜなら、生きがいとは、行動そのものでなく、結果を手に入れることでもなく、「行動して強化される」という両者のセットの中に存在すると考えているからである。 この要請(ニーズ)を重視するならば、行動が起こるきっかけというのはむしろ二次的な問題なのであって、肝心なことは、すでに起こっている行動が、一定時間なり一定期間、どういう随伴性で維持されるかという部分なのである。 このように考えていけば、三項随伴性の枠組みを重視するか、それとも、もっぱら、「行動とその結果」の部分を重視するかということは、決して対立するものではない。単に、要請(ニーズ)の違いを反映したものと見なすことができるかと思う。 |