にんげんゆうゆう「新老人の時代が来た〜日野原重明医師に聞く」2002年9月9日(月)〜9月12日(木)放送(再放送は翌日の昼) |
【思ったこと】
_20910(火)[心理]日野原重明先生と新老人(1) いつものように「今日は何の日」(←この日の話題は、土佐のマザーテレサと呼ばれた荒木初子さんの話だった)を視ながら昼食。食器を片づけながらチャンネルを回すと、NHK教育「にんげんゆうゆう」がちょうど始まるところだった。今週の話題は、「新老人の時代が来た〜日野原重明医師に聞く」。運のよいことに月曜夜の1回目の再放送であった。これは聞き逃してはなるまいと、さっそくメモを取りながら放送に聞き入った。 日野原先生のお考えについては、1年近く前のことになるが、「家族介護者教室“「老いる」ということ〜感謝し感謝されるかかわりを大切に〜”」という高塚延子先生の講演(2001年10月7日の日記参照)の中でビデオを通じて紹介されたことがあったが、時間的制約から断片的なものにとどまった。この機会に4回分すべてを拝聴したいと思う。 日野原先生は今年の10月4日で91歳になられるという。すでに95冊の著書を著し、10の団体の会長や理事長をつとめる。休日はなく、相変わらず1時就寝、6時起床を繰り返し、日帰りで遠方まで講演に行ったり、病院内で回診をしながら、医学や看護の学生を相手に患者さんへの接し方を指導しておられる。4年後に行われる国際学会でのメイン講演までスケジュールに入っているそうだ。 日野原先生によれば「高齢者」という呼称自体が年齢で差別をすることにあたる。「老」に「老廃物」とか「老醜」といった言葉があるが、中国ではもともとは尊敬を込めて使われていたらしい。なるほど、「高齢者」の呼称は慎重に使うべきことがよく分かった。ちなみに、「成人病健診」を「人間ドック」、「成人病」を「生活習慣病」に改めさせたのも日野原先生の働きかけによるところが大きいらしい。 昨年のビデオでも取り上げられていたが、65歳以上の老人のうち、介護を要する人は25%、寝たきりの人は5%にすぎない。50%は自立した老人であり、25%は特に優秀な自立老人。この優秀者を増やすことが求められている。そのさい肝心なのは、ちょっとでも故障があるとすぐ「療養、療養」に走るのではなく、機械で言えば、古くなっても手入れをしてもっと動かすという姿勢にあるという。体も頭も使わないとイケナイ。このあたりは、能動性を重視する行動分析の発想とよく似ているように思えた。 昨年の日記にも書いたことだが、「老人」というと、どうしても、マイナスのイメージが漂うが、じつは、まだまだ現役を続けられる人たちがかなりの比率に上っている。自立と能動を求める老人たちが活躍できる機会をいかに保障するかが、老人福祉の最大の課題となるだろう。 |
【思ったこと】
_20911(水)[心理]日野原重明先生と新老人(2) 昨日の日記の続き。シリーズ2回目は、日野原先生がお作りになった「新老人の会」の話だった。高塚延子先生の講演(2001年10月7日の日記参照)の時にも紹介があったが、新老人の心構えは
このうち「創(はじ)める」に関しては、M.Buber(ブーバー)の「新しく始めることさえ忘れなければ、人はいくつになっても老いることはない」という言葉が引用された。もっともいま記したのはTV画面に文字として流されたフレーズ。日野原先生ご自身の口から出た言葉は「新しく始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くおられる」というもの。原典はどうあれ、「老いることはない」より「若さを保つ」ということのほうがポジティブな表現であると思った。 この「創める」というのは、今までやったことはないということに挑戦することだが、単に自分の趣味を増やすということではなく、世代間の交流を重視し「老いてこそ輝く 次の世代の目標になる」、「新老人が若者を導き、日本を変える」という方向性を含むものである。冒頭では、パソコンとEメイルの使い方を覚え、孫が小学校に入った頃に教えられるようになるという事例が、また、番組の終わりのほうでは、戦争体験を語り継ぐことがmissionになっていると強調されていた。そのためには、Body(体の健康)、Mind(心の健康)に加えて、Spirit(←志というより魂)が必要であるという。なお「創める」については次回に詳しく述べたいと思う。 3つの心構えの3番目の「耐える」に関しては、昨年視たビデオで、よど号乗っ取り事件の時に犯人たちに手を縛られた時にも耐えたというエピソードが紹介されていたこともあって、単に我慢することぐらいにしか思っていなかった。今回のお話によると、年を取れば、肉親の死など悲しいことがいっぱいあるが、悲しみ、そして一緒に悩むことによって感性が磨かれるという積極的な意味を含まれているようだった。 もう1つ、W.ワーズワースの「生活は簡素に、志は高く」のフレーズを引きながら、文明はほどほどという話が印象に残った。これに関連して、何気なく「生きることは能動的なこと」と語られたことは、まさに行動分析的な発想と共通しており、「能動主義の心理学」を提唱する私としても大いに元気づけられた。 年を取ると、行動のリパートリーの面でも活動性全般においてもどうしても下降線と限界を意識しがちであるが、日野原先生のように「常にクレッシェンド(crescendo)、お召しが来たら終わり」という発想で能動的な働きかけを強めていく姿勢を学び、自らも実践していく必要があると思った。 「少子高齢化社会」と言う時、私たちは、すぐ「若者が減り、高齢者の介護ができなくなる」という発想に結びつけてしまうが、昨日も書いたように、「高齢者イコール要介護者」ではない。元気なお年寄り(日野原先生の言葉では「老人」)の比率が増えるということは、それだけ、老師の知恵が活きる社会になるという側面もあるはずだ。 |
【思ったこと】
_20912(木)[心理]日野原重明先生と新老人(3) 昨日の日記の続き。シリーズ3回目は、日野原先生ご自身の「新老人」としてのご活躍ぶりが紹介された。冒頭では、ソフトボールに初挑戦をするという話、さらにミュージカル「葉っぱのフレディ」の脚本作りの話、ご自身が作詞作曲したボランティアの歌のピアノ演奏、音楽療法の普及と「音楽療法士」の資格化のご努力、医師としての回診のご様子などなど、驚くほど多彩だった。 このうちフレディのお話は、昨年秋の高塚延子先生の講演(2001年10月7日の日記参照)でも伺ったことがある。あの時は「生と死」のテーマに焦点が当てられていたが、そもそもなぜミュージカルなのかということが分からなかった。今回のお話によれば、そこには、3世代が一緒に楽しめるからという理由があったようだ。 さて、私たちが何かを「創(はじ)め」た時には、
「新しいことを創(はじ)める」に関しては、いや、そんなことよりも、昔の仕事をもう一度やってみたいという人も居るのではないかと思った。以前日記にも書いたことがあるが、新潟県長岡市の病院「ビハーラ病棟」では、末期ガンの患者さんに、好きな作業ができる機会を作っていた。大工さんだった患者には木工室でベンチを作ってもらう、板前さんだった患者にはスタッフのために料理を作ってもらうといった具合だ。このように昔がんばっていたことを再現することも重要であろう。また、同じ山に1000回登るというように、いま続けている行為に累積的な成果を付与していくことも大切だと思う。 もちろん、新しいことを創(はじ)めることができれば、それだけ行動のリパートリーが増え、異質な行動内在的好子を得られるという楽しみはあるに違いない。とはいえ、チャレンジする領域が未知であればあるほど、スキルの獲得には困難をきわめるはずだ。私なども、なんでも可能になるというなら、飛行機を操縦したいとか、宇宙飛行士になって月や火星に行ってみたいといった夢はあるが、まず不可能。しいてできることは、「じぶんの知識や技能が“更新”された時にその内容を記録し、昨日と違うじぶんを作っていく」ことぐらいだろう[こちら参照]。 音楽療法で病を癒すという取り組みは、日野原先生がカナダに見学に行かれ、末期ガンの患者さんたちが、療法士との合奏、あるいは患者さん自身が作った詩に療法士が即興でメロディをつけるといったセラピーを行っていることに感動し、音大の学長に働きかけて夜間コースを作ったことから始まったようだ。日野原先生ご自身が会長をされているとは知らなかった。 現在、音楽療法士の資格化については国会での法制化待ちであり、また併せて、音楽による脳内ホルモンの変化などについて実証研究を進めておられる最中だという。実証研究が無いと健康保険の対象にならないという問題があるからだ。 もっとも私個人としては、いろいろなセラピーの有用性を、医療効果だけで論じることには疑問を持っている、こちらでも論じたようにセラピーには2つの役割があり、このうちの医療効果、特に癒し効果にあたる部分については、個体差もあるし、実験研究の限界もあって、実証はなかなか難しい。 医療保険の枠組みにこだわらず、高齢者施設やターミナルケアの現場で、入所者や患者のどういう権利が奪われているのかに目を向ける必要がある。例えば音楽を生きがいとしている人には、施設入所後にもそれを楽しむ権利を保障すべきである。その時に自力でできない部分をサポートするのが本来の音楽療法士の役割だろう。番組では、患者さんが、次に療法士がやってくるのを心待ちにし、それ自体が生きがいのもとになると言っておられたが、それを見ればわかるように、音楽を聴くこと自体よりも「次の機会まで待つ。それを楽しみにして生き続ける」ことに最大の意味があるのだ。 同じように、「ひとりでは自由に園芸をできないので、専門家(園芸療法士)の支援で園芸の効用を享受する」ことは「園芸療法」になるし、対象者が、絵画、写真、書道、演劇、動物飼育、天文、登山などで楽しむことをサポートすることも広義のセラピーに含めればよい。要するに、患者や高齢者全般が能動的に働きかける権利(そしてそれが強化される権利)を保障し、それを経済的に支援することが大切なのであって、医療効果があったか無かったかなどは二の次の問題だ。 元の話題に戻るが、番組の終わりのほうでは日野原先生ご自身の回診場面が紹介されていた。患者さんの目の高さに合わせて座り、手をにぎりながら語りかけるという診療をする医師はなかなかいない。若い医師の中には、患者さんの背中に手を触れることもせずに「痛いのはどこですか、肩胛骨の上ですか下ですか」と聞くだけであったり、また、コンピュータや診療器具の目盛りばかり見て患者さんには顔を向けない者がいるというが、やはり肝心なのは「手当」の文字通りの意味、「手を当ててタッチで診断する」という姿勢なのだろう。 |
【思ったこと】
_20916(月)[心理]日野原重明先生と新老人(4)「良く死ぬということは良く生きること」/「唯生論」 先週の木曜日の日記の続き。「にんげんゆうゆう」のこのシリーズは4回完結となっていたが、木曜夜放送・金曜昼再放送の4回目は、種々の都合によりビデオ録画により視ることとなった。4回目は、「死」という難しい問題についての日野原先生ご自身の解答であった。 過去3回もそうだが、日野原先生のお話に納得する点が多いのは、何と言っても長年の経験の裏打ちがあるからだ。私のような若僧がいくら理屈をこね回しても、90年のご経験に太刀打ちできるわけがない。じっさい、今回の「死」についてのお話も、医師としての長年のご経験に基づくものであった。日野原先生がこれまでに死を看取った患者さんは、空襲の犠牲者を含めれば4000人、ご自分が長期間診療された患者さんだけでも1500人〜2000人にのぼるという。 日野原先生の「死」への関わりは、医師になったばかりの時、肺結核を患っていた16歳の少女の死に直面した時から始まる。その少女から、母親にあてた遺言を頼まれたにもかかわらず、すでに死を受容していた少女の気持ちを否定して「そんなバカなことを言うな」と延命措置を講じる。その反省から、命の質、つまり命というのは長さではなく深さが大切なのだと考えるようになった。 日野原先生は、10年ほど前に日本初の独立型ホスピス「ピースハウス病院」を設立された。そこでは、延命措置ではなく、モルヒネによる痛み除去(←痛みが一番ミゼラブルだという)やマッサージなどが行われている。また各病室の医療器具は木製の棚の中に、また医療スタッフは白衣を着ないなど、病院をイメージさせないような工夫が各所に施されている。残された命を質高く生きるというのは、ちょうど、丘の上に立って夕日を受けながら自分の長い影を見るようなものだという。富士山を眺めながら死にたいという患者さんも遠くからやってくるという。 日野原先生によれば、最も不幸な死とは、戦争や事故などで殺されること。これはまだ生きられる可能性が奪われてしまうためだ。では、これに対して、良く死ぬとはどういうことか。その結論は、 ●良く死ぬということは、良く生きるということ。どう生きるかという努力が、その人の死をデザインする。 というものであった。シリーズ4回の内容から推測するに、良く生きるということは、大きなビジョンを持って、日々いっしょうけんめい生きるということに尽きるのだろう。ちなみに「大きなビジョン」というのは、R.ブラウニングの ●小さな円を描いて満足するより、大きな円の一部である弧になれ という言葉に通じている。 以上が、私自身が聞き取った内容である。そのなかでいちばん強く感じたのは、お話の中からは、天国や来世、あるいは信仰にすがるような言葉が一度も現れてこなかったことであった。これは、スキナーや宇野千代さんの生きざまにも共通していた。どの方々にもそれなりの信仰はあるだろうし、それは日野原先生の「いつ召されても」とか「私が与えたものより受けたものが多いことへの感謝」という言葉の中にも含まれているに違いないが、とにかく、現実にあっては「死んだら天国に行きたい」とか「来世は楽をしたい」などと考えず、いまをよく生きるということに専念しようという発想だ。この発想は、“One world at a time”、つまり、来世や天国を信じようと信じまいと、とにかく現世で最善を尽くすという生き方にも通じるようにも思える。あるいはもっと極端に言えば「唯生論」ということになるのかもしれない。 この「唯生論」というのは、「唯物論」vs「唯心論」の対立軸とは全く異なる物の見方、つまり、この世界では「生きる」ことのみが存在し、それだけが唯一の関心事であるという考えることである。それに対して、「いかに死ぬか」というように死に方や死の意義づけを重視するのが「唯死論」ということになる。 ちなみに行動分析で言われる「死人テスト」とは「死人でもできることは行動ではない」という基準で「行動モドキ」をふるい落とし、残された真の行動だけについて考える。この点、行動分析は紛れもなく「唯生論」である。 もう1つ、上掲のR.ブラウニングの「大きな円の一部である弧になれ」という生き方だが、こちらの感想でも触れたように、これは現実にはなかなか難しいことだ。なぜなら、いくら当人が弧を描いていると思っていても、それが大きな円の一部になるのか、全く余計な落書きになるのかは、ずっと後になってみないと分からないからである。なかには、9/11の日記[2002年10月以降はこちらに移動予定]に書いた田中一村画伯のように「50年後、100年後に認められればそれでいい」という信念で固められる人もおられるだろうが、下手をすれば、「自分が描いているのは大きな円の一部なのか、それとも落書きなのか」、一生迷い続けることにもなりかねない。やはりこのあたりは、 ●自分は大きな木から岩盤の割れ目に潜り込もうとしている細い根っこである。伸びた先に水があるかどうかは分からないが、とにかく根っこの一部なんだ。 と気楽に考えて頑張ってみるぐらいがよろしいのではないだろうか。自分が根っこの一部としてどれだけ水分や養分を運んでいるかは分からないが、すでに朽ち枯れていても風に押し倒されないための支えにはなっているかもしれない、少なくとも、この樹木の害虫にはなっていないはずだという生き方である。 [※9/17追記]「唯生論」という言葉は、上記の趣旨とは異なった意味でも使われている。ネットで検索したところでは
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