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サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来


2006年2月4日(土)
東京大学・東アジア研究型大学連合(AEARU)・日本経済新聞社 共催
サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) 公開シンポジウム
場所:東京大学・安田講堂

目次
  1. (1)小池・環境大臣の講演
  2. (2)小宮山・東大総長の講演
  3. (3)エイモリ・ロビンズ氏の講演
  4. (4)佐和隆光氏の講演
  5. (5)総合討論


【思ったこと】
_60204(土)[心理]サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来(1)小池・環境大臣の講演

 東大・安田講堂で行われた

●サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S) 公開シンポジウム:「サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来」
(2006年 2月 4日 (土) 13:00 〜 17:00 東京大学・東アジア研究型大学連合(AEARU)・日本経済新聞社 共催)

に参加した。会場は超満員。将来の夢を語るというよりも、とにかく今やるべきことは何か、具体的な課題に取り組むための積極的で具体的な提案が行われた。そのいっぽう、行動科学、行動分析学の視点が不足しているなあという印象も受けた。




 シンポではまず、小池百合子・環境大臣が

●「サステイナビリティ:21世紀・日本の挑戦」

と題する記念講演を行った。

 小池氏はまず、consensusを得る時代からconvinceの時代に入っていること、クールビズが単なるファッションではなく28度の設定温度のもとで実施され成果をあげたことなどを指摘された。その上で、2050年といった長期的な視野に立って、日本が取り組むべき方策について、環境省のビジョンを紹介された。

 この「超長期ビジョン」ということでふと思い出したのが、ちょうど1年前に参加した我が国の高等教育の将来像に関わるFDセミナーであった。2005年2月7日の日記にも記したように、中教審の答申は「中長期的(平成17(2005)年以降,平成27(2015)年〜平成32(2020)年頃まで)に想定される我が国の高等教育の将来像」と記されていることから示唆されるように、じっさいには概ね15年先の将来像までしか想定されていない。その時には
代議制民主主義の社会にあっては、内閣は3〜4年で交代し、それとともに基本政策自体が大きく揺れ動いていく。そういう中では、30年先、あるいは百年の大計というのは、政策策定の指針として殆ど意味をなさない。
というような話を聞いたが、環境政策でそんな中期的な方策をとっていたのでは、気づいた時には取り返しのつかない環境破壊に陥っているかもしれない。そういう意味では、とにかく、いま現在蓄積されている知識をもとに可能な限りの予測を行い、最善の方策を示していくことはぜひとも必要であると思う。

 ところで、他の話題提供の中でも共通して言及されていたが、50年、100年後の各国GDPは、今の1位アメリカ、2位日本、3位ドイツ、... といったランクが大幅に変動し、

1位中国>2位アメリカ>3位インド>...>日本

と予測されているようだ。これは人口規模から言ってもたぶんそうなるであろうと思えるふしもあるが、いくらITや海外アウトソーシングで発展めざましいとはいえ、元来資源が乏しく、また古い慣習や身分制度からなかなか脱却できないインド国がそこまでの上位に上がるとは信じられないところもある。もっとも、この予測はあくまで国全体の経済力であり、1人あたりの水準がそこまで伸びるというわけではあるまい。これは1位になると予測されている中国についても言える。いっぽう、旧ソ連時代には張り子の虎的な面があってもとにかくアメリカと競い合っていたロシアは、50年後においてもそれほど発展しないものと予測されているようだ。なお、話題提供の中でも指摘されたが、地球が温暖化すればロシアは暖かくなるので得をするというのは大間違い、凍土からメタンが発生し、大規模な山火事に襲われて最も大きな被害を受けることになる。




 何はともあれ、グローバルな環境問題を考えるにあたっては、中国やインドの存在は無視できない。そういう中にあって、国際的な影響力が低下しつつある日本がどういう役割を果たせるのか、このあたりの展望は、次の小宮山宏・東大総長の講演の中で語られた。

【思ったこと】
_60205(日)[心理]サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来(2)小宮山・東大総長の講演

 小池・環境大臣による記念講演に引き続き、小宮山・東大総長(サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長)による

●「サステイナビリティ学の創生:『課題先進国』日本からの発信」

というテーマの基調講演が行われた。

 小宮山氏のお話で特に大切であると思ったのは、
  1. 細分化した専門領域間の連携の重要性
  2. 『課題先進国』日本で研究を行うことの意義
 という2点であった。



 小宮山氏はまず、20世紀は「膨張の世紀」として特徴づけられることをいくつかのデータに基づいて指摘された。この100年のあいだに、世界の人口は3.5倍、穀物生産(米、小麦、トウモロコシなど)は7.5倍、エネルギー消費は20倍、CO2排出量は1.23倍というように膨張した(←あくまで長谷川のメモに基づく)。そして、これまで局所レベルで問題となったことが地球全体に影響を及ぼすようになってきた。

 じつは、こうした膨張は「知」においても起こっているのである。例えば、我々が子どもの頃に習った光合成の知識は、日光、水、酸素、二酸化炭素だけからなるシンプルなものであったが、そのメカニズムに関する「知」は今や数百倍、数千倍にも膨張し、1人の人間の頭脳では到底カバーしきれなくなってきた。

 ここでちょっとツッコミを入れさせていただくが、小宮山氏が提示された光合成のスライドは前にも拝見した記憶があった。東大の研究組織が学部自治の時代から何十にも細分化していったかを図示したスライドも見覚えがあった。

 Web日記のログを辿ってみたが、どうやら2004年6月12日のシンポでも使われたのではないかという気がしてきた。あの時のシンポは、

新生記念シンポジウム「智慧の環・学びの府:せめぎあい、編みあがる情報知」

というテーマであったが、今回は、同じ智慧の環であっても、サステイナビリティ学ということで具体的な方向性がはっきりしている。最高学府である東大を頂点としたネットワークがこの問題に真摯に取り組むことは大いに意義があると思う。

 もとの話題に戻るが、とにかく、専門領域は細分化され、1つの領域内では当たり前のこととして受け止められている前提や「常識」が、他の領域では通用しなくなっている。21世紀は、そういた細分化された「知」の構造化が必要であるというのが、基調講演の第一の論点であった。




 さて、それではなぜ日本でサステイナビリティの研究を行うことに意義があるのか。ここに『課題先進国』日本という発想が出てくる。周知のように今の日本では
  • ヒートアイランド現象
  • 資源不足
  • 廃棄物増加
  • 環境汚染
  • 高齢化
といった諸問題が多数生じているが、これらはすべて21世紀の地球の縮図であり、また、世界の中で日本こそ、もっとも早く顕在化していると考えることができる。それゆえ『課題先進国』がこれらの問題の解決に成功すれば地球全体が救われる可能性がある。いっけん内向きの研究であるように見えるが、内向きに考えれば考えるほど国際的な規準になっていくのである。このような視点で地球社会人間のシステムを再構築することは大いに意義があるというのが第二の論点であったと理解した。




 ところで、今回のシンポのキーワードである「サステイナビリティ」については、 で、分かりやすい講演を拝聴したことがあった。このうち後者の講演者は、中島恵理・環境省地球環境局地球温暖化対策課係長(当時)であり、今回の小池環境大臣の配下ということになるが、今回は、「ローカライゼーション(localization)」やエコマネーについての言及は一切無かった。サステイナビリティについて取り組みの流れがどこまで連携できるのかについて、もう少し調べてみたほうがよさそうだ。また、私の大学は「自然と人間の共生」を理念にかかげておりサステイナビリティに関する研究でもそれなりの成果をあげているはずなのだが、東大を中心とした今回のIR3Sのプロジェクトには加わっていない模様だ。このあたりも調べておこうと思う。

 もう1点、過去の講演では「sustainable」は「サスティナビリティ」とカタカナ表記されていたが、今回は「サステイナビリティ」というように、「サステ」のあとの「イ」が大文字になっている。確かに、英語の発音記号によれば「ティ」ではなく「テイ」と発音するほうが正しい。過去記録はいちいち訂正しないが、キーワードで検索する時は「ティ」と「テイ」の両方別々に入れたほうがよい。ちなみにGoogleno検索では2006年2月6日現在、「サステイナビリティ」で23600件、「サスティナビリティ」で40700件がヒットしている。

【思ったこと】
_60206(月)[心理]サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来(3)エイモリ・ロビンズ氏の講演

 小宮山・東大総長(サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)機構長)に引き続き、エイモリ・ロビンズ氏(ロッキーマウンテン研究所CEO)の

●「エネルギーの飛躍的効率化をめざす統合デザイン−21世紀循環型社会を展望する−」

という講演が行われた。エイモリ・ロビンズ氏は自然資本の経済―「成長の限界」を突破する新産業革命の著者のお一人としても知られている。また、ネットでお名前を検索すると、日本国内各所で講演活動をされていることが分かる。今回も、同じ視点に立って、新しい循環型社会の展望を述べられた。

 ロビンズ氏のお話は、要するに、政府の規制によるのではなく、民間の創意工夫による効率化の中で充分実現可能ということであった。またその知恵はアジアから生み出される可能性が高いというような内容であった。

【思ったこと】
_60207(火)[心理]サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来(4)佐和隆光氏の講演

 今回は、佐和隆光・京都大学経済研究所長による

●地球温暖化対策の経済影響

と題する講演について感想を述べさせていただく。

 シンポ全体の進行が遅れていたこともあり、佐和氏の講演は、テキスト主体のパワーポイントスライドを早口で読み上げるだけの内容であり、おそらくそこに書かれていたことは、佐和氏の御著書や論文を読めば分かることではないかと思うが、それはそれとして、内容は簡潔にまとめられていて素人の私にも充分に理解できた。

 佐和氏はまず、地球温暖化対策の取り組みとして
  • 自主的取り組み(voluntary care)
  • 規制的措置(regulatory measures)
  • 経済的措置(economic measures)
の3つがあり、市場経済を前提とする限りは、経済的措置を優先させ、足りない部分を規制的措置で補うということが望ましいと主張された。

 行動分析の視点から言えば、これらの取り組みや措置というのは、いずれも、行動随伴性を設定し、特定の行動を強化もしくは弱化するということに他ならない。例えば、経済的措置というのは、要するに、温暖化防止に貢献するような行動をとれば、結果として利益(=付加的好子)が上がる(=随伴する)ような仕組みを作ることである。規制的措置というのは、温暖化に悪影響を与えるような行動を弱化することである。例えば、炭素税を課すというのは、「お金が余計にかかる」(=好子消失)という結果を随伴させることであり、これにより温暖化に悪影響を及ぼす行動は弱化される。また、自主的取り組みとは、「こういう行動をすれば環境にやさしい」という形で行動随伴性を記述(=ルール)し、また「環境にやさしい」という結果の価値を高める働きかけ(=習得性好子の形成)を行ったり、温暖化がいかに甚大な被害をもたらすかという確立操作を強めていく取り組みであると考えることができる。

 ちなみに、行動随伴性に翻訳するというのは単なる言葉のお遊びではない。それを精緻化することには、必要な方策を考えるにあたって、どういう行動をターゲットとするのか、どういう結果を操作できるのかをより明確にできるという利点がある。




 佐和氏は次に、京都議定書の3つの論点を指摘された(長谷川のメモに基づく)。
  • 目標とすべきなのは、温室効果ガスのフローとしての排出量か、それともストックとしての大気中温度なのか。
  • 早期の対策が必要なのか、それともゆっくりした対策で十分なのか。
  • 数値アプローチなのか、それとも価格アプローチか。
 ブッシュ政権が京都議定書を離脱した背景は、共和党の政策ブレーンが上記3点それぞれについて後者の立場をとっていたことにあったという。

 ま、このあたりの議論は、一人の人間の生活習慣病予防対策と似通ったところがある。生活習慣病を真剣に防ごうとしたら、前者の立場をとらざるをえないだろう。




 このほか講演では、ロシアの行動、いま日本がとるべき行動などについて分かりやすい解説があった。

 他の講演者のお話の中にもあったが、とにかく、地球温暖化防止のための技術という点では日本は世界の最先端に位置している。これを軸に日本の経済が発展する道をさぐっていく必要がある。

【思ったこと】
_60208(水)[心理]サステイナビリティ学が拓く地球と文明の未来(5)総合討論

 シンポの最後に、

●地球持続戦略の構築を目指して

という総合討論が1時間20分余りにわたって行われた。パネリストは
  • 進行:花木啓祐氏(東京大学工学系研究科教授)
  • パネリスト
    • 住 明正氏(東京大学地球持続戦略研究イニシアティブ総括ディレクター)
    • 朱 清時氏(←「時」は「日」へんに「寸」)(中国科学技術大学学長)
    • エイモリ・ロビンズ氏(ロッキーマウンテン研究所CEO)
    • 佐和 隆光氏(京都大学経済研究所長)
であった。印象に残った点をメモ代わりに記していくと、

まず、住氏は、地球温暖化問題に関して、今なお「温暖化と言われるが、今年の冬は寒い。本当に大変な状況にあるのだろうか。」とか、完全に予測できるまでは問題を先延ばししてもよいのではないかといった議論があることについて、現在の予測は最善のものであり、やはり対策をとらねばならないということをいくつかの証拠に基づいて主張された(←長谷川のメモに基づくため、文言は不正確)。

 また住氏は、温暖化対策は核軍縮と似通っており、まさに目の前に大問題があり、現在を解決することが将来につながるというようなことも言われた。

 住氏はまた、「やりたい研究より、やらねばならぬ研究がある」、「ゼロから初めてゼロを残す生活」、「モノを貯めずに楽しく暮らす。モノから機能へ」というようなことも言われた(←長谷川のメモに基づくため、文言は不正確)。




 佐和隆光氏に関しては、行動分析と関連のありそうなご発言がいくつか印象に残った(←いずれも長谷川のメモに基づくため、文言は不正確)。
  1. 20世紀は豊かさの追求。21世紀はhappinessの追求。
  2. 経済的手法として、インセンティブを仕掛けてnavigateすることの重要性。
  3. 「より大きく、より速く、より強く」から燃費や効率性重視の開発へ座標軸が転換
このうち2.に関しては、ラルフ・ネーダーが『どんなスピードでも自動車は危険だ:アメリカの自動車に仕組まれた危険 Unsafe at Any Speed:The Designed-In Dangers of the American Automobile』という本を出し、これによりシートベルトやエアバッグ装着、割れたときに破片が飛び散らないようなガラスなど各種の技術開発が進んだが、交通事故は逆に増えたという例を挙げられた。では、安全運転のインセンティブは何かと言えば、ハンドルの真ん中に槍をつけることだという。

 じつはこれに似た話は、行動分析の何かの集まりでも聞いたことがある。上記のジョークの本質は、安全運転という行動に対して、「安全運転をしなければ事故になる」という「嫌子出現阻止」の結果、もしくは「危険運転をすれば事故になる」という「嫌子出現」という結果がきわめて稀であり、ルール支配行動を維持しにくいことを意味しているのだ。ハンドルの真ん中に槍をつけるというのは、「危険運転をすれば直ちに槍に刺される」いう形で、結果の随伴を具体的かつ確実に設定したものと考えることができる。このほか「21世紀はhappinessの追求」というのも、要するに、happinessとは何か、それは、けっきょく、、「Happiness does not lie in the possesion of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. 」というスキナーの定義に関わることではないか、そのことがまた、「モノから機能へ」に根拠を与えることにもなると私は考えている。




 大学が貢献できることとして、このほか参考になった点としては、
  • 何が本当に正しいのか、現在の知見をクリアに提供できること。
  • ある種の映画プロデューサーと同じ。単独ではできない。研究の成果が得られればみんなが得をするような仕掛けをつくる。
  • 英国の大学でいちばん難しい専攻は歴史学。著名な政治家には歴史学出身が多い。人文学の素養を身につけることも大切。
  • 北欧や西欧が環境問題に熱心なのは教育水準が高いからだと言われる。日本は表向きは教育水準が高いように思われているが本当は高くない。QOLも低い
  • 学からmovementへ
などがあった。

 なお、上記のような学問の方向転換が、モダニズムからポストモダニズムへの移行を反映しているというようなご発言もあったが、社会構成主義の本などを読む限りにおいては、今回のサステイナビリティ学の構築の動きはまだまだモダニズムの範疇にあるなあという気がした。であるならなおさら、行動科学あるいは行動分析学の貢献する余地が大いにありそう。


 ということで、今回のシンポの感想を終わらせていただく。4時間余りのシンポを通じて、得るところはなかなか大きかった。