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日本心理学会第70回大会


2006年11月3日(金)〜5日(日)
福岡国際会議場

目次
  • (1)人類700万年を心理学する(1)
  • (2)人類700万年を心理学する(2)土偶の表情と性別

  • (3)〜(9)大会特別シンポジウム:心理学界が目指すべき資格制度のあり方【心理学の資格問題を考えるという別の特集サイトの中に格納してあります】

  • (10)その安全対策は有効ですか?(1)
  • (11)その安全対策は有効ですか?(2)作業現場での安全行動
  • (12)その安全対策は有効ですか?(3)不安全行動のプロセスを重視する
  • (13)その安全対策は有効ですか?(4)運転適性検査は妥当か?(1)
  • (14)その安全対策は有効ですか?(5)運転適性検査は妥当か?(2)ミスを起こしやすい人を見つけるべきか、誰でもミスを起こしやすいものだとう前提で対策をとるべきか
  • (15)その安全対策は有効ですか?(6)医療現場の事故防止策
  • (16)その安全対策は有効ですか?(7)実験心理学からみたエラー防止策
  • (17)その安全対策は有効ですか?(8)安全対策と伝えやすさ、使いやすさ
  • (18)その安全対策は有効ですか?(9)ボケ型人間とドジ型人間


【思ったこと】
_61103(金)[心理]日本心理学会第70回大会(1)人類700万年を心理学する(1)

 福岡国際会議場で日本心理学会70回大会が始まった。福岡市を訪れるたのは2003年2月に

●日本健康支援学会:QOLに根ざした健康支援の構築を目指して

に参加して以来、3年ぶりであった。国際会議場は規模としては岡山コンベンションセンター(ママカリフォーラム)を凌ぐ規模であるようにも見えたが、駅前にある岡山と比べると交通の便はちょっと悪かった。

 最初に参加したのは、

●人類700万年を心理学する〜考古学と心理学のインタラクション〜

という公開シンポジウムであった。ちなみに、一般には、ヒトと類人猿は約600万年前に決定的に袂を分かったと言われている。しかし最近700万年という説を裏付ける化石が発見されたことにちなんで「700万年」というタイトルになった模様だ。

 話題提供の1番目は、レディング(Reading)大学人間環境学教授のスティーブン・J・マイズン(Mithen)氏。マイズン氏は認知考古学界の第一人者として知られており、邦訳には『歌うネアンデルタール』などがある。邦訳では一部「ミズン」と紹介されていることがあるが「マイズン」が正しいという。

 マイズン氏によれば、人類600万年(←マイズン氏のスライドでは一貫して「600万年」とされていた)の進化には
  1. 心の理論→他者の「思い」を感じ取る力、想像力
  2. 子ども時代→文化的環境の中で脳が成熟を果たし、知的な能力を発達させてゆくために欠かせない時期
  3. 領域固有的な知→人づきあいの知、ものづくりなど分野別の知
  4. 言語と音楽→フムムムムム(ハミング音)が音楽と言語に分化
  5. 認知的流動性→喩え、なぞらえる力、超自然的な存在へ思いをはせる
  6. 脳外に拡張する心→脳だけに頼らず、モノに知識や思いを詰め込む(絵画、文字の発明)
  7. 定住生活と農耕→物質文化を介した「知の拡張」
という7つのカギがあるという。この7つが600万年という時代の流れの中でそれぞれ重要な役割を果たしていたということはある程度理解できたが、これらが積み重ね型に発展していくものなのか、相互に関連しあって高められていったのかは、今回の講演を拝聴しただけではよく分からなかった。

 また、ここで使われている「心」、「思いを感じ取る」、「思いをはせる」などは、どちらかと言えば一般向けの素朴な概念にすぎない。「認知」ではなく、行動理論に翻訳できるような部分もかなり含まれている。例えば、スキナーの言語行動理論の基本概念である、「マンド」、「タクト」、「イントラバーバル」、「オートクリティック」などが、どういう時期に、どういうニーズのもとで出現したのかということは、岩絵などからもある程度推測できるはず。認知的流動性と言われる部分も、言語行動の一環としてより体系的に分析できるだろう。また「道具製作にまつわる思考の流れ」というのは、道具製作行動におけるオペラント学習(分化強化、分化弱化、般化、行動連鎖、弁別学習、..)として説明できるようにも思う。

 人類700万年の歴史は、遺され発見された「モノ」を通じてしか分析できないが、それを認知モデルを通して分析するほうがいいのか、それとも、その「モノ」がどのような行動の一環として利用されていたのかというように、背後にある行動を同定することによって解明していったほうがよいのか、このあたりが今後の研究の発展のカギになるように感じた。

【思ったこと】
_61104(土)[心理]日本心理学会第70回大会(2)人類700万年を心理学する(2)土偶の表情と性別

 日本心理学会70回大会の公開シンポ

●人類700万年を心理学する〜考古学と心理学のインタラクション〜

の2番目は、O大学のM氏による

●考古資料の顔を読む〜先史時代の人形表象研究への新視点〜

という話題提供であった。M氏はまず、マイズン氏の話題提供の中にあった
  • 社会的知能(人づきあいに必要)
  • 技術的知能(ものづくり)
の結節点に、土偶などの人形人工物(「人形」はたしか「ひとがた」と発音されていたと思う)があることを指摘された。人形人工物としては、例えば「3人のビーナス」が挙げられる。1つ目はドイツで発見された旧石器時代の人形、2つ目は縄文時代の人形、3つ目は有名なミロのビーナスであり、いずれも女性の姿をしているがデフォルメされている部分はかなり違う。

 M氏は、土偶などの人形人工物でも顔の認知に注目しておられる。顔の認知についてはかつて、ダーウィン(1872)が「顔の表情は進化によって生物学的に決定されており、個々の文化で学習されるものではない」と、普遍性を指摘した。要するに、どういう時代、どういう文化であっても、笑う、泣く、怒るといった時の表情はみな共通性があるということだ。この説は、1970年代に入って、動物行動学者のアイルブル=アイベスフェルトやエクマンらによって、再確認されるようになる。人間はまた、動物の顔に対しても、「ラクダは、尊大で決然たる表情」、「ワシやタカは、尊大にそっぽを向いている」というように、「生得的な解発機制」で反応してしまう傾向があるほか、ケータイの顔文字からも、特別の説明抜きで、表情を読み取ることができる。これらはいずれも、表情認知の普遍性を示唆するものと言えよう。




 こうした知見に基づき、話題提供の後半では、「現代人は土偶の顔をどう認知するか?」というM氏ご自身の実験研究(協力:K大学K氏)が紹介された。

 実験では、考古学専攻でない大学生に、土偶の顔部分のみの線画30枚を30秒ずつ提示。被験者は、それぞれの線画に対して、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目、その他の印象として「滑らかな」「ごつごつした」「男性的な/女性的な」、「人間らしい/人間らしくない」、「できの悪い/よくできた」、「親しみやすい/親しみにくい」という5項目について5件法による評定を行った。主成分分析に基づく考察によれば、
  • 土偶のデフォルメされた顔表現に対しては、人間の表情判断と同じ手がかりで判断しており、被験者間に一貫性がある
  • 感情判断を活性化させる土偶については一定の傾向(単なる様式の違いではなく、意味や機能の違いに迫る手がかり)
  • 性別判断については文化的影響大
といった結論が得られたということであった。

 これらの成果はいずれもたいへん興味深いものであり、縄文人と現代人を繋ぐ「心の架け橋」になるものと期待される。




 今回紹介された実験研究で、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目に関して被験者間で一貫した判断がなされたという点であるが、このことをもって、縄文人と現代人のあいだに表情判断の共通性があるかどうかは依然として不明である。縄文人がどういう制作意図でデフォルメされた顔表現をしたのか、縄文人がその表現をどういう表情として判断していたのかは、残念ながら、いまの時代に実験することはできない(もう少しあとの時代であれば、お祭りでみんなが楽しんでいる様子を描いた絵とか、釈迦が亡くなった時の弟子達の表情というように、文脈から想定される感情と描かれた顔表現を対応させることで、共通性の有無を調べることができるかもしれないが)。

 また、被験者間で一貫した判断がなされたからといって、文化の影響が無かったという結論するわけにもいかない。被験者であった大学生が同一の文化的影響を受けていれば、同じような反応をするはずだからである。

 仮に「文化の影響が無かった」としても、それが
  • 土偶の顔だけに特異的な傾向であるのか、例えばマンガや(土偶に似ている?→)TVゲームのキャラクターについても同じことが言えるのか、顔刺激全般についてなのか。
  • あるいは、被験者側の反応傾向の共通性/多様性を反応したものなのか。例えば、どのような刺激を見せても、「怒り」「驚き」「恐怖」「喜び」「嫌悪」「悲しみ」という6項目に関して被験者間で一貫した判断がなされやすく、それ以外は多様な反応傾向が起こりやすいということはないのか。
などについては検討しておく必要があるかと思う。




 土偶に対する性別判断はどうか。
  • 「女性=子ども顔」、「男性=大人顔」といった生得的な判断基準あり
  • ジェンダーの指標とされる身体的特徴(髪型やひげ)が見出される顔の場合は、それらが手がかりとして利用される。但し、その同定は誤っている場合が多い。
  • 縄文土偶、特に後期の土偶では、身体が明らかに女性である場合を除くと、顔表現は男性と判断されるものが多い。
というM氏のお話は大変興味深いものであった。

 もっとも、これは土偶に限ったものでなく、例えば仏像一般や古代の石像などにおいても、身体的特徴が明らかに女性的であるという場合を除けば、「女性には見えない」という判断がなされることが多いのではないかと思ってみたりする。

 そもそも性別判断というのは、生物的には、配偶者選びや、母親探しに必要な弁別機能として進化したものであろう。要するに、「男に見えるか、女に見えるか」という二者択一の質問の立て方をすること自体が不自然なのであって、まずは

●(性別を別として)人間に見えるかどうか

その上で

●異性(もしくは同性)として意識するか。あるいは、母親らしさを感じるか。

という問いかけをしたほうが妥当ではないかという気もする(この場合、回答者の性別や年齢による違いが大きく出てくるはずであろう)。

【思ったこと】
_61203(日)[心理]日本心理学会第70回大会(10)その安全対策は有効ですか?(1)

 福岡市で日本心理学会第70回大会が開催されたのは11月3日から5日。学会等の参加感想はどんなに遅くても2週間以内にWeb日記に記すことを鉄則としていたのだが、今回は、大学教育関係の連載を続けていたため、なんと1カ月が経過してしまった。鉄則から外れることは承知で、微かな記憶を呼び戻してみることにしたい。

 さて、大会初日の夕刻には

●その安全対策は有効ですか? 〜心理学の視点で考える交通・産業・医療のヒューマンエラー・違反の防止策〜

というシンポジウムが開催された。幸いなことに、この時の要旨は、まだこちらから閲覧できる状態にある。また、当日も御紹介があったが、各話題提供者の発表趣旨等は、医療安全の心理学研究会というサイトの中の「主催企画」のところから閲覧できるようになっていて、まことにありがたい(←自分のパソコンにインストールしている関連ソフトのバージョンが古いと、閲覧の際にフリーズすることがあるので要注意、また、当然のことながら、こちらの注意書をちゃんと守る必要がある)。




 まず、この問題についてまず、私の基本的な考え方を述べておくが、私は、安全を守る行動というのは他のオペラント行動と同様、
  • 弁別(←手がかりをちゃんと見極める)
  • 強化(←その行動がちゃんと起こる)
ということによって形成されるべきものであると思っている。もし、危険を見逃したり、確認を怠るということがあるとしたら、それはオペラント強化と維持づけがうまくできていないからである。どの部分ができていないのかを分析することこそが安全につながると考えている。

 このほか、自然な行動の流れの中で、いかに安全な行動を起こさせるかというプロセスの分析、間違いにくくするための工夫などもある。次回以降に詳しく述べることにしたい。

【思ったこと】
_61204(月)[心理]日本心理学会第70回大会(11)その安全対策は有効ですか?(2)作業現場での安全行動

 日本心理学会第70回大会シンポジウム:

●その安全対策は有効ですか? 〜心理学の視点で考える交通・産業・医療のヒューマンエラー・違反の防止策〜

の感想の続き。

 シンポではまず、Y氏から企画趣旨説明が行われた。日常生活場面の事故というのはしばしば、

●なぜそんなことが?

という形で生じることが多い。第三者から見れば、ちゃんと気をつけてれば絶対に起こるはずが無いのになぜ起こってしまったのか。それを防ぐ手だてはないのか。機械に頼れば頼るほど、人間側の見落とし、怠慢、手抜きなどによって事故が起こる危険性がますます高まってきたとも言える。

 ここ数年の出来事を見ても、例えばJR福知山線の事故、プール取水口事故、医療事故などは、いずれも人間側のミスによって生じた事故と言える。なお、Y氏は、「飲酒事故」や「耐震偽装」も例に挙げておられたが、これらは犯罪であってミスとは言い難いように思う。共通原因があることは確かではあるが。




 続いて3名の方から話題提供があった。1番目のU氏は

●産業界の安全活動の現状と課題

という示唆に富むものであった。

 U氏によれば、労働安全衛生法が昭和47年(1972年)に制定されて以降、労働災害死亡者の数は昭和52年頃までに約6千数百人から3千数百人に半減、そしてさらに減少を続け、平成17年には1514名となるまでまで改善されている。しかし、その中で、建設業の事故が占める割合は全業種の33%、また、建設業の中で墜落災害が占める割合は約45%であり、この比率に傾向変化は無いという。

 実際の安全活動では、「KY」という言葉が使われるそうだ。何の略かと思ったら、「K(危険)Y(予知)」のことだそうだ。建設現場では、日々、危険が予知される場所と対策を明示する。さらには指差喚呼、標語、リヤハット活動(ハインリッヒの法則に依る)など、さまざまな対策がとられているが、まだまだ、人間行動の面での問題点が残されている。U氏はこのことについて
  1. 現場作業員の注意力への過度の依存
  2. 活動のマンネリ化、自動化、形骸化
  3. 正の強化子の欠如
  4. 目標達成を偏重することによる弊害
などを挙げておられた。

 このうち、2.は、行動論的に言えば、

●何かを弁別するという行動に結果がちゃんと伴っているか

に依存しているのではないかと思われる。例えば、車で交差点を左折する時は、歩行者が横断しているかいないか、左手前方と後方に目を配る必要がある。適度の頻度で横断者がある場合は、
  • 横断者あり→一旦停止、横断を待つ
  • 横断者なし→左折
というように弁別が適切に機能している。ところが、横断者が1年に数回しか現れないような交差点では、常に「横断者あり」と「横断者なし」という弁別行動が強化される機会が全く無いため、マンネリ化が進む。危険の確率があまりにも少ないと、逆にマンネリ化が起こりやすくなるというのは、行動の法則上、当然予想される。

 3.の「正の強化子の欠如」というのは、要するに、安全であるという状態は正でも負でもない中性的な平穏状態であって、せっかく努力しても報われるものが無いということだ。しかし、これは、マロットの「阻止の随伴性」原理を導入すれば強化は可能である。すなわち
  • 安全行動を続ける(行動あり)→無変化 
  • 安全行動を怠る(行動なし)→やがて嫌子出現、もしくは好子消失
という嫌子出現阻止(もしくは好子消失阻止)の随伴性を導入すればよいのである。「嫌子=事故」ではたまったものではないから、「好子消失阻止」を付加するのが一般的だ。じっさいにはこの随伴性は広く導入されており、交通違反の反則金などがこれに該当する(道路交通法で定められた安全確認行為を怠る→反則金支払いという好子消失)。

 4.の「目標達成を偏重することによる弊害」というのは、「無事故連続○○日」などの記録が競争化すると、軽微な事故を覆い隠すという意味。また、いったん999日で連続記録が途絶えてしまうと、再び1000日にチャレンジする気力が失せてしまうという問題もあるだろう。

【思ったこと】
_61205(火)[心理]日本心理学会第70回大会(11)その安全対策は有効ですか?(3)不安全行動のプロセスを重視する

 日本心理学会第70回大会シンポジウム:

●その安全対策は有効ですか? 〜心理学の視点で考える交通・産業・医療のヒューマンエラー・違反の防止策〜

の感想の3回目。U氏の

●産業界の安全活動の現状と課題

という話題提供の中で、なるほどと思ったのは、表面的に挙げられる「直接原因」ではなく、それの背景や、不安全行動に居たるまでのプロセスを重視して分析を行った点であった。

 例えば、安全点検作業を省略したために起こったヒヤリハット(もしかしたら事故になりかねなかったちょっと危険な事例。「ヒヤリ」とした、「ハッ」とした、からの造語)について、現場作業員に聞き取りを行うと、たいがい、「大丈夫だと思い込んだ」、「急いでいた」、「面倒くさかった」という答えが返ってくる。これを円グラフにして、「大丈夫だと思い込まないようにしましょう、急いでいて作業を省略しないように、面倒くさがらないように」などと呼びかけても、それだけではたぶん、事故防止には役立たない。これに対して、U氏の調査ではさらに踏み込んだ分析が行われている。例えば「急いでいたから」という理由については、なぜ急いでいたのかを詳細に調べていく。そうすると例えば「上司関係:上司にせかされた」、「顧客関係:顧客にせかされた」、「他者競争:同僚に負けたくなかった」、...というように「急ぎの背景」が浮かび上がってくる。もし、急ぎの主要な原因が「他者競争」にあったとするなら、その現場で競争が起こらないように配慮すればいい。そういう対策は、単に「急がないように」と呼びかけるより遙かに有効であろう。ここでは省略するが、「大丈夫だと思い込んだ」や「面倒くさかった」についても同様である。

 このほか、棚の上の荷物を取るときに、踏み台としてすぐ近くの回転椅子を使ってしまうことの危険事例が紹介された。回転椅子を踏み台に使うと、ちょっとバランスを崩しただけで転倒する危険が大きい。しかしこの場合も、「回転椅子は危険だから使わないように」という呼びかけだけでは不十分。どんな時に回転椅子を使ってしまうのかを考察し、それに対応した防止策をとる必要があるというわけだ。

 話題提供の後半では、経験4〜6年の看護師を対象としたリスク研修の内容が紹介されたが、ここでは省略させていただく。

【思ったこと】
_61206(水)[心理]日本心理学会第70回大会(12)その安全対策は有効ですか?(4)運転適性検査は妥当か?(1)

 日本心理学会第70回大会シンポジウム:

●その安全対策は有効ですか? 〜心理学の視点で考える交通・産業・医療のヒューマンエラー・違反の防止策〜

の感想の4回目。2番目はS氏による

●鉄道における事故防止策としての運転適性検査の研究

という話題提供であった。

 この内容は、今回のシンポの話題提供・指定討論の中では異色であるように私は思えた。というのは、他ではもっぱら、

ある人(「Aさん」としておく)がある現場で安全行動を維持するためにはどういう対策を講じるとよいか。

という内容であったのに対し、ここで取り上げられ「適性検査」というのは、要するに

Aさんをその任務に就かせることは適当であるかどうか

を「鑑別」するツールを作るということである。この前提には、

安全維持には適性がある。適格と判断された人に任せれば安全だが、不適格な人はどうやっても改善できない。不適格な人はその職務から排除しなければならない。

というタイプ分けの論理が含まれているように思える。

 確かに、航空機のパイロットや、電車・バスの運転士のような場合、万が一事故を起こせば多数の人の命が奪われるわけだから、適性を重視することはどうしても必要になってくる。少なくとも、繰り返しミスをおかすような人は職務から外すべきであろう。

 しかし、いま述べたことは、適性があるかないかというタイプが明確に分かれており、それらを区別する方法に信頼性、確実性があることが大前提となる。もし、あやふやな適性検査などで人を「鑑別」してしまうようなことがあれば、結果的に
  1. 「不適性」と判定することで、本当は適性があるという人を排除してしまうという危険
  2. 本当は不適性な人を「適性」と判定して、職務に就かせてしまうという危険
を引き起こす恐れがある。このうち1.は、子どもの頃からパイロットや運転士になるために努力してきた人たちの夢を、1枚のエエ加減な検査で打ち砕いてしまうことにも繋がりかねない。また2.は、事故の防止策としての有効性が疑われることになる。




 では、実際の適性検査はどうだろうか。実際には、動力車の運転適性検査というのは、運輸省令(←当時の呼称)や国鉄技第164号(課長通達)で、実施することが義務づけられているのだそうだ。具体的には、クレペリン検査(並んでいる数字を足して1の位を書き込む検査)や反応速度検査、注意配分検査などから各職種に応じて勘案された検査を3年に1回以上行うことになっているという。

 S氏が示した統計資料(例えば、小堀, 1991)によれば、各種運転適性検査の各種スコアの平均値を比較すると、確かに「無事故者より事故者のほうが運転適性検査の成績が低い」という傾向が見られている。もっともこれは、私にはかなり僅差であるように思えた。例えば、S氏のスライドの中の棒グラフで、クレペリン検査の合格者と不合格者を、母集団全体(10万9888人)と、事故者集団(208人)に分けて比較すると、「合格者群のうち事故者の比率は低い」、「不合格者のうち事故者の比率は高い」という傾向は確かに見られるが(竹内・岩下, 1975)、いくら統計的に有意差があるといっても差の程度はわずか。この検査の合格者を職務に就かせ、不合格者を別の職種に移動させたとしても、事故を防止する効果があるとは到底思えなかった。

 S氏自身もこの現状は、問題点として受け止めておられるようであった、そして、現行の運転適性検査には
  • 基準関連妥当性がない。→事故数は極端に少なく、事故数を基準とした妥当性評価には限界がある。
  • 内容的妥当性に問題がある。→そもそも運転適性検査は何を測っているのか。各検査が運転の何と対応しているのかが曖昧である。
という問題点を指摘された。ということで、新しい運転検査の方向性が提唱されることになるわけだが、時間が無くなったので次回に続く。

【思ったこと】
_61207(木)[心理]日本心理学会第70回大会(13)その安全対策は有効ですか?(5)運転適性検査は妥当か?(2)ミスを起こしやすい人を見つけるべきか、誰でもミスを起こしやすいものだとう前提で対策をとるべきか

 S氏による

●鉄道における事故防止策としての運転適性検査の研究

という話題提供についての感想の2回目。

 昨日も述べたが、電車やディーゼル車などの動力車の運転士に対しては、運輸省令(←当時の呼称)や国鉄技第164号(課長通達)で、適性検査を定期的に受検することが義務づけられているという。検査の中には例えば、クレペリン検査(並んでいる数字を足して1の位を書き込む検査)や反応速度検査、注意配分検査などがある。しかし、
  • 基準関連妥当性がない。→事故数は極端に少なく、事故数を基準とした妥当性評価には限界がある。
  • 内容的妥当性に問題がある。→そもそも運転適性検査は何を測っているのか。各検査が運転の何と対応しているのかが曖昧である。
という問題点のあることは、話題提供者の御指摘の通りであると思う。




 ところで、上述のクレペリン検査(正式には「内田クレペリン検査」)だが、だいぶ前、某看護系教育機関で、就職前にこの検査対策の「練習」をしていると聞いたことがあった。クレペリン検査というのは、ウィキペディアの解説にもあるように、1分ごとの作業量の継時的な変化のパターンから性格や適性を診断する作業検査であって、計算力のテストではない。練習したところでパターンが変わるはずがないと思っていたのだが、仮に

●できるだけ速く、ミスのないように計算をする

という練習をしておいて、本番の検査の時は、「全力で作業をする」のではなく「ある程度スピードを抑えて、理想型のカーブを描くように毎分の作業量を調整する」というように振る舞えば、結果的に「適性である」と判定される可能性が高まる、という可能性もあるかもしれない。練習しないで作業曲線のカーブを調整しようとすると、作業量全体が低くなるため「知能が低い」と判定される恐れがある。

 そういう練習が採用に有利に働くかどうかは不明だが、とにかく、ああいう検査結果だけで職種を固定されてしまうというのは、本人にとってはまことに不本意と言わざるを得ない。




 今回紹介された新しい適性検査の概要については、医療安全の心理学研究会のサイトの、「主催企画」→「2006年度日本心理学会公開シンポジウム」を辿るとパワーポイントファイルが閲覧できるので、ここでは詳細を引用することは控えさせていただく。一般化、抽象化してこれらをまとめると、以下のようになるかと思う。

 まず、運動適性検査というのは

●運転業務で事故を起こしやすい人を同定する

ことを目的としている。事故を起こしやすい人としては、少なくとも
  1. ヒューマンエラーを起こしやすい人
  2. 違反しやすい人
  3. 知識・技能が身についていない人
という3つのタイプ(およびそれらの重なり)があるが、今回はこのうちの1.をターゲットとする。

 そして、上述のクレペリン検査のようなものではなく、運転の何と対応しているのかが明確であるような作業課題のセットを用意するというのが、今回の主眼であると理解した。これは、ヒューマンエラー課題(資源分割不活性、ヴィジランス不活性など...)とシミュレータ課題との作業成績の相関を調べることで検証できる、というように理解した。

 ヒューマンエラー課題の妥当性については翌日にさらに詳しく発表されるということであったが、私は別の会場に参加していて拝聴することができなかった。




 今回の話題提供を拝聴して、なお疑問として残るのは、「運転業務で事故を起こしやすい人を同定する」という方略が本当に有効であるのかという点である。昨日も述べたが、この議論は

●世の中には「運転業務で事故を起こしやすい人」というのが存在しており、そういう人は業務から排除しなければなない。

ということを前提としている。確かに、1000人に1人くらいは、何らかの事情により、どのように注意しても、どのように努力をしても事故を重ねてしまうという人がいるかもしれない。その一方、本当は「事故を起こしやすい人」ではなく、適切にトレーニングを重ねればその職種で十分に活躍できる人というのもいるはず。そういう人までも排除してしまうようであれば、適性検査を開発することは結果的に、不適切に人を排除する道具と化してしまう恐れもあるように思う。

 人は誰でもミスを犯すものである。「事故を起こしにくい人」を選び出す努力をするよりは、(極端なケースは別として)ミスは常に起こるものだという前提で、それを防ぐような安全システムを二重・三重にセットしておくことに重きをおいたほうがよい場合が多いように思う。

【思ったこと】
_61208(金)[心理]日本心理学会第70回大会(14)その安全対策は有効ですか?(6)医療現場の事故防止策

 シンポの3番目は、M氏による

●医療現場の事故防止策

という話題提供であった。

 このお話を拝聴して改めて気づいたことだが、話題提供1番目の作業現場、2番目の鉄道と比べて、医療現場には著しく異なった側面があるようだ。それは、「医療は,すべてがイレギュラー」という点である。すなわち、作業現場や動力車の運転の場合には、安全確保の手順が比較的定まっていて、それに従って規則的に振る舞っている限りはまず事故は起こらない。ところが医療現場の場合は
  • 患者個々人の傷病の治療が目的
  • 患者の容態の不規則的な変化
  • 個人によって治療方法が異なる
  • 薬や医療機器の多様である
  • 医療技術は常に進歩している
という特徴があり(当日のスライドから引用)、臨機応変の対処が求められる。他分野で有効性が確認されている安全行動維持訓練がそのまま適用できるという保証はないわけだ。ではどうやって事故を防ぐかということになるが、これには、
  • エラーレジスタント
    • 機会最少→エラーの発生可能作業遭遇数を低減
    • 最小確率→当該作業でのエラー確率を低減
  • エラートレラント
    • 多重検出→エラーが起こっても検出の機会を多重にすることで、どこかで事前に見つけ出す
    • 被害局限→エラー発生への備え
という4通りの戦術的エラー対策があるという。

 もっともいま引用した戦術自体は、作業現場でも鉄道でも同じように適用できるものと思う。入学試験などでも、問題作成段階、実施段階、受験生自身の解答行動のいずれにおいても、ミスをなくす上ではこれらの戦術は有用であろう。




 話題提供の後半では「人間はエラーを起こしている時点では、それがエラーであることに気づいていない」ということが指摘された。それゆえ、エラーの発生を外から気づかせる仕組みを作る必要があるというわけだ。医療現場では、例えば医薬品の表示デザインの工夫(「表示」)、輸液器具の口径を変えて接続ミスを防ぐ工夫(「対象」)、患者自身もチェックに加わる(「人」)、電子的なドキュメントの利用(「ドキュメント」)などの外的手がかりの工夫について紹介があった。

 なお、今回のシンポでは、もうお一方、K氏からも「医療における安全管理」という指定討論(→実質的には、話題提供)があった。これについては次回以降に改めて感想を述べさせていただく。

【思ったこと】
_61210(日)[心理]日本心理学会第70回大会(16)その安全対策は有効ですか?(7)実験心理学からみたエラー防止策

 話題提供に引き続き、N大学のO教授(T大学名誉教授)から指定討論が行われた。O氏のお話:

●ヒューマンエラーとその防止策ー実験心理学の立場よりー

は、実質的には4番目の話題提供に近い内容であった。

 まずO氏は、ご専門の立場から、感覚・知覚・認知のエラーを分類列挙された。それには
  • 感覚能力の限界 →明確な表示をする必要、色覚バリアフリー、高齢者の感覚能力の衰えに対応
  • 知覚のエラー →錯視など。錯視は誰にでも起こるという特徴がある。
  • 認知のエラー →注意の範囲や文脈効果
がある。さらに、記憶・判断・反応のエラーとしては
  • 短期記憶のエラー
  • 長期記憶のエラー
  • 判断のエラー
  • 反応のエラー
がある。「反応のエラー」というのは「行動のエラー」とどう違うのかと思ったが、動作の未分化、未習熟、古い習慣の残存などを挙げておられたことからみて、行動論的に言えば、分化強化・弱化、シェイピング、消去などの手法で改善可能なオペラント行動上のエラーと近い意味で使われているようであった。




 O氏は次に、Reasonのスイスチーズ・モデルに言及された。この話題はGoogleで検索すると44100件もヒットするのでここでは省略しておく。

 次にO氏は、人の特性・感性に合った表示、デザインの例をいくつか紹介された。作業の繁雑さは同程度であっても、手がかりとなる刺激や操作キーの配置を工夫するとエラーが起こりにくくなるというわけだ。

 このことでいつも思うのだが、私はエレベーターのドアの開閉を操作する2つのボタン(▲印を組み合わせたもの)が未だに区別できない。ドアが閉まりかけた時に乗り込もうとする人が居る時など、ドアを開かせようとして誤って「閉」ボタンを押してしまうことがしょっちゅうある。試しにネットで検索したところ、こちらに、「押し間違いを防ぐために大きさに差をつけた開閉ボタン」というのがあることを知った。またこのボタンには「ひらく」、「とじる」という平仮名がふってある。これなら分かりやすい。しかしあんなもん、▲印ではなくて「←→」と「→←」という矢印表示にすれば遙かに分かりやすいと思うのだが、誰があんな妙なデザインを考案したのだろうか。

【思ったこと】
_61211(月)[心理]日本心理学会第70回大会(17)その安全対策は有効ですか?(8)安全対策と伝えやすさ、使いやすさ

 N大学のO教授(T大学名誉教授)の指定討論:

●ヒューマンエラーとその防止策ー実験心理学の立場よりー

の後半では、
  • 数字の正確な呼称→例えば17時20分を「ひとななふたまる」と伝える
  • アルファベットの正確な伝え方→例えば「B:Bravo、G:Golf」
  • 平仮名の正確な伝え方→朝日のあ、いろはのい、...
 そう言えば、かつて急な知らせを電報で伝えていた時代(←公衆電話はあっても、相手方の家に電話がない。もちろんケータイなどあるはずがない時代)には、電報のカナ文字を正確に伝えるという必要があった。郵便局でも、局員さんが、受話器をとって「朝日のあ、...」などと言っていたことを思い出す。

 このほか、正確に伝えるための表示の工夫、ドアの取っ手のデザイン、レバーやダイヤルの方向の意味などについても、岡田(2003)の資料が引用された。よく知られているように、ふつう、何かを操作する時は、方向、上方向、右回転などが増加、それらの反対は減少となるように統一されている。

 もっとも最近は、自動化が進みすぎて、水道の蛇口のコックひねるべきところで手を出して自動的に水が出てくるのを待つとか、手で開くドアの前に立ち止まって開くのを待つ、というように、機械に頼りすぎてしまうきらいもある。




 なお、以上のところまで紹介された内容はもっぱら、手がかり(刺激)レベルの工夫であった。しかし、見分けやすさとか、注意がどれだけ向くかというようなことは、手がかりをどれだけ利用するか、弁別するという学習行動がどれだけ強化されているのかにも大きく依存しているように思う。

 例えば、「左」と「右」、「開」と「閉」、「入口」と「人口」、「大山」と「犬山」などは、文字の形としてはよく似ており、漢字を知らない外国人は区別できないかもしれない。しかし、これらの対は、区別したことによって強化される限りにおいては、それほど紛らわしいわけでもない。

 規格の統一の意義もそうだと思うが、統一されていること自体が便利なのであって、規格の中味自体がどれだけ合理的であるかどうかは二の次である。パソコンキーボードのアルファベット配列(QWERTYタイプ)なども、配列が統一されているからこそ使いやすいのである。最近のDVDレコーダーのコントローラなども、誰が決めたのかは知らないが、異なるメーカーであっても共通点があるので使いやすい。いっぽうデジカメなどは、メーカーが違うと操作方法が全く分からないということもある。

【思ったこと】
_61212(火)[心理]日本心理学会第70回大会(18)その安全対策は有効ですか?(9)ボケ型人間とドジ型人間

 11月3日に行われた表記シンポの感想の連載最終回。

 シンポではもうお一方、K氏による「医療による管理」という指定討論があった。その中で興味深かったのは「ガラスのコップ」という例えである。ガラスのコップは耀きをはなつキレイなモノだが、その破片はたいへん危険である。ではそれを新聞紙で包めばどうなるか。確かに、包む前に比べると危険の確率は低下するが、外からは見えなくなるので、取り扱いを誤ればもっと危険な存在になる。医療現場にもこういう、数多くの「ガラス」が潜在している。例えば手術は行為そのものが「ガラス」であるし、薬物アレルギーや鳴りっぱなしのアラームも同様。このほか、「エラーを起こしやすい」といっても、新人とベテランではその中味が異なること、「あなたはボケ型(error error of of omissin)」?ドジ型人間(error of error of commission)」?」といった話題が提供された。

 最後の「ボケ型?ドジ型?」というのは、今回のシンポの司会者のH氏(R大学)の御著書の中にもよく出てくる分類である。2004年刊行の

●失敗の心理学〜ミスをしない人間はいない〜 日本経済新聞社 667円+税 ISBN4-532-19253-6

という一般向けの本の40〜41ページには、簡易版ドジ型・ボケ型診断テストというのがある。ちなみに私自身は、テスト上では「ドジな人」に分類されるようだが、最近は「大ボケ者」の特徴も出ている。私に限らないが、歳を取ってくると、今まではあり得なかったようなミスが頻繁に起こるようになる。事故につながる前に、ドジもせず、ボケないように自己管理を徹底したいものである。