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「東洋思想と心理療法」の研究会:老荘思想とひきこもり2009年3月21日(土) 駒澤大学・大学会館 |
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【思ったこと】 _90321(土)[心理]老荘思想とひきこもり(1) 毎年この時期に開催されている「東洋思想と心理療法」の研究会に参加した。私自身は、この方面には全くの素人であるが、何かの介入やセラピーの効果検証にあたって
さて、今回のテーマは「老荘思想とひきこもり」であった。老荘思想についても私自身は全くの素人であるが、昨年、「NHKアーカイブス あの人に会いたい」でという番組に、中国哲学者の福永光司先生のお話を拝聴し、機会があれば、このことについて学びたいと思っていた(2008年6月27日の日記参照)。 なお、今回の研究会の内容は、通常の学会年次大会とはやや性格を異にしているように思われるので、ここでは、登壇者の方々のお名前は差し控えさせていただき、私個人の一般的な感想について述べさせていただくこととしたい。 |
【思ったこと】 _90324(火)[心理]老荘思想とひきこもり(2) 今回の研究会は、教育講演、特別講演、シンポジウム(話題提供3題と指定討論)に分かれており、それぞれ興味深い内容であったが、メインテーマである「老荘思想」と「ひきこもり」の関係については、どの方も突っ込んだお考えを提唱されなかった。その原因としては、演者の中に、両方の領域に精通された方が居られなかったこと、また、これらの関連性については先行研究が少なく、全員がスタートポイントのレベルにあったということが挙げられるのではないかと思う。 午前中に行われた教育講演は、「老荘思想とその周辺」という演題であった。老荘思想はしばしば、「道家」や「道教」の思想として語られることがあるが、「道家」と「道教」では同一ではない。西洋ではしばしば「タオイズム」として一緒くたに語られてしまうことがあるらしいが、両者には大きな違いがある。講演で聞きかじった時のメモを再現すると、
なお、老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はない、とするのが、従来、日本の研究者の立場であった。しかし、道教が創唱宗教の形態を取る過程で道家の思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られ、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向がある。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きが近年は多くなってきている。という見解を紹介している。 余談だが、道教の「道」という漢字だが、講演によれば、「道」という字に「首」が含まれているのは、敵の首をぶら下げて魔除けにするというような意味があるとか。もっとも、ウィキペディアの当該項目には、「道の字は「しんにょう」が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を含んでいる。」という考えも紹介されている。【「しんにょう」の外字は省略】 それから、これもよく言われることだが、老荘思想は、老子・荘子以前から中国・漢民族のあいだにあった考え方を広く含んでおり、また、儒教と排他的関係にあるわけでもない。ちょうど日本人が、神道と仏教を混在させているように、多くの漢民族も、儒教と老荘思想を混在させており、一般的には仕事が順調で組織全体を動かす時には儒教的な考えを重視し、事業に失敗したり落ち込んだ時には老荘思想に頼ることがあるらしい。この傾向は過去の支配層にも見られるらしく、また、中国人の書棚の隅っこには、ちょっぴり恥ずかしそうに何冊か老荘思想の本が置かれていたという逸話もあるというが、真実かどうかは定かではない。 あと、これも、あくまで私の聞きかじった限りでの雑学的知識に過ぎないが、「老荘」の「老子」と「荘子」ではいくつかの違いがあるらしい。今回、フロアからの質問に対する回答という形で言及されたのは、「国について語っているかどうか」、「神仙思想について語っているか」の2点であり、両者の間では大きな差違があるという。 こうしてみると、「老荘思想に基づいてひきこもりに対処する」とか「老荘思想を高齢者福祉に活用する」などと言ってみても、そもそもの老荘思想のエッセンスが何であるのか、何があれば老荘思想で、何が欠けていればそうとは見なされないのかということがはっきりしないとなかなか議論ができないように思える。そういう議論をすること自体が、西洋哲学的な発想であり、西洋的な論理判断や自然科学の論証形式にマインドコントロールされていると言えないこともないけれど。 |
【思ったこと】 _90325(水)[心理]老荘思想とひきこもり(3)中島敦と老荘思想(1) 午前中の教育講演ではこのほかにも興味深い話題が種々取り上げられた。老荘思想と道教は同一ではない。老荘思想に、神仙思想、古代の民間信仰、陰陽五行、不老長寿の願いなどが取り込まれて道教(民衆道教、教団道教)が確立していったというのが今回の講演における捉え方であったと思うが、昨日も述べたように、その位置づけや相互の影響の度合いについてはいろいろな考え方があるようだ。また、このほかに養老思想(←養老孟司先生とは無関係)の位置づけも重要と思われる。 昼休みを挟んで行われた午後のセッションではまず、「中島敦の文学に見る老荘思想」という特別講演があった。 今回の演者の方はカナダご出身の方で、日本文学に造詣が深く、中島敦のほか、谷崎潤一郎や三島由紀夫の研究や、英語への翻訳で多くの業績を重ねておられる方であった。 ウィキペディアの当該項目にもあるように、中島敦は1909年に東京に生まれ、祖父の中島撫山、父の中島田人、伯父の中島端蔵などの影響を受け幼いときから漢文学に接する機会に恵まれていた。東京帝国大学(現東京大学)国文学科を卒業し、いったん教職に就いたが、持病の喘息への配慮もあってその後教職を辞して、パラオ南洋庁へ書記として赴任。しかし、その翌年の12月4日に気管支喘息で33歳の若さで亡くなった。 中島敦自体は決して老荘思想の信奉者ではない。代表作品の『弟子』や『李陵』は孔孟思想を反映していると言われる。老荘思想を表現していると言われるのは、言うまでもなく『名人伝』であるが、中島敦の意図がどこにあったのかについては種々の解釈があるらしい。老荘思想への風刺であるという解釈もあるし、健康状態によって孔孟思想と老荘思想の間で揺れていたという説もあるとか。後者の「孔孟思想と老荘思想」の揺らぎに関しては一神教の西洋人には理解しにくいところがあるが、昨日の日記でもちょっと触れたように、日本の神仏混淆と似たようなところがあり、別段不思議ではないという見方もある。 講演ではこのほか、『悟浄出世』、『悟浄歎異――沙門悟浄の手記――』、『牛人』などにも言及があった。幸いなことに、これらの作品はすべて青空文庫からオンラインで閲覧ができる。 ちなみに私自身は、中学・高校の頃に中島敦のいくつかの作品を愛読しており、中でも、今回取り上げられた『名人伝』は最も好きな作品であった。中高生の頃にどういう解釈をしていたのかは記憶が定かではないが、たぶん「目で見える限りの名人芸は、まだ最高のレベルではない。真の極致は、もはや俗人には観察不能であり、芸を究めた人だけにしか理解できない」というように考えていたと思う。 余談だが、私の出身中学は駒沢公園のすぐ南側にあった。今回、駒沢公園の北側にある駒澤大学で、40数年ぶりに中島敦の作品についての話を聴くことになるとは思っても見なかった。そういえば、中学・高校の同級生に、私よりもっと中島敦の作品の愛読している女性がいた。その後、日本美術史の研究者として多大な業績を挙げたが、まことに残念ながら7年ほど前に他界された。 |
【思ったこと】 _90326(木)[心理]老荘思想とひきこもり(4)中島敦と老荘思想(2) 昨日に続いて、「中島敦の文学に見る老荘思想」という特別講演についてのメモと感想。なお、以下の『名人伝』に関わる引用はすべて、『青空文庫』(新字新仮名版)に基づく。 講演のあとに行われた質疑や、総合討論の中でも話題になったが、この作品の「不射之射」、「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしとや」、「無為」とはどういうことなのか、このことと老荘思想の関係をどうとらえるべきか、「邯鄲の都では、画家は絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ち、工匠は規矩を手にするのを恥じた...」というのは肯定的に評価するべきか否か、については見解が分かれるところである。 単に「無為=行動しない」というだけであるなら、私自身でも同じことができる。しかし、主人公の紀昌の場合は、射之射、さらに不射之射の修行を積んだのちに初めて無為にして化したのであるから、凡人が毎日だらだらを過ごし何もすることが無くて退屈だという状態とは明らかに異なる。 もっとも、紀昌は、修行を積んだ成果を何1つ社会に還元していない。弟子をとって伝授したわけでもない。また、修行を積んだ成果についての客観的なエビデンスは何も残っていない。紀昌の最後の師匠の甘蠅老師については ちょうど彼等真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。という形で記されているが、紀昌自身については、 様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、紀昌の家の屋上、...というような「噂」が広まるだけで、事実として語られた唯一のエピソードは「ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」」と伝えられているのみで、何1つ、エビデンスは示されていない。もっとも、「爾来、邪心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。」と記されていることからみて、一定の影響力を及ぼしたことは事実として語られていると言えないわけでもない。 なお、今回の演者の方の英語訳では、「名人伝」は単に「The Master」、また「不射之射」は「shooting by not shooting」、「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしとや」は「Perfect action lies in inaction, perfect speech abandons words, and perfect archery means never shooting.」とされていた。 なお今回は一言も触れられなかったが、私の好きな作品の1つに『文字禍』(「この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。」という但し書きあり)がある。今回のテーマの老荘思想とは直接関係ないとは思うが、 ...ナブ・アヘ・エリバはニネヴェの街中を歩き廻(まわ)って、最近に文字を覚えた人々をつかまえては、根気よく一々尋(たず)ねた。文字を知る以前に比べて、何か変ったようなところはないかと。これによって文字の霊の人間に対する作用(はたらき)を明らかにしようというのである。さて、こうして、おかしな統計が出来上った。それによれば、文字を覚えてから急に蝨(しらみ)を捕(と)るのが下手(へた)になった者、眼に埃(ほこり)が余計はいるようになった者、今まで良く見えた空の鷲(わし)の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど碧(あお)くなくなったという者などが、圧倒的(あっとうてき)に多い。「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ喰(く)イアラスコト、猶(なお)、蛆虫(うじむし)ガ胡桃(くるみ)ノ固キ殻(から)ヲ穿(うが)チテ、中ノ実ヲ巧(たくみ)ニ喰イツクスガ如(ごと)シ」と、ナブ・アヘ・エリバは、新しい粘土の備忘録に誌(しる)した。文字を覚えて以来、咳(せき)が出始めたという者、くしゃみが出るようになって困るという者、しゃっくりが度々出るようになった者、下痢(げり)するようになった者なども、かなりの数に上る。「文字ノ精ハ人間ノ鼻・咽喉(のど)・腹等ヲモ犯スモノノ如シ」と、老博士はまた誌した。...というくだりはまことに意味深いものであり、「精神疾患に関する言説の増大サイクル」(2005年9月22日の日記参照)と通じるところがあるように見える。 |
【思ったこと】 _90330(月)[心理]老荘思想とひきこもり(5)無為自然 老荘思想の重要な考え方の1つに「無為自然」があるという。とは言っても、私のような素人には、その神髄を理解し納得することはなかなか困難である。 ネットでザッと検索してみたところでは、こちらのサイトに、
もっとも、上述の引用部分だけから判断すると、無為というのは主観や相対主義を廃した純粋な自然科学的判断に近いようにも見える。私自身の勉強不足をますます痛感してしまう。 では、行動分析学的には「無為」とはどういうことを言うのだろうか。 まず、現象的には、行動が生じていない状態のことを言う。これは間違いないだろう。 行動分析学ではしばしば、「死人テスト」ということが言われる。この起源については、島宗先生のブログ(2006年6月2日)に詳しく書かれているが、要するに、 「死人テスト」とは「死人にもできることは行動ではない」という簡易なルールで、たとえば「静かにする」とか「廊下を走らない」などを標的行動(指導目標)としてしまう過ちを減らそうとする試み。ということであり、「〜しない」という否定形や「〜される」という受身形は、行動としては扱わない、というか指導目標としてはならないという考え方である。 もっとも、ある人が、いくつかの行動機会という選択肢を能動的に選ぶという段階において、「〜に身を任せる」、「成り行き次第でいこう」、「リーダーの言われるままに動く」というような判断をすること自体は(死人にはできないので)立派な行動と言える。しかし、選択された後の状態を観察する限りにおいては、「何もしていない」ようにも見えてしまう。 「何もしない」ということのもう1つの重要なポイントは、それが、
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本連載は、新学期開始までに執筆を終えることができませんでしたので、以上の記事を持って打ち切りとさせていただきます。 |