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じぶん更新日記

1997年12月分
Y.Hasegawa

12月20日(土)

【思ったこと】

971220(土)
[一般]韓国について知らない私/人名の原語読みに思うこと

 金大中氏が次期大統領に当選したことが「日記猿人界」でも多少話題になっている。韓国は、首都間の距離や人口重心の間の距離を比べると、隣国の中でも最も日本に近い国であり、本来わたしたちは米国以上にこの国のことを知っておく必要がある。ところが、私自身、実は殆ど知識がないことが判明した。例えば、昨日のスクラップブックにも書いたように、金大中氏の得票は、全羅北道、全羅南道、光州に集中し、慶尚北道や慶尚南道、釜山などでは李会昌氏のほうが圧倒している。こうした地域差がどうして生じているのか、について私は全く知識を持っていない。それどころか、本で調べるまでは、全羅北道、全羅南道、慶尚北道、慶尚南道という場所がどこにあるのかさえ知らなかった。
 試しに、今年1月以降のスクラップブックのログをエディタでチェックしてみたところ、「韓国」という言葉は27回出現していた。話題を拾ってみると
  • 竹島領有権問題
  • 北朝鮮絡みの報道
  • 韓国で、たまごっち学校持ち込み禁止
  • 米軍駐留問題
  • 柳美里さんサイン会
  • 経済問題
  • 統一教会絡みの話題
  • 500ウォン玉を変造して自販機から500円玉を盗む事件
というような話題で、あまり明るい話題は取り上げていないことがわかった。また、同じログの中で「米国」は81回、「中国」は109回も出現している。米国や中国に比べると、韓国からは文化や科学に関する話題をあまり取り上げていないことも分かった。
 2月23日のスクラップブックには、総理府が2月22日付で発表した「外交に関する世論調査」の結果が紹介されている。これによれば、韓国に対しては、「親しみを感じない」人が過去最高の60%になり、「親しみを感じる」人の36%を大きく引き離した、とある。中国とロシア、ドイツとフランス、インドとパキスタンというように、もともと隣国間の国民感情には複雑なものがあるので、この世論調査の結果が特異的なものとは断定しがたいが、そもそも、韓国という国をよく知らずに偏見を持っている人も多いのではないかと推測される。
 日記猿人界でも、俳句形式の1行コメントで韓国の日々の世情を紹介してくださっている方がおられるが、私もこれを機会に、少し、最も近い隣国であるこの国のことを勉強してみたいと思っている。

 韓国のことを話題にしたので、これを機会に、韓国や北朝鮮の方々の人名や地名の発音についても、考えてみたい。最近の新聞やテレビでは、韓国要人の名前は、漢字で表記され、原語に近い発音で紹介されており、たとえば「金大中」は「キム・デジュン」と呼ばれる。同じ漢字でも、中国の要人は「モウ・タクトウ」や「トウ・ショウヘイ」のように日本語読みで発音される。知識不足で勝手な推測の域を出ないが、おそらく韓国の人々自身が原語読みを求めていること、特に在日韓国人の場合、従来の日本語読みを韓国語読みに変更することで祖国への誇りと持つという意図があり、マスコミ側もこれを尊重したものではないかと推測される。また、ソウルオリンピックの時、韓国では日本選手の名前を日本語読みで紹介していた。これとの平等性を保つという必要をマスコミが認識しているためかもしれないと思う。
 しかし、いくら過去の歴史的経緯を無視できないとしても、現実問題として漢字表記を使う以上、日本語にない漢字発音が次々と登場するのは、いかがなものかと思う。わたしも、「キム・ヨンサン」、「キム・デジュン」、「ノ・テウ」氏ぐらいだったら覚えられるが、今回の大統領選で破れた「李会昌」、「李仁済」両氏をどう発音するのか、あるいは、上記の、全羅北道、全羅南道、慶尚北道、慶尚南道などの地名をどう発音すればよいのか、全くわからない。原語読みを尊重するのであれば、すべてカタカナだけで表記してほしいと思うのだが、あるいは、「コンピューター」の「ー」の省略と同様、文字数削減を一義的に考える新聞社側の都合を反映したものなのだろうか。

 上記の問題について、さらに雑感を2つ。
  •  純粋に心理学的に見れば、漢字で表記された語のほうがカタカナで表記された語よりも記憶に残りやすいのは確かであろう。あくまで歴史的経緯を尊重するならば、韓国や北朝鮮の方々の氏名をカタカナ表記にすることはやむを得ないとは思うが、より長く記憶にとどめてほしいという場合には漢字表記(+日本語読み)のほうがまさっている。
  •  ATOK11の漢字変換機能では、北朝鮮の「キムイルソン」、「キムジョンイル」両氏の変換機能がビルトインされている。「プサン」も同様。「キムヨンサン」、「キムデジュン」、「パクチョンヒ」各氏はビルトインされていないが、なぜか「ノテウ」氏だけは漢字変換可能。
  • 「韓国」については「大韓民国」、「北朝鮮」については「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称を使うべきであろうとは思ったが、今回は通常の新聞表記とさせていただいた。
<本日の執筆量4455バイト>
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと/リンク情報】
CNNで、今年の10大ニュースの投票を受け付け中。クイズもあり。私も挑戦してみたが、結構難しいぞ(うひゃー、1回目で正答になったのは10問中2問のみ)。受験生向けかもしれない。
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【日々の記録】
  • まごちゃんは94歳、58g。
【生活記録(翌日朝まで)】
【夫婦の会話】
【親子の会話】
【新聞記事のメモ】
  • (ここにスクラップブックを統合させる予定)

12月19日(金)

【思ったこと】

971219(金)
[日記]有名日記作者との初めてのオフミ
 本日の最大の話題は、何といっても、私がWeb日記を書き始めてから初めて、他のWeb日記作者と直接お会いしたことである。日記界ではこういうのをオフ・ミーティングと呼ぶらしいので、今回が私の「初オフミ」ということになる。で、お相手は誰かと言えば、日記界の論客として名高いこちらの方であった。
 岡山は、大御所のかやすがさんを初め、フランケンさん、ともみさん、ゆずさん(岡山に居ない時もあり)、とんぼや店主さんなど、人口の割に日記作者が多いことで知られており、某日記作者から
岡山って日記書きの人多いから、きっと、路上で日記書いてる光景が
あちこちで見られるのであろう。<ほんとだったら怖すぎ
という感想までいただいているほどであるが、今回は、前日にとつぜん岡山に来られるとのEメイルをいただいたこともあって、私だけで出迎えることになった。

 さて、昼休み、あの名高いよろずやさんが岡大西門に出現した。本来ならここで、自宅アパートにでも昼食にご招待すべきところなのだが、なにせ接待のヘタな私である。大学の生協食堂に招いて、好きなものを食べてもらうことにした。確かカツカレーをお召し上がりになったと記憶している。他に、ドリップ式とはいえ、紙カップに入ったコーヒーを差し上げた。
 ちょうど生協食堂もすいてきた時間帯だったので、そこでしばらく、日記界の話題、時事問題、社会問題、経済問題、コンピュータ関連の話題などで会話がふくらむ。まあ、ひとくちで言えば、「よろずや談義」と「じぶん更新日記」を合体させたような話題である。詳しく書いても、好んで読む人は少ないと思うので、このあたりは省略しておこう。
 そのあと、大学構内をぶらぶらしながら、私の研究室へ。私の研究室は、初めて来た人はおったまげるような凄いところである。パソコンでネットの接続状況をご披露したり、窓際の水槽にいるフナ、ドンコ、スジエビ、メダカなどの飼育状況をご説明した。
 ちょうど、昨日の日記で「支那」の呼称問題をとりあげたが、これに関係する旧将校クラブの建物や「日支事変出征記念」の石灯籠もご案内した。時計台の前で記念写真を撮る。
 私のほうで会議が予定されていたため、残念ながら、2時間ほどでお別れの時刻となる。岡山市内の観光地といっても大した場所が思い浮かばないので、月並みながら後楽園近くまで車でお送りして、私の初オフミはこれで終了した。次回は、シロクマさんやフランケンさんなどをお迎えして、ぜひ盛大な岡山オフミ大会をやりたいものだ(何か、恐ろしそう)。

 余談だが、よろずやさんの発音から、日記界用語の私のアクセントがずいぶん違っていることに気づいた。「オフミ」は、私は「フ」のところにアクセントを置いていたが、よろずやさんのアクセントは「フミ」全体にかかっていた(東京弁の「お酒」と同じアクセント)。また、「bowow」は、私の場合「bo」にアクセントを置いていたが、よろずやさんは「bow」と「wow」を同じ強さで発音していた(東京弁の「暴動」と同じアクセント)。文字だけの世界では発音はなかなか伝わりにくい。標準的なアクセントについても、こちらのページあたりでご紹介いただけるとありがたいものだ。
【ちょっと思ったこと】
 あまり大ニュースとしては取り上げられないが、このところ飛行機の墜落事故が頻繁に起こっているように思う。旧ソ連製の飛行機や、東南アジア方面での事故など。
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【日々の記録】
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【生活記録(翌日朝まで)】
 朝方、実験動物の飼育ケージを洗っていたら、掃除のおばあちゃんが、「いま、モンスター何匹いるん?」と聞く。ここで飼っているのは、ハムスターだけなんだがなあ。
【夫婦の会話】
【親子の会話】
【新聞記事のメモ】
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12月18日(木)

【思ったこと】

971218(木)
[一般]「支那」の語源と新明解国語辞典
 きょうは、日記界で「支那」をめぐるちょっとした論争があった。当事者の方々のいずれかを支持したり批判したりするつもりは全くないが、以前からこの言葉については少々疑問をもっていた。

 岡山大学の敷地は、もともと旧陸軍の施設であったため、いまだに、戦前からの古い建物が残っている。文法経構内の隅には、「将校クラブ」の庭の跡地があり、ここに倒壊した石灯籠が放置されている。数年前に、学部の会議で、この灯籠を正面玄関前の庭に移設したらどうかという提案あった。しかしよく見ると、灯籠には「日支事変出征記念」という文字が大きく刻まれていた。そこで私は、いくら灯籠が立派なものであるからといって、それが作られた歴史的経緯を無視して正面玄関前に移設するのはいかがなものかと反対した。そのさい、「支那」という言葉は蔑称ではないかとも指摘した。
 ところが、会議の終了後に某教授から、歴史的経緯を無視した移設には私も反対であるが、「支那」それ自体は蔑称ではないとの指摘を受けた。但し理由をすっかり忘れてしまっていた。

 で、この話はこれで終わりかと思っていたが、本日、家に戻ってたまたま「新明解国語辞典」をひいてみると、
支那:秦(シン)の変化という。もと、中国の仏教書で、自国を呼んだ語。(第4版、第5版とも同一記述)
という説明があった。そういえば、某教授も同じことを言っていたような記憶がよみがえってきた。
 同じ「支那」を別の国語辞典で調べたところ、単に「中国の旧称」としか書かれていなかった。大型の漢和辞典ならともかく、この種の小型の辞典クラスでちゃんと説明してあるのは、ひょっとしたら「新明解」だけであるかもしれない。さすがであると思った。
 もちろん、語源は別として、日本の中国侵略時に「支那」という呼称が蔑称の目的で意図的に使われていたとすれば、使用を控えるのは当然であろうが、「支那」について中国政府が明確な抗議を行ったかどうかは資料がないのでわからない。「満州」の呼称の場合とはやや意味が異なるような気がするのだが。
 いずれにせよ、全国各地に点在する「支那そば」店を初め、「支那竹」、「東シナ海」、「南シナ海」などをどうしてくれるのかという問題が別に存在するだろう。
 「支那そば」を看板に掲げた店は各地にあるが、「トルコ風呂」名称変更要求のようなものは起きていないと思う。余談だが、中国の地図では「東シナ海」は「東海」、南シナ海は「南海」と呼ばれるが、「インドシナ半島」は何と呼んでいたっけ? 仮に「印度支那半島」だったら、タイやベトナムなどの国々はどう考えるのだろうか。


 地名の話題はこのくらいにして、この機会に「新明解国語辞典」についてもちょっと書いておく。この第五版であるが、だいぶ前、11月3日に古川さんが、第四版との比較をしておられた。朝日新聞文化欄の「単眼・複眼」という記事(12/10)では、山田忠雄主幹による強力なリーダシップによる語釈が現代人の言語感覚になじむというポジティブな評価をくだしている半面、『収録語彙に偏りがある』、『語釈が一言多い』との指摘もあるといいうネガティブな評価も付け加えられていた(朝日新聞より1カ月以上前に指摘をされた古川さんはさすがであった)。
 現在、私の手元にも第四版と第五版の両方がある。古川さんが「恋愛」と「迂回」をとりあげておられたので、それ以外でなるほどと思った言葉を3つほど掲げてみる。
  1. 不登校:(小・中学校で)児童や生徒が精神(肉体)的な理由によって年間30日以上学校を欠席すること。また、欠席しなくても学校が嫌いになったりすること。【第五版のみ収録】
  2. 著作物:文芸・学術・美術・音楽・建築などに表された精神的労働の所産(図書の他に、レコードなどを含む)【第四版。第五版では「図書の他に、映画などを含む」と変更されている】
  3. 辞書:【第五版で補足説明あり】広義では、ワード・プロセッサーや機械翻訳などでコンピューターにより自然言語を処理する際に用いるファイル形式のものを指す。
 上掲の1.は、不登校を客観的・具体的な基準で定義している。2.でなぜレコードが映画に変わったのかは不明。3.は、現代の用法に適した補足説明であろうと思う。
 まだまだ興味深い記述がたくさんあると思う。ただ、紙数の制限からやむを得ないとは思うが、ユニークな語釈があるのはほんの数パーセント程度の語に対してのみであり、大部分は、ごく一般的な説明に終わっているような印象も受ける。また、何か気づくことがあれば、【ちょっと思ったこと】のほうに書いていきたいと思う。
<追記>角川書店の「大字源」によれば、「支那」は
中国をいう。古代インド人が中国を呼んだ名称。語源は秦からきているとも、また、知恵がある意ともいう。
とあり、さらに「伏願、支那皇帝、福寿円満、寿命延長」という宋史・天竺伝からの引用が記されていた。
<本日の執筆量4463バイト>
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと/リンク情報】
テレビ東京で、ポケモン騒動について意見を受け付けている。ご意見のある方はこちらへ。
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【日々の記録】
  • まごちゃんは92歳、58g。
【生活記録(翌日朝まで)】
【夫婦の会話】
  • (私)明日(12/19)、東京から有名な日記作者が岡山に来ることになった。
  • (妻)えっ、わざわざ来るの?
  • (私)いや、出張か何かのついでだったと思う。
  • (妻)じゃあ、岡山に泊まるの?
  • (私)いや、大阪のほうに帰るらしい。
  • (妻)じゃあ、やっぱり、あなたに会いに岡山まで来るわけ? 何か、あるんじゃないの?
  • (私)いや、日記を書く人たちは、遠くまで会いに行ったりするらしい。
  • (妻)だって、その人、男なんでしょう? もしかしてホモじゃないの?
あーあ。せっかく岡山に来てくれるというのに...。○○さんに合わせる顔がない。日記作者の人たちが会うことについては、「一般人」はまだまだ偏見を持っているようだ。
【親子の会話】
【新聞記事のメモ】
  • (ここにスクラップブックを統合させる予定)

12月17日(水)

【思ったこと】

971217(水)
[一般]ポケモン騒動に思ったこと
 16日夜の「テレビ東京」系(岡山では「テレビせとうち」)のアニメ番組「ポケットモンスター」を見た小学生が、けいれんやひきつけの症状を起こした事件は、その後もテレビ、ネットなどで大々的に報じられている。本日夜のNHKニュースによれば、病院にかけつけた園児〜高校生の数は729人にのぼるというから、これはちょっと無視できない。また、娘が通う小学校では、教育委員会筋からの調査があったという(下欄の「親子の対話」参照)。調査結果が公表されれば、軽症者の数は何倍、何十倍にもふくれあがる恐れもある。

 今日は午後から長時間があったので昼休みの時点までしかチェックしていないが(こちら参照)、この日記猿人参加の日記のなかでも、この話題を取り上げた方が10名ほどおられた。わかば日記の赤尾氏は、「演出効果を狙った意図的なものだとしたら悪質である」と、製作段階での問題点を指摘しておられた。また、漫画批評では定評のあるヨミヨミ日記のたにかど氏は、日本全土を覆う大事件(と言い切っていいだろう)であると深刻に受け止めておられる。ポケモン自体からオタク文化論、チャット論と、次々と議論が発展していて読み応えがあった。
 もうひとつ、私が参加している心理学関係のメイリングリストでも、珍しくこのことが話題になった。ここでは公開できないが、「光過敏性てんかん」を引き起こす原因についての議論や、「てんかん」という言葉を安易に使うことへの問題点などが指摘されていたように記憶している。

 スクラップブックに書いたように、私自身は、この問題については、
  1. アニメそれ自体の制作上の問題
  2. 報道機関の取り上げ方
  3. 反任天堂陣営の便乗攻撃の有無
  4. 嫌悪条件づけの効果の有無など
という観点から、推移を注意深く見守っているところである。
 このうち、制作上の問題としては、視聴率至上主義や、演出効果を狙うために手段を選ばずに、特殊な映像技術を使っていたとしたら問題であろうと思う。ただ、このテの技法は、他のアニメでもしばしば使われているという話も聞いている。

 ここでちょっと脱線するが、ごく少数の人にとって苦痛を感じさせるような刺激というのは他にもある。以前、テレビの恐怖症の特集の番組で、某インスタントコーヒーの宣伝で女性の高い声が繰り返される音楽が流れるCMソングに苦痛を感じる男性のことが紹介されていた。この男性は、同じように高い音声が繰り返される、由紀さおりの「夜明けのスキャット」や、さだまさしの「北の国から」などの歌を聞いても苦痛を感じるそうである。こういう方が何人ぐらいおられるのか、正確な数字は知らないが、かなりの人数がおられるようであれば、やはり配慮が必要になってくるかもしれない。
 もちろん、一般論として、こういうことで芸術的表現やアニメの制作技法の自由が不当に制限されるようでは困る。ただ、今回の場合、NHKのインタビューなどを聞いていると、一時的ながら意識不明に陥ったり崩れるように倒れた子供もいたということだから、芸術表現の自由では済まされない問題であることは確かである。

 これ以外の問題としては、マスコミがどういう取り上げ方をするか、任天堂を目の敵にしている勢力がこの騒動に便乗することはないか、このあたりも様子を見ていきたいと思う。前者に関しては、このTV番組がテレビ東京系の人気番組(関東地区の先月の視聴率18.6%)であったということで、ライバル系列のテレビ局や新聞社がどういう取り上げ方をするのか、見守っていく必要がある。
 もうひとつ、私が気になるのは嫌悪条件づけ(恐怖条件づけ)の効果である。上記の恐怖症の特集番組では、他に、観覧車に乗れない男性の事例も紹介されていた。この男性の場合は、昔、友人と一緒に観覧車に乗った時に友人が悪ふざけをして観覧車を揺らせ、そのたった1回の体験の後から、観覧車に乗るだけで恐怖を感じるようになったという。今度の事件以後、病院にかつぎ込まれた子供たちは、同じシーンが現れなくても、関連キャラクターを見ただけで恐怖を感じるようになる恐れがある。また、周りが「ぼくも、私も」と言い出したり、「気分が悪くならないかなあ」など予期しながら番組を見ていると、本当にそういう症状が起こってしまう場合がある。番組のほうは、自社の調査チームが結論を出すまで自粛される方針ということだが、次回の放映時に、こういう学習性の恐怖や集団失神的な現象が起こらないかどうか心配だ。

 人間の感覚器官は、あくまで自然との関わりの中で、適応に有利に働くように進化してきた。そういう意味では、光の点滅とか、低周波とか、加速度など、人工的かつ急激な変化に対しては適応するすべをもっていない。これからも思いもよらぬ場面で、同種の事件がおこりそうな気がしてならない。
<本日の執筆量4295バイト>
<追記>12/18朝の時点で、上掲のたにかどさん初め、多くの日記作者がいろいろな視点からこの問題を論じている。詳しくは、日記猿人手動新作Top200ぴったんこさん裏日記のリストなどを参照されたい。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【生活記録(翌日朝まで)】
【夫婦の会話】
 今日は妻が日記の検閲に来たが、特に削除要求は出なかった。そのあと、私がZipディスクにセーブしてきた日記を見せる。妻が好きな日記は、こちら
【親子の会話】
  • (私)やーちゃん(娘の名前)、きょう学校でポケモンのこと聞かれた?
  • (娘)うん、聞かれた聞かれた。
  • (私)でっ?
  • (娘)あのね、クラスで見てなかった人って3人ぐらいしか、いなかった。あとは、みーんな見ていたの。
  • (私)気分が悪くなった人は何人?
  • (娘)あのね、Xくんは頭が痛くなったんだって。でも、ホントは前から風邪でづつうがしてたの。それと、Yさんは、目がチカチカしていたって。でもファミコンのやりすぎかもよ。
※このぶんでいくと、教育委員会の集計データは、あんまり信用できないものになるかもしれない。
【新聞記事のメモ】
  • (ここにスクラップブックを統合させる予定)

12月16日(火)

【思ったこと】

971216(火)
[心理]自分のコピーは作れるか

 毎週火曜日は、子供の強い要望があって、「炎のチャレンジャー」(下欄に関連記事あり)と「万物創世紀」(おや?「創世記」だと思っていたが、新聞のテレビ欄では「紀」になっている)を見てしまう。
 このうち「創世紀」のほうは、今日はスペシャルの2時間番組になっていた。この番組、1回目を見た時の印象では、話題が続かず数回で打ち切りになるのではと思っていたが、さすが北野氏だ。毎回子供の興味をひく話題で、私までついつい見てしまう。
 今日の番組はスペシャルということで内容は少々雑多であるように感じたが、その中では、ネアンデルタール人は現代人の直接の祖先ではなかったということと、コピー人間の話が面白かった。このうちのコピー人間について少々思ったことを書いてみたい。
 番組でも指摘していたように、遺伝子だけをコピーしたとしても、じぶんの分身が出来るわけでは決してない。4月10日の朝日新聞で、クローン羊に関連して三菱化学生命科学研究所・室長・米本昌平氏が『エコノミスト』と『ネイチャー』の内容を紹介しておられたが、そこにもあるように仮にクローン人間が誕生しても、それは年齢の違う一卵性双生児が生まれること以上でも以下でもないことというのが、クローン人間の正体である。
 脳の神経生理機構とその電気的状態を丸ごとコピーすれば、瞬間的には同一人間が2人存在することになるかもしれない。しかし、その直後からの意識は、個々人と外界との関わりの中で変化していく。複数の人間が、空間内の同一地点に同時に存在することはできないし、個々人をとりまく環境要因の変化は刻々と形を変えていくであろうから、おそらく数秒後には、元祖の脳とコピーされた脳は、異なる状態に移行し、意識も別のものに変わっているものと推定される。

 冷凍保存も同じ様なもので、生命維持に必要な器官は保持されたとしても、覚えたこと、学んだことが「解凍」後までそのまま伝わるとの保証はない。おそらく、解凍された人間は全面記憶喪失状態になっており、過去の自分は過去の知人程度の意味しか持たない可能性もある。

 こういう問題を突き詰めていくと、「じぶんとは何か」に行き着く。本日の日記で論じるのは余りにも大きすぎるので、またの機会にするが、基本的に私は、「自我」、「超自我」、「無意識」、「潜在意識」といったものを最初から仮定することには反対だ。過去の自分も将来の自分も、本質的には存在しない。それらは現在の自分の行動に影響を与える要因の1つとしてのみ意味をもつ。時間の流れの中で自分が一貫して存在しているように錯覚するのは、(1)過去についての記憶、(2)周囲からの同一視、(3)環境の恒常性、(4)将来の私的環境を整備するための準備行動の有益性、といったものが現在の自分に影響を及ぼすためである。うーむ、収拾がつかなくなってきたので、これで終わり。 <本日の執筆量2516バイト>
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと/リンク情報】
  • インターネットで「落語で『手ぬぐい』は何と呼ばれているか」を調べようと思った場合、「落語」&「手ぬぐい」で検索するよりも、「落語」&「用語」&「小道具」で検索したほうが見つかりやすい(12/17NHK朝のニュース)
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【日々の記録】
  • まごちゃんは90歳、58g。
【生活記録(翌日朝まで)】
 「ウンナンの炎のチャレンジャー」で「8時間抱き上げ続けて100万円」というコーナーがあった。日記作者の中にも、この番組のあとで、チャレンジしてみた方がおられるのではないかと思う。我が家でも、嫌がる妻を無理矢理抱き上げてチャレンジしてみたが、20秒であえなくダウン。その後も背骨が痛む。そろそろぎっくり腰に気をつけなければ....。
【夫婦の会話】
 12/16明け方の会話
  • (妻)あなたと結婚して13年にもなるわねえ。
  • (私)グーグー。
  • (妻)あらっ、14年だったかしら。
  • (私)グーグー。
  • (妻)あれえ、今度で15年になるのねえ。へぇーっ、よくもまあ、こんなに長く一緒に居たもんねえ。
  • (私)グーグー(聞こえていたが、眠いので返事せず)
【親子の会話】
【新聞記事のメモ】
  • (ここにスクラップブックを統合させる予定)

12月15日(月)

【思ったこと】

971215(月)
[一般]再販問題と新聞報道

 週末と日曜日の早朝に、12月11日の日記でふれた再販問題関連のページ(下記の3サイト)から、基本資料を入手することができた。
  1. 行政改革委員会規制緩和小委委員会報東京大学の三輪芳朗氏。ホームページはこちら
  2. 委員会発表ただし、本年7月の資料。
  3. 公正取引委員会「規制研」
 また、昼休みに、朝日、毎日、讀賣、産経の四紙が、9日の紙面でこの問題をどう報じているか、図書館で調べてみたので、現時点での、とりあえずの感想を述べたいと思う。

 まず、上記のサイトを教えていただいた某有名日記作者の方も指摘しておられたが、9日の各紙の報道は、行政改革委員会が8日に発表した「著作物の再販価格維持制度の見直し」に関する追加報告書の論点を若干を歪めて報道しているような印象をもった。
 上記の1.のサイトから入手した資料によれば、報告書は、最後から1つ前の段落で
以上により、当小委員会が示した、現行再販制度を維持すべき「相当の別な理由」があるとする十分な論拠は見出せないとの認識が、国民に十分に浸透されていくことを期待するとともに、著作物の再販制度について、国民の議論を深め、その理解を踏まえて速やかに適切な措置を講じるべきである。
と、述べているが(下線は長谷川による)、新聞は、この記述を省略し、もっぱら「国民の議論を深め」る必要のみが結論されたような印象を与える報道内容になっている。本日図書館で調べたところは各紙の見出しは次のとおり(いずれも12/9付け、大阪本社版)
  • (朝日一面)再販「十分な論拠なし」:制度維持巡り規制緩和小委「廃止」文言盛らず
  • (毎日三面)「再販」存続結論先送り:廃止の方向にじます「個別配達網」に配慮
  • (讀賣一面)「再販」廃止は見送り:規制緩和委最終報告 多方面で検討促す
  • (産経一面)「再販制」の議論国民的に広めよ 規制緩和小委
 こらら四紙の中には、別面でもっぱら廃止反対論者の識者の意見のみを紹介したり(讀賣)、社説で「現実無視した見直し論議」などとして再販維持を強く訴える主張を展開した新聞(産経)もあった。
 また、四紙のうち三紙は上記報告書の要旨を掲載していたが、うち毎日の「要旨」では「以上により...講じるべきである」の中から上記下線部分が抜け落ちていた。
 他紙の場合も、よほど注意深く読まない限り、この委員会が、「現行再販制度を維持すべき『相当の別な理由』があるとする十分な論拠は見出せないとの認識が、国民に十分に浸透されていくことを期待」していることに気づかない恐れが十分にあるように思う。

 新聞各社は、要するに再販制度によって「同一紙ならば全国どこでも同一価格で手に入れることができる」ことが憲法で保障されている「知る権利」と密接にかかわると言いたいようである。しかし、テレビに加えてインターネットが普及しつつある現在、果たして戸別配達費用を上乗せした全国均一料金が「知る権利」に不可欠の要素であるかどうかは、はなはだ疑わしい。また、このコーナーでも指摘しているように(←更新が遅れてすいません)、政府高官の記者会見のような事実の伝達でさえ、記者の選択権がはたらくものは自社の著作物であるというような馬鹿げた主張をし、ネット上での新聞記事に基づく自由な意見交換に著しい制限を与えようとしている一部の新聞関係者がその一方でいくら「知る権利」を口にしても、業界の権益を守るための屁理屈にすぎないと思われるのがオチである。

 新聞の再販維持と書籍の再販維持は、しばしばセットにして主張されているようだ。産経新聞の9日の社説でも、最後から2番目の同じ段落のなかで、まず新聞の全国同一価格が「安心感を消費者に与える」とした上で、「...商業ベースに乗らない専門書、少数意見の言論などが葬り去られるおそれもある」と結んでいる。この、専門書の再販の件については、12月9日にも述べたように、インターネットが普及した現在、専門書相当の著作や少数意見は、ホームページ上でも十分に公開できるので、わざわざ製本化したものを出す必要はないというのが私の意見である。

 雨の日も風の日も厳冬の日も毎朝6時前にきっちり新聞を配達してくれる方には申し訳ないが、再販制が維持されようとされまいと、印刷され戸別配布されるような形の「新聞」は、いずれ近い将来に消えていく運命にあるような気がしてならない。前にも書いたが、牛乳配達も電報配達も、最近では滅多に見かけなくなった。いくら配達のスピードアップを図っても、テレビの速報性にはかなわないし、資料的価値はインターネット経由で入手する場合より必ずしも優れているとは言えない。生活情報や科学欄、文化欄、読書欄などは、そんなに急いで配達して貰わなくても、週刊誌で十分事足りる。私自身、月ぎめで3000円から5000円も新聞代を支払うよりは、ネットの利用にお金をかけたほうがよいかなあという考えが次第に固まりつつある。
 故紙回収でいちばん嵩張るのは何と言っても新聞紙であろう。地球上の森林資源の保護を考えた場合にも、また輸送に際しての二酸化炭素の排出を考えた場合にも、現状のような制度が「知る権利」を守る最適の情報伝達手段であるかどうか、だんだんと疑問を感じるようになってきた。

<本日の執筆量5036バイト←36バイトオーバー>
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと/リンク情報】
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【日々の記録】
  • まごちゃんは89歳、58g。
【生活記録(翌日朝まで)】
  • 昨日は蚊に顔や手のひらを刺された。また蚊帳を吊らないと...。
  • 娘のクリスマスプレゼント用のバイオリン(2000円で買ったリサイクル品)の修理費用は1万円程度になる見込み。これに弓を買うと...?
【夫婦の会話】
  • (妻)ねえ、デジカメってどうやって現像するの?
  • (私)むっむっむっ。何という素朴な疑問!
  • (妻)また、私をバカにして日記に書くんでしょう?
  • (私)いやいや(←といいつつ、書いている)
妻が聞きたかったのは、「現像」ではなくて「焼き増し」のことだったようだ。
【親子の会話】
【新聞記事のメモ】
  • (ここにスクラップブックを統合させる予定)


971214(日)
[生活]年賀状
 12月中旬となって、日記作者のあいだでもクリスマスカードや年賀状の話題をとりあげる方が増えてきた。内容も、一切書かない人、ごく親しい人だけに送る人、義理でやむを得ず大量に書く人などいろいろだ。いちど、有名日記作者が年賀状についてどういう見解を表明しているかを分類整理してみると面白いと思うのだが、あいにく本日はネットが切断されていて資料収集ができない。できれば、ぴったんこさんにお願いしたいところである。

 で、何かと態度を表明することの好きな私だが、年賀状に限っては特段の思想もポリシーも持っていない。「長い物に巻かれろ主義+事なかれ主義」だ。目上の人には、返事が来なくても毎年出す場合があるし、学生や卒業生からは、受け取った場合だけ返事を出す(毎年くれる卒業生でも、あらかじめ出すようなことはしない)。Eメイルで頻繁にやりとりをする人とは、原則として年賀状の交換は省略させていただいている。
 現実問題として、年賀状のやりとりをすることにどれだけの意義があるかは分からない。しいて言えば、疎遠な人と年に1度ぐらい近況を知らせ合う機会としての利用価値はあるかと思うが、これもEメイルが送れない年配の方が中心になる。。

 我が家の年賀状は、枚数が増えてもずっと手作りで、印刷屋に依頼したことは一度もない。数年前から、生協のパソコンセールで半額で買ったバブルジェット式のカラープリンタで写真や絵を印刷したものを使っている。きょうは1日かけて、妻と私の分の約130枚、息子と娘の分約40枚を印刷した。古い機種なのでもともと印刷が遅い。しかも、画像と、文字(インクカートリッジを黒専用にするため、挨拶文と住所)、表の宛名に分けて同じ葉書を3回印刷することになるので、1枚5分以上かかる。この忙しい時に、こういう時間を費やすことが意味があるのかどうか、やはり年賀状廃止宣言をしたほうがよいのではと、思うこともあった。

 今年の年賀状の絵柄は、妻と私の分は創作意欲がわかず、3月に撮影したヘールボップ彗星の写真を活用、手の込んだ絵を描くのが嫌いな息子は伝統的な干支シリーズ、絵の好きな娘はピカチューもう1種類。子どもたちの図版は、いずれも原画をスキャナで読み込んでから作画ソフトで加工したもの。

 もらった年賀状のうち個人からいただいたものは、殆ど保管してある。過去の年賀状は、交友関係の貴重な歴史であるが、もうひとつ、ワープロ、パソコン、プリンターの進化の歴史を知る上でも興味深い。今年は特に官製年賀状にコーティング紙が登場し、我が家の年賀状も印刷業者にひけを取らぬぐらいに見栄えがよくなった。ただ、子どもたちに対しては、昔ながらの芋判や版画に取り組む楽しみを奪ってしまったところを、少々反省している。
まごちゃんは88歳、58g。喜寿は77歳、白寿は99歳、88歳は何て言ったかなあ。そうそう米寿だ。しかし、どれもこれも文字の形から名づけているというところが興味深い。
<執筆量2770バイト>

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971213(土)
[生活]最近のちり紙交換/ラーメン
 地球温暖化防止問題など、環境保護や資源の再利用への関心が高まっているが、これを反映したのか、昼頃、「ちり紙交換」の中に、いままでと違ったアナウンスをしている車を発見した。
 これまでのアナウンスは
毎度おさわがせいたしております。こちらは毎度お馴染みのちり紙交換車でございます。ご家庭で御不要になりました古新聞、古雑誌、ボロ布などございましたら、多少に関わらずちり紙とお取り替えいたしております
だったと思うが、きょうの昼に聞いたアナウンスは、
 こちらは故紙回収車です。ちり紙との交換はいたしません。回収のみです。なお、雑誌類は有料です。」
 つまり、故紙を出す側としては、何の見返りもないし、雑誌類の場合はお金を払って持っていってもらわなければならないことになる。これでも出す人がいるのかと思ったが、軽トラはすでに満杯に近い故紙が積まれていた。まあ、考えてみれば、今までの「ちり紙交換」だって新聞1束でティッシュ1袋だったことがあった。ティッシュ1袋に故紙を渡すという行動を強化する力がないならば、むしろ環境保護を全面に回収活動を行ったほうがインパクトが大きいと言えるのかもしれない。

 さて、きょうは今年最後の土曜休業日だったので、みんなでラーメンを食べにいった。岡山市の名物というと、桃やマスカットなどの果物類は有名だが、あまり名物料理というのは聞かない。遠方から招いた集中講義の先生を歓迎する時でも、ホテルのレストランなどで、どこの都市にもあるような料理を召し上がっていただくのが通例になっている。ラーメンについても同様で、他県からわざわざ食べに来いと呼び寄せるほどの評判の店は、あまりないように思う。
 私が好むラーメンというと、ごくさっぱりした醤油味か豚骨風味のもの、但し、味噌ラーメンや白湯ラーメンも嫌いではない。その時の体調や、前日に食べたもの、気象状況などによって食べたい種類が変わってくるというのが正しいかもしれない。
 ラーメン屋で美味しいと思う店は、やはり1種類だけで勝負をする専門店であろう。こういう店は、メニュー表など置いていない。「3つ」とか「4つ」というように、数だけ言えば済むしくみである。こういう店は、とにかくその単品だけで経営を維持しているだけあって、麺にもスープにもこだわりがある。店の主人にも風格があり、客に媚びへつらうようことは決してない。私が知っている店としては、岡山駅東口から線路にそって数百メートル北上したところにある「丸天」と、国道2号線を東岡山方面に向かった途中にある「北京」がこれにあたる。「丸天」のほうはやや太めの麺と、チャーシュー以外に薄く切った蒲鉾がのっているのが特徴で、食べる回を重ねるごとに癖になりそうな店である。「北京」は自家製の野菜を使うなど、素材を大切にしている。豚骨と鶏ガラでだしをとっているが、脂やあくを取り除いているらしく、出されたラーメンには脂が浮かんでいないというところに念の入れようが感じられる。
 きょう行ったのは、「北京」よりやや西のところにある「丸伴」という店。この店「伴」という字を○で囲んだのれんを出しているが、正式に「バン」と読むのか「マルバン」と未だに分からない。店の人に「この店なんていうんですか」というのもちょっと恥ずかしい。ラーメン屋の本には確か「伴」という名前で紹介されていたと思うが、チェーン店全体の親会社名は「マルバン」という名前になっているようだ。ここは上記の2店とは違って、丼物とのセットメニューもある。ラーメンも、豚骨主体の普通の「ラーメン」と、鶏ガラのみの「生醤油ラーメン」があって、好みに差がある家族には向いている。また、食後に、セルフサービスでコーヒーを飲むことができる。
 岡山市内には、このほかにも数店、よく行くところがある。家族連れの場合、どうしても駅近くか駐車場付きの店に限られてしまうが、暇を見つけて好みの店を開拓していきたいと思っている。
まごちゃんは87歳、58g。
<本日の執筆量3599バイト>

971212(金)
[日記]来年からの日記執筆計画ver.1(12/14朝〜12/15朝アクセス不能)
この日記でも何度か話題にした「ちびくろサンボ」と、これを改作した『チビクロさんぽ』について、森まりもさんと「黒人差別をなくす会」との間で、やりとりが続いている。詳しくは、こちらを参照されたい。

 本年もあと半月余り、子どもたちの学校も、私のところの授業も、あと1週間で、今年の授業を終えることとなった。ここのWWWサーバは年中無休ということらしいが、先日、次のような連絡が入った。
年末年始の停止はありません。通常通り24時間運用ですが、年末年始期間中の停止や トラブルに関しては、1月5日以降の対応となりますのでご注意ください。
 うーむ。これでは、いつ切れるかわからない。で、毎日この日記をお読みいただいている方々にお願い申し上げますが、もし年末年始に更新がなくアクセス不能状態が続いた時は、1月5日までは復旧の見込みがないものとご承知おきください。

 さて、年末は年賀状書きとか大掃除とかあってじっくり慌ただしくなるので、まだ半月ほどあるものの、来年の「日記執筆計画」のver.1なるものを作ってみた。人に読んでもらうような内容でもないが、何かと参考になれば幸いである。

 まず、この日記を含めて今年1年間の「日記執筆活動」を振り返ってみると、1月に「スクラップブック」を開始、2月にヘールボップ彗星の接近に合わせて「彗星日記」を開始、これらを「日記猿人」に登録したのが3月26日であった。「彗星日記」のほうは、ヘールボップ彗星が遠ざかったあと、「続彗星日記」として「自然とのふれあい」をテーマにしばらく書き続けた。その一方で、「じぶんを更新」することを目的に5月6日に「じぶん更新日記」を始め、しばらく三本立てで書き続けたが、やはりその維持は時間的に難しく、7月に「続彗星日記」を「じぶん更新日記」に統合、その一方、日記猿人の565の登録番号は「仕事中に書く日記」として、毎日読者約1名(いつもご愛読ありがとうございます)を擁しながら細々と続け、現在に至っている。
 これを執筆時間別に分けてみると、「スクラップブック」が、朝6時〜6時45分、「じぶん更新日記」は就寝前の約1時間。「仕事中に書く日記」は文字通り、仕事の最中に予定表を更新し、外来者や私に電話連絡をしたい方へ最新の情報をお届けする趣向となっている。なお、最近では、このほか、昼休みや夕刻に★(日記の感想)という裏日記も書いているので、仕事時間を除いたかなりの時間帯を日記執筆と日記読みに当てている現状となっている。
 これらを続けてみて思ったことは、まず、全般的な問題として、やはり時間をかけすぎているということだろうか。どこぞの家では「インターネット制限令」が出たとか聞くが、私の場合は、何よりも「日記執筆制限令」を自分に出す必要があると考えつつある。
 もうひとつ、むしろこちらのほうが問題なんだが、本格的に日記を書き始めた6月以降、ホームページの他の部分の更新が殆どストップしてしまった。ホームページ全体の「更新活動」という点からも見直しが必要かと思う。

 そこで、考えた改善策は、次のとおり。
  1. 「日記猿人」に「ランキング参加&手動更新報告」する日記は「じぶん更新日記」1本とする。
  2. 「スクラップブック」は、「じぶん更新日記」に統合。
  3. 「スクラップブック」で続けていた、新聞からの手動入力は、時間節約のため、ネット上の情報からのコピー&ペーストによる取り込みと、印刷記事のOCRによる読み込みに切り替え。こうなると当然、著作権上の問題が発生するので、公開はできない。まずは個人ディスク上のみに保管し、論説で引用する場合にかぎって、そこから引き出す。
  4. 「仕事中に書く日記」と「スクラップブック」の登録番号はそのまま残すが、これだけ登録日記数が増えてきた現在、3本も登録することには少々うしろめたさを感じるところがあるので、様子を見た上で、登録削除に踏み切る。

 次に、日記のスタイルであるが、これまで、「日記猿人」からのリンク先に指定してあるファイルには、当日分と前日分の日記を掲載し、それ以前の分は月別に1つのファイルにまとめて保管してきた。しかし、この方式であると、月末に近づくにつれて、月別ファイルのサイズが巨大化し、モデム経由で読んでいただいている方には非常にご負担をかけることになる。そこで、何人かの日記作者が採用しておられるように、「当日分」のみを掲載したファイル、そこからリンクされる「前日分」のファイル、あとは、毎日を別々のファイル名(たとえば、本日の日記は「d3-9712/d3-971213.html」というファイル名)で保管する方式に改めたいと思っている(日記のスタイルについては、以前ぴったんこさんが、いろいろなスタイルを分類しておられたが、日付が思い出させない)。
 この方式の問題は、過去分について、キーワードによる検索が困難になることだろう。そこで、少なくともインデックスファイルを別に作る必要があると思うわけだが、ここまできっちり遂行する時間的余裕があるかどうかは自信がない。ただ、個人用のディスクには、半年分の日記を全部まとめた別ファイルを作り、関連する話題を取り上げているファイルをすぐに検索できるようにしておきたいと思う。

<追記>ぴったんこさんの当該日記は8月25日分であることを確認した。
まごちゃんは86歳、58g。
<本日の執筆量4952バイト>

971211(木)
[生活]再販その後/我が家のクリスマスプレゼント
 きょうは、「怒りの鉄拳:再販編」(その3)を書いて、このシリーズをとりあえず終える予定であったが、夕刻にネットが混雑していて、執筆に必要な資料を取り寄せることができなかった。とりあえず、複数の日記作者の方から教えていただいた基本的な関連サイトを御紹介させていただくだけにとどめたい。
  1. 行政改革委員会規制緩和小委委員会報東京大学の三輪芳朗氏。ホームページはこちら
  2. 委員会発表ただし、本年7月の資料。
  3. 公正取引委員会「規制研」

 それにしても、政府機関のホームページは、いつアクセスしても読み込みが遅い。18:00の時点で、上記の2.は、アクセスはできたものの読み込みの途中で時間切れ強制切断になってしまった。3.は、ついにアクセス不能。もっとも、18:30頃からは、日記猿人を含めすべての外部サイトにアクセス不能となってしまったから、あるいはローカルな問題だったのかもしれない。

 ということで、別の話題。きょうは、仕事が一段落したので、午後は年休をとって、妻と一緒に子供のクリスマス・プレゼントを買いに行った。うちはクリスチャンではないが、プレゼントは毎年買い与えている(もっとも、本当のクリスチャンは、クリスマスの夜は教会に行くはずだ。そういえば、「ぴ」さんも教会に行くのだろうか)。
 ところで、プレゼントと言えば、小3の娘のほうは未だにサンタの存在を信じているようだ。せっかくの夢を壊すまいと、誰もそれを否定しない。「みんなのうた」のなかに「僕は熊の縫いぐるみ」という歌がある。その中の「5年前のクリスマス、パパのサンタクロースが」という歌詞が聞こえるたびに冷や冷やするものだが、歌詞の意味を考えたことがないのか、疑問の声は聞かれない。
 ちなみに小6の息子のほうは、小2の頃から疑問をいだき始めていた。そもそも1人のサンタが、世界中の子供にプレゼントを配れるはずがないと合理的に考えていたようだ。ただ、「サンタは存在しない」と言ってしまうとプレゼントを貰えなくなると思っているらしく、未だに、真正面から存在を否定する発言は出ていない。

 さて、今年のプレゼントだが、遠慮がちの息子のほうは例によって何も欲しがらない。娘のほうは、ピアノの先生がバイオリンも弾くのに感激して、バイオリンが欲しいと言っている。しかし、バイオリンというと、ふつう5万円ぐらいはするはずだ。いくら何でも贅沢すぎる。そこで、妻がいろいろ調べ、リサイクル・ショップのような所で3000円で売っているという情報を入手した。さっそく車でそちらに向かう。
 ところで「日記猿人界」には仲のよい御夫婦がたくさんおられるようだが、私のところは結婚15年になるとはいえ、基本的に相互不干渉の友達夫婦のようなところがある。それも、どちらかというと「論争友達夫婦」のようなもので、特に一緒に買い物に行って仲良く帰ってきた試しがない。きょうも、行きがけから、リサイクル・ショップの場所捜しでさっそく「論争」が始まった。
 道を間違えたりして迷ったあげく、ようやくショップにたどり着く。リサイクルショップにふさわしく、倒産した会社の古い倉庫を改造したような店作りで、おばあさんが独りで店番をしていた。さっそくバイオリンを手にしてみるが、何と弓は付属していないという。弦も全部切れている。要するにバイオリンといってもタダの箱だけを売っていたのである。これはどう見ても、大型ゴミから拾ってきた代物だ。ただ、車で片道30分以上かけて買いに来た手前、手ぶらで帰るのもバカバカしい。2000円に値切って、箱だけのバイオリンを手に入れた。

 帰りがけ、バイオリンに弓が付いているかいないかを何故確認しなかったのかと、またまた論争が始まる。しかし、このままでは使えないので、シンフォニーホール近辺の楽器屋で、「修理」を依頼することになった。私の方は、妻が楽器店に行っている間、近くの「トポス」で、息子のプレゼントを物色する。
 もともとの計画では、「トポス」で5000円程度のパソコン・ソフトを買ってやるつもりだったが、営業方針を変更したせいか、Win95以前の処分品を数点置いているだけで、プレゼントになりそうなものは何もなかった。しかし、何も買わないと駐車料金を支払わなければならない。結局、どうせいつかは買うのだからと、「プレイステーション」本体を17800円(税別)で買ってしまった。遠慮がちの息子は、結果的に常識を越える豪華のプレゼントをもらえることになったわけだ(もっとも、ソフトは全部小遣いで買わせる予定)。
 一方の妻のほうだが、楽器店では、「このバイオリンは殆ど修理不能だがいちおう見積もりを出してみる」ということになったそうだ。しかし最低限、新規に弓を買って、弦を取り付けると2万円ぐらいはかかるらしい。そんなにまでして買ってやる必要があるのか、....私が買ったプレステの妥当性を含めて、またまた論争になりそうな雰囲気だったが、それどころではなくなった。店を出た頃から、急に雨が降り出してきたのだが、何とベランダの手すりに布団を干しっぱなしにしていることが判明したのである。そのあとどういう会話が交わされたのかは御想像にお任せするが、アパートに戻るまでの約30分、雨が降り続いたことだけは確かであった。
まごちゃんは86歳、58g。
(本日の執筆量4881バイト)