【思ったこと】
980111(日) [一般]ホームページの写真掲載で伝えられること、伝えられないこと きょう(1/10)は、今週の自然のアルバムを2週間ぶりに更新した。15年以上も前の古いアルバムを引っぱり出してきて印象に残った雪景色を集めてみたものだが、どちらかと言えば「人に見せる」というより「自分で懐かしむ」ためのコレクションと言ったほうがよさそうな内容であった。 このことに関連してふと思ったのだが、プロの写真家ならともかく、私のような素人が写真で伝えられることというのはどの程度のことまでなのだろうか。 例えば、上述のアルバムには、何の変哲もないハバロフスクの町並みの写真がある。なぜあれを載せたかと言えば、あの時はとっても寒かったことを覚えているからだ。なにせ、氷点下40度近い。ヘタに深呼吸などすると、気管から肺の入り口まで痛みが走る。ふつうに息をしても、鼻毛が凍ってパサパサと落ちてくるほどだった。あの寒さを写真1枚で伝えるというのは相当のプロでないと難しいかと思う。 アルバムのいちばん下に載せてあるキリマンジャロの頂上付近の写真についても同じことが言える。あのアルバムでは、ここにある上のほうの写真を掲載したが、実際の見え方は下の方の写真に近かったと思う。詳しい生理的な根拠は忘れてしまったが、空気が薄いために視覚器官か視神経のどこかが鈍化して平地の40%ぐらいの明るさにしか感じないためであると聞いたことがある。 このほか、ニオイなんかを写真で表現するのも非常に難しいと思う。今回のアルバムには載せていないが、チベットの寺院に入ると、動物の脂が焦げたような独特のニオイがたちこめている。これはテレビの番組など見ても到底伝わらない。 写真というのは、おそらく、実体験と独立して純粋に視覚刺激としての芸術的価値をもたらすものと、何らかの体験を思い出させる手がかりとして価値をもつものに二分されるのだろう。前者はプロの写真家が腕前を競うところであって、私には真似できない。いっぽう後者は、視覚刺激を与えられることで、その時体験したもろもろの環境刺激を呼び起こす効果をもつもの。言ってみれば、メトロノームの音を聞いてよだれをたらす犬と同様、条件反射によって体験を再現させる効果をねらったものである。 後者のほうは、共通した体験がなければ何の感動もよびおこさない。例えば、校庭の隅にあるウサギ小屋の写真は、その小学校の卒業生が見ればたまらない懐かしさを呼び起こすであろうが、その学校に一度も通ったことのない者にはタダのホッタテ小屋にしか見えないだろう。そういう意味で、ネット上で公開する写真というのは、伝える側と伝えられる側の食い違いが大きく、制作者側の自己満足に終わってしまうことが多いのかもしれないと思う。 余談だが、昨年10/27の新聞に、民間人の宇宙旅行の予約が始まったという記事があった。参加費は9万8000ドル(約1180万円)で地上約100キロの上空を2時間半から3時間飛び、2分間ほどの無重量状態を楽しむという内容のものであるという。地上100キロを飛ぶと言っても、小さな窓から地球の景色を楽しむだけであるから、視覚刺激だけを再現するならどこぞのテーマパークに行っても十分体験できるはずだ。それにもかかわらず宇宙旅行を熱望する人は、何を求めるのか。1つは「自分は宇宙に行った」という観念的な満足。もう1つは、おそらく無重量と船外の景色との対提示による条件反射の形成ということになるのだろう。宇宙旅行とまで行かなくても、観光目的の海外旅行は、多かれ少なかれ、観念的な満足と条件反射の形成をめざして出かけるものかもしれないと思ってみたりする。 |
【ちょっと思ったこと】
きのうの朝食の雑炊を、子どもたちが「人参くさい」と言っていた。原因は、もらった「金時人参」を使用したためと分かった。「金時人参」に限らず、私が子供の頃の人参というのは、もっと長くてニオイがきつかった。 |
【新しく知ったこと】
サルの実験研究で長年お世話になっている京大霊長研の松沢さんから、12日20時からの「生き物地球紀行」をぜひ見てくれとの案内メイルが入った。松沢さんには共同利用研究で何度かご指導をいただいたことがあるが、私が1つのテーマでかかりきりの時に、5個も10個も仕事を抱えていて、そのいずれにも深い造詣を示していた。日本人の天才を5人あげるとすれば、間違いなくそのうちの1人に入る方だ。 |
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