【思ったこと】
980116(金) [一般]虹/オズの魔法使い 今日の夕刻、岡山ではとっても美しい虹が見えた。これだけ美しい虹は、日記によれば昨年の5月25日以来のことであるが、あの時よりは遙かにくっきりしていて、根元からはっきりと見えた。で、さっそく、デジカメで写真を撮る。夜はこれを「今週のアルバム」に貼り付ける作業にとりかかった。電話代と接続時間が気にならない方は、とりあえず、こちらのアルバムを見ていただきたいと思う。 さて、今日は虹について思うことを書こうかと思ったが、日頃から皮肉を言ったり論争することばかり好む私のような人間には虹の美しさを言葉で表すことができない。そこで、虹から連想された「オズの魔法使い」のことを書こうと思う。 ところで「オズの魔法使い」と虹がどういう関係にあるかと言えば、これは、ひとえに1939年のアメリカ映画「オズの魔法使 The Wizard of Oz」の主題歌「Over the rainbow」による。原作では虹の歌はひとことも出てこなかったと思う。 そういえば、この映画のストーリーは原作とはだいぶ違っているようだ。英語の原著を読んだことがないので正確なところは分からないが、かなり原書に近い子供向きの訳書によれば、オズがドロシーを残して気球で旅立ったあと、ドロシーたちは南の国の魔女を訪ねる旅に出る。そして苦難の末、南の国の魔女の知識によって初めて、東の国の魔女から奪った靴が、好きな場所に飛んで行かれる魔法の靴であること知り、やっとカンザスへ帰れるというストーリーだったと思う。それはそれとして、この小説で面白いのは、本当は賢いが頭脳がないと思い込んでいるカカシ、本当はいちばん優しいのに心がないと思い込んでいるブリキマン、本当は強いのに弱虫だと思い込んでいるライオンが登場し、オズのおまじないによって、それぞれ自信を回復するというストーリーである。これは間違いなく一種の心理療法である。私が子どもの時にいちばん最初に読んだ心理療法の事例であると言ってもよいかもしれない。 オズがカカシ、ブリキマン、ライオンに行った心理療法については、行動分析学者による新解釈がある。詳しくは、行動分析学会の伊藤先生の記事をご参照いただきたい(行動分析学会ニュースレターのページ自体は、こちら)。但し、これは原作ではなく映画についての解釈である。 映画のほうでは、南の魔女は出てこない。最後は、北の魔女から次のような示唆を受けて、飛行靴でふるさとに帰ることになる。 この部分で少々気になるのは、「何か望みをかなえたいと思ったら、まず自分の周りを見るの。答えはきっとそこに見つかるはず。」というくだりだ。もっともこれは日本語訳のせりふであって、英語のせりふでは確か「backyard」という言葉が聞こえていたから正確な訳であるかどうかは分からない(ここは、専門家にお任せしよう)。ただ、日本語訳の範囲での解釈であるとはいえ、この部分は行動分析学的に見て、ひじょうに意味深い示唆を与えている。つまり、解釈によってはこうなるのだ。「自分の行動を変えようと思ったら、ただ変えたい変えたいと願ってもだめ。望みをかなえたいと思ったら、まず自分の周りを見るの。そこには行動随伴性がある。答えはきっとそこに見つかるはず。」となるのだ。 もっとも、映画そのものの主題は「故郷がいちばんいい」というあたりにあったのかもしれない。子どもの頃トッパンの絵本で読んだ「青い鳥」も最後は「青い鳥は本当は我が家に居る」というような主題だったと記憶している。小市民的と言われればそれまでだが、まあ、妥当な結論かもしれない。 |
【ちょっと思ったこと】 |
【新しく知ったこと】 |
【リンク情報】 |
【生活記録】
夕方岡山局ののNHKニュースでも虹の映像を紹介していた。これを見た息子が、「あっ、そうか、虹の左側の端っこは岡大のほうにあったけれど、右側の端っこは岡山城の向こう側にあったのか」と言った。虹は誰でもはっきり見えるが、実体のない存在である。しかし息子はどうやら、特定の地点に根をおろした実体であると思い込んでいたようだ。 |
【家族の出来事】 →(1/17ちょっと更新) |
【スクラップブック(翌日朝まで)】
※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
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