【思ったこと】
980123(金) [一般]大学の入試問題は難しい 先日のセンター試験の問題をちらっと見て思ったが、私自身が受験生より高い点数をとれそうな科目と言えば、英語ぐらいのものだろうか。漢文の読み方も、物理の運動量の公式も、世界史のさまざまな出来事も、みーんな忘れてしまった。私ばかりでなく、おそらく文学部の先生方が受験されたとしても、御自分の専門分野・関連分野の科目を除けば惨憺たる成績で、枕を並べて討ち死にと言ったところだろう。 しかし考えてみると、いまの私はそういう問題が解けなくても特段の不自由なく生活している。となると、あんなにまで難しいことを勉強する必要があるのか、少々疑問になってくる。 大学入試の問題というのは何のためにやるのか? 立場上あまり軽率なことは言えないが、少なくとも「大学で研究していくための最低限の実力があるかどうか」を調べるためのテストではなさそうだ。 難関と言われる大学の場合には、入試は単なる「志願者を振り落とすための道具」にすぎない。漢文も物理も世界史も、およそ大学での専門教育には必要ない。本当は資格試験をパスした者からくじ引きで選んでもよいのだろうが、それでは努力が報われない。また、同じく、資格試験をパスした者どうしでマージャンや囲碁・将棋をやって勝者を入学させたとしても、入学後の研究遂行能力が今より劣ったものが入ってくるとも思えない。しかし、どうせ何か勉強させるなら、マージャンや囲碁・将棋よりは、多少なりとも学問らしい科目を学ばせたほうが体裁が保てるというものなのだろう。 入試問題というより、そもそも高校では難しいことをたくさん教えすぎるという気がする。この背景には、難しいことをいろいろと学ぶことが一般的な思考力や創造性を育てるとの前提があるように思われる。かつてヨーロッパでも「ラテン語を学ぶと一般的な学習能力が伸びる」との固定観念があったようだ。しかしいずれも科学的根拠は乏しい。そもそも一般性の高い思考力とか創造性というものが存在するのかどうかさえ疑わしい。 高校で学ぶ科目、学ばない科目の選別にもいろいろな要素が働いており、現状が最適とは思えない。私などの立場から言えば、スクールカウンセラーを配置すること以前に、種々の立場の心理学を高校の必修科目に指定したほうが今の生き方にプラスになるように思うのだが、中学や高校にそういう専門教員がいないので、現行の教育課程の審議機関には要望として上がりにくいところがある。 いずれ少子化が深刻になり若手の労働力が不足してくると、全日制の高校や大学を卒業してから職に就くよりも、中卒で就職して、将来ゆとりが出た時に社会人入学のかたちで高等教育を受けるほうが収入が高くなっていく可能性もあるだろう。高等教育の内容や入試制度もそれに合わせて変えていかざるをえない時がくるものと思う。 |
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※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
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