【思ったこと】
980125(日) [旅行]冬の北海道旅行 息子の「お受験」も終わったので、今年の春は、家族旅行などしてみようかと時刻表を買ってきた。試験前には「試験が終わったら北海道にスキーに行こう」などと言っていたのだが、わざわざ北海道くんだりまで行って、空港とスキー場のホテルを往復するだけというのも何となく勿体ない気がしてきた。 それと、岡山から北海道に行くには、飛行機利用の2泊か3泊かのパック旅行が一番安いが、これでは何とも短すぎる。ちょうど我が家では「ももてつ」(→スーパーファミコンの「桃太郎電鉄Happy」)が流行っていることだし(←と書きたいところだが、「ファミリー日記」でいろいろ書かれているしなあ)、このさい、本当の鉄道旅行をやって、日本列島の本当の大きさを体感するのも一興かと思う。 私自身が初めて北海道を旅行したのは大学1年生の12月だった。あんまりお金がなかったので、とりあえず1万円以下の予算で計画する。当時、北海道の周遊券は、冬期は北海道全体も道南も、いずれも2割引になっており、これに学割を使うと4割近い割引で旅行することができた。これで5200円程度になったと思う。 最新の時刻表によれば、北海道ワイドのほうは4/1〜5/31と、10/1〜1/31までに発売されるものに限って1割引、つまり、3月に旅行すると割引なし。また道南は全く割引なし。なお、周遊券は1カ月前から発売されるので、暇な学生ならば5/31に6/30出発の北海道周遊券を買っておけば7月上旬に割安な旅行ができるメリットは残っている。もっとも、最近はセメスター制が定着し、7月で前期を終了し8、9月を夏休みにする大学が多くなってきているので、7月上旬に北海道旅行をするのは学生では困難になりつつある。 最初の道南地方旅行の時は、とにかく健康と体力には自信があって、すべて車中泊だけで通した。上述の周遊券は急行の自由席はタダ(今は、周遊区域内は特急自由席もタダになっている)なので、北海道までは、「八甲田」(当時は青森-上野間の急行)、桜島(当時は東京-西鹿児島間の急行)、あるいはきたぐに(当時は大阪-青森間の急行)などと青函連絡船で往復した。また当時、札幌と函館の間には夜行の普通列車が運行しており(当時は小樽経由だったが、今は千歳線経由の快速があるようだ)、座席に身体を「く」の字に曲げて一夜を明かした。風呂は入らず、列車の洗面所のお湯を使ってタオルで適当に身体を拭くだけ。着替えは、一枚の下着を表と裏で2日ずつ使った。食事は、駅から少し離れた地元の人向けの食堂でジンギスカンなどを好んで食べた。青函連絡船から見る津軽海峡の冬景色、函館を出ると間もなく見えてくる駒ヶ岳の異様な山容、支笏湖から見る樽前山の神々しい姿などが今でも記憶に残っている。 北海道にはこのほか、やはり冬に、車中13泊で、北海道全体を旅行したことがある。その後、6月の原生花園見物、9月の山登りなど、北海道での観光目的の滞在は合計100泊以上になるが、もはや車中泊の体力はなく、殆どがユースホステル利用になった。結婚後も観光以外の目的で訪れたことがあるが、これは航空機利用。千歳経由だと道南地方がかえって遠く感じられる。久しぶりに時刻表をながめて驚いたのはJRの線路が半分ぐらいに減ってしまっていたことだ。オホーツク海を網走から浜頓別方面に貫く線、羽幌を通る線、広尾に向かう線、標津方面などがいずれも消え去ってしまった。青函連絡船の上で食べた「海峡ラーメン」も今はない。昔よりは移動範囲が限られた列車の旅になりそうである。なるべく温泉ばかりに泊まりたいが、子どもに感動を与える場所にも行きたい。さて、どうしたものか。 なお、今週の自然のアルバムに、1980年の3月に撮影した冬の北海道の写真を掲載した。電話代と接続料が気にならない方はご高覧いただければ幸いである。 |
【ちょっと思ったこと】
|
【新しく知ったこと】 |
【リンク情報】 |
【生活記録】 |
【家族の出来事】 |
【スクラップブック(翌日朝まで)】
※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
|