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2月2日(月)

【思ったこと】

980202(月)
[日記]1月の「日記猿人界」の動向
 1日遅れで、1月の「日記猿人界」の動向について述べたいと思う。まず、いつものように登録日記数だが、2/1の朝10時の時点で1327本、管理用を除く実質本数は、1137本となっている。この時点での実質登録数の中点は706番の「トイレで閃き」という日記であった。この「じぶん更新日記」も、全体を2つに分ければ、とうとう古い方の半分に含まれるようになったようだ。
 前回12/31の報告で、
日記猿人登録日記数は、12月31日午前8時30分現在で、1229番まで。管理者用を除いた現存日記数は1052本。前回チェックした11月29日には、猿人番号は1169番まで、実質1008本であった。この1カ月で、60本増加、離脱16本、差し引き44本の純増となっている。
と述べたが、この1カ月では、名目98本増加、実質で85本増加、離脱が13本という結果になっている。正月中は、日記の新規登録も、日記猿人へのアクセス数もぐっと減ったが、トータルで見ると、毎日3本近い増加する活発な月であったと言えよう。

 さて、以前にも指摘したが、これだけ登録日記の数が増えてくると、すべての日記に目を通すことは不可能になってきた。1つの日記を3分で拝見するとして、1日3時間かけても60本を読むのが限度。仮に24時間ぶっ続けてに読み続けたとしても20×24=480本が限度であろう。
 こうなると最近になって登録された日記は、よっぽど風変わりなことをするか、裏日記などで大々的にとりあげられない限り、日記猿人の多くの関係者に読まれる可能性は非常に少ない。
 この表では以前と同様の試みとして、ランキング参加日記のうち、登録番号2〜500をベテラン、501〜1000を中堅、1001番以降を新人として、先月の得票数リスト ( 2/ 1 05:45)を並び替えてみた。こうしてみると、1001番以降の日記で、1日あたり5票以上の得票を得た日記は1044、1191、1026、1103、1046、1152、1248、1224番の合計8本にすぎないことがわかる。やはり、新人日記作家を紹介するための特別のリストが必要ではないかと思われる。
 なお同じ表において、男性の日記作者は6割強といったところ。たまたま、表中のホリウチさんの1行コメントで「元気ない男性日記」とあるが、内容はともかく、それなりに頑張っているのではないだろうか。(中堅Top10のところでホリウチさんが、ななゑさんとりえさんに頭を押さえられるているのが、いかにも元気なさそうに見えて興味深い)

 今回は、投票ランキング参加者の日記をとりあげたが、もちろん、不参加の日記の中にも読み応えがあるものが多い。上記の2/1の朝10時の時点の日記一覧では、管理者用を除いて205本、18.0%がランキング不参加となっている。前回12/31調査の時点では、191本、18.2%であったので、本数では増えたものの比率では若干の減少となっている。但し、さらに過去のデータとして昨年6/27のリストをチェックしてみると、この時点での実質日記数は、668本、このうち投票不参加数は86本で12.9%。昨年9/29のデータでは、実質865本、不参加数は134、15.5%となっているので、長期的には投票不参加比率は増加傾向にあるかもしれない。いずれ詳しくチェックしてみたいと思う。
 私個人について言えば、不参加の方の日記は、よほど有名な方(たえさん、colonさん、遠藤さん、シロクマさん、そのほか5-6名の方)のものでないと目にとまらない。この点については、明日、データをとってみたいと思っている。
【ちょっと思ったこと】
  • 日本相撲協会の第8代理事長に、時津風勝男さんが選ばれたという。相撲協会の年寄名は、時々代替わりしたり取り替えたりすることがあるので、どなたが時津風さんかと思ったら、元大関の豊山だった。私が記憶している歴代理事長と言えば、小学校の頃が元双葉山、そのあと、栃錦、若乃花、佐田の山というように続いたと思うが、大横綱の大鵬や柏戸が顔を出さないまま、横綱経験のない豊山が理事長に選ばれたというのはちょっと意外な気がした。もっとも、プロ野球などみても、名選手が必ずしも名監督になるとは限らない。相撲でも、現役で強すぎた力士よりは、脇役と言われた力士のほうが上手に弟子を養成しているように見える。相撲協会の運営手腕と、現役時代の強さは別の能力であるから、元横綱でなければ理事長として不適という議論は妥当性を欠くものと思われる。
  • ところで豊山というのは、私が小学校から中学の頃に活躍した力士である。前理事長の佐田の山とは同時代の力士であり、激しい対戦が記憶に残っている。私の父は、佐田の山が学生横綱出身の豊山をバカにしたのに対して豊山が激しい闘志を燃やしたためだと勝手に解釈していた。
  • 佐田の山と豊山については、もうひとつ引退の経緯が対照的であったように記憶している。大概の横綱は黒星が重なったり休場を繰り返した後に引退するが、佐田の山は、私の記憶では優勝した翌場所に12勝3敗の好成績を残しながら30歳で引退した。それゆえ、どの力士に対しても全力投球の突っ張りでのぞむ姿が思い出されるものの、あまり弱さを感じさせることがなかった。もっともこのように早期に引退できたのは、出羽一門の恵まれた環境の中で引退後の地位が約束されていたからだという説もある。
  • いっぽう、豊山のほうは、いわゆる無気力相撲で批判されたことのほうが記憶に残っている。
    ちょうど中学の国語の授業で、各自が新聞記事を1つ切り抜き、その主張と論拠をまとめてくるという宿題が出されたことがあった。私が選んだ記事は、「豊山が、長谷川を相手にいかに無気力な相撲をとったか」を主張する記事だった。
    当時は大関陥落の基準がいまより寛容であったため、豊山に限らず、大関の引退間際の相撲には無気力なものが多かった。
  • 大関陥落のことでもうひとつ付け加えると、陥落後にも場所を沸かせた力士として、大麒麟、霧島や小錦を忘れることができない。いっぽう、陥落後、殆ど花を咲かせることなく引退していった力士もいた。その代表格が、新しく理事に選出された前の山であろう。
【新しく知ったこと】
【リンク情報】
【生活記録】
【家族の出来事】
(本日も更新なし)
【スクラップブック(翌日朝まで)】
※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
  • 入試成績102大学開示[2/3 朝日]。
  • 米国の1999年度(但し、1998.10-199.9)の予算教書、30年ぶり黒字計上。歳入は5.1%増の1兆7427億ドル。歳出は3.9%増の1兆7332億ドル。[2/3 朝日]