【ちょっと思ったこと(その1)】
980221(土) [一般]卒業について思ったこと 夜に予餞会があったので、今日の日記は短め。 予餞会というのは、教室の学部3回生が主体となって学部卒業・修士修了の学生を送る歓迎会である。本来はOBや退官した先生方もお招きする建前となっているが、実際の参加者は、2回生以上の学部生、大学院生の一部に限られる。「予餞」には特別の意味があったと思うが、すっかり忘れてしまった。 この予餞会では、毎年、卒論生・修了生ひとりひとりが挨拶をすることになっているが、年によっては感きわまり途中で言葉が出なくなることがある。今年はそこまでは至らなかったが、男子を含めて何人かの学生が涙ぐんでいた。 なぜここまで感激するのか、そんなに卒論頑張ったかなあなんて思うところだが、学生にしてみれば単に卒論研究や授業一般だけではなく、もろもろの人間関係、サークル活動、アルバイトなど4年間の学生生活全般をふりかえり、人生に大きな区切りをつけようとしているのかなあ、などと推察している。 私自身は大学院に進んだため、大学卒業というのは単なる日付の変更以上に何の意味も持たなかった。確かあの時期には、ハトを使った学習実験を続けており、大学生活の最後の日の3/31も大学院入学初日の4/1も、全く変わらない生活をしていたように記憶している。 社会人になったということで言えば、大学院を終えた年が大きな区切りということになる。しかし、私は、そのあと6年もオーバードクター(就職浪人)をやっていたので、ここでもまた大きな変化はなかった。33歳になってようやく専任職に就いた時にはもうヘトヘトで、特別の心境の変化などなかった。 私の場合、中学や高校の卒業式についてもあまり思い出がない。中学の場合は、クラスの約半数が同じ高校へ進学したため、人間関係に劇的な変化が起こらなかった。高校の時は、ちょうど東大の安田講堂事件が起こった時期であり、高校内でもバリケード封鎖を伴った高校紛争が起こり、卒業式で感激するムードではなかった。私自身は気持ちの整理がつかず、式には出席しなかった。 人生にはいろいろあるもんだが、大学卒業に際して涙を流す学生を見ると、ちょっぴり羨ましく思う。大学の教官には、(私を含めて)社会性のない人間がいっぱいいる。先日の某会議でのやりとりを聞いていると、大学教員などは、未だに卒業式を迎えていない年寄りの学生の集まりかなあなんて思ってみたりする。 <補足>「予餞会」が行われたのは岡山駅近くのワシントンホテル最上階の「チャイナ・テーブル」。火曜日の中四国オフミと同じ建物の中であった。 |
【ちょっと思ったこと(その2)】
980221(土) [天文]イスラム諸国の月と星
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※“..”は原文そのまま。他は長谷川による要約メモ。【 】は長谷川によるコメント。誤記もありうるので、言及される場合は必ず元記事を確認してください。
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