【思ったこと】
980322(日) [心理]説明を求める心、何でも説明したがる心 人は、統計データに何らかの意外な変化があるとすぐに説明を求めたがる。マスコミはそれに答えて「専門家」に解説を求める。「専門家」もそう簡単に答は出せないはずなのだが、せっかく指名されたのには断れないと、記者があらかじめ用意した「説明」に相づちをうつ。読者はその「説明」に安心する。そういった図式が、各所に見られるような気がしてならない。 そういう説明には2つのテクニックがあるようだ。1つは同時期に起こった別の大きな変化に原因を求めること。同じ時期に2つの事が起こると、その一方が他方の原因であると錯覚しやすいからである。もう1つ、その解説者に持論がある場合には、あたかもその持論から当然予想された結果であるようにコジツケを行うこと。それによって自分の信頼性を高めることができるしくみだ。 実際に行われる説明は、たいがい場当たり的なものであるが、すぐに忘れ去られてしまうので「解説者」が責任を問われることは少ない。マニアックに記録に残しておくと、ずいぶん変な説明があったことに初めて気づく。たとえば1年前にこんな記事があった。
統計のデータには、ある対象からサンプルを無作為抽出して元の母集団の性質を推定する「標本調査」と、対象全体の変化を実数として把握する「全数調査」がある。「全数調査」で確認された変化は事実そのものを意味するが、それが単一もしくは少数の原因によって生じたという保証はどこにもない。 仮に、ある教室の学生(15人)の中で灰色の好きな人数が3年前の5人から10人に増えたとしよう。この変化は事実である。いかなる統計的に推測も必要としない事実である。しかしこのことは「世の中が不況になったために灰色が好まれるようになった」という主張の根拠にはならない。増えたという事実は、単なる偶然的な変動によるものかもしれない。より決定論的な観点からみても、同定できないほどの多数の原因が増加をもたらしたのかもしれないのである。繰り返し言えば、「不況の影響」というのは事実に基づいた推論ではない。(不況であるほど灰色の好みが増すという別の統計的根拠が示されない限りは)単なる事後解釈のひとつに過ぎないのである。 ここで、昨年の7/9のじぶん更新日記(「血液型性格判断」の記事に再録)に書いたことをもういちど引用しておく。 しかし、実験室の中ならともかく、無限に近い要因が複雑に作用して生じる現実の世界で、たった1つの原因によってある現象が起こったと考えるのは、そもそも無謀ではないか。 そもそも現実の世界では一つや二つの原因だけで違いが生まれることはめったにない。まことしやかな事後解釈に惑わされることなく、分からないことは分からないと言える勇気をもって、いろいろな原因を地道に分析していく姿勢が大切である。 <追記>ちょうどタイミングよく、3/23の朝日新聞朝刊に、新しい事例があったので追記させていただく。[長谷川による要約] 二十二日、防衛大学校で卒業式が行われ四百十七人が卒業。自衛官への任官を拒否したのは十人で昨年を八人下回り、過去十年で最少。防大では「自衛隊の任務が社会的に理解されたことや景気の低迷で民間の就職先が狭まったため」と見ている。 |
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