【思ったこと】
980325(水) [科学]サーカスの曲芸と「天才」チンパンジーのちがい 23日の日記でちょっとふれたが、京大霊長研のチンパンジー「アイ」の妊娠が確認されたそうだ。すでに1月頃から妊娠の可能性が高いという情報が伝わっていたので、出産予定日は報道された日よりずっと前の時点をもとに推定されることになる(3/25の朝日新聞では8月中旬と報じられていた)。 私は10年ほど前まで何度かこの研究所でお世話になったことがある(じつは妻はこの研究所の技官をしていた)。当時、アイは、例えば「青い色の5本の歯ブラシ」を見せられると、「青」、「5」、「歯ブラシ」(押す順序は忘れた)を表す模様のボタンを押すというように、簡単な人工言語を使いこなすことができ、さらにビデオを眺めて「AさんはBさんの所に向かう」というような動詞の学習をしていた。研究プロジェクトの方針にもよるので、必ずしも詰め込み学習で限界を見極めるというところまでは進んでいないと思うが、どこまで学習が進んだのか興味のあるところだ。 さて、この種の実験は、多くの人々を驚かせる。しかし、そのレベルならばサーカスの曲芸を眺めるのと一緒で学問的意義は見出せない。では、何のために実験するのだろうか。 それには、まず前提として、言語学習は、人間しかできないという作業仮説が必要である。例えば、言語学習には人間固有の「言語習得装置」が不可欠であると主張する理論を否定するには、何らかの言語を使えるヒト以外の動物を一例でも確認すれば事足りる。もちろん、単に理論を否定するとか支持するといった1かゼロかのロジックではなくて、ヒト以外の動物の言語行動はどこまで習得可能なのか、どこに限界があるのかというように、法則の適用可能範囲を見極めるような実験でなければ生産的とは言えない。アイが「ここまでできる」ということを示せば、人間と他の動物の間に暗黙のうちに仮定されていた境界線がよりはっきりしてくるというわけだ。 もし種としてのチンパンジーが特定の文法規則を理解できることを示そうとするなら、チンパンジーという母集団から無作為に抽出した被験体に言語訓練を施して検証していく必要があるだろう。しかし、アイの実験は、このロジックにはあてはまらない。アイはチンパンジーから無作為に抽出された標本ではない。あくまで、何頭かの候補の中から実験の遂行に最も適した個体として選ばれたエリートなのである。「どんなチンパンジーでも〜ができる」という結論は決して引き出せない点に注意する必要がある。 当時、アイをはじめ6-8頭ほどのチンパンジーと間近に接したことがある。その中には、自己認識、論理的推論、お絵かきなどの実験に参加している別のチンパンジーもいたし、性悪で檻の前を通る人にウンチを投げつける者、何も覚えられずにとうとう隣の動物園に返されてしまった者もいた。そんななかでアイは人工言語の使いこなすことにかけては世界中のチンパンジーの中でも5本の指に入る実力をもっているので、並みのチンパンジーでないことは確かだ。ただ一部の、テレビや新聞の報道のように、あまり「天才チンパンジー」とか「才女」とか強調されてしまうと、何のための実験なのか、逆に意義づけの拠り所を失ってしまうように思う。アイによって「ここまでできる」と示されることは、チンパンジーのうちの一頭によって示されることに意義があるわけで、もし100年に1頭しか現れない特殊能力の持ち主であったとするなら、実験の成果はすべて特殊事例として片づけられてしまうからである。 |
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