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昨日の日記

5月31日(日)

【思ったこと】
980531(日)[数学]n進法の思い出(最終回):『大学への数学』への情熱
 昨日の日記の続き。元の問題は、「n進法で整数のm乗を表記した時、ある(n,m)の組合せで一桁目にもとの整数が現れる必要十分条件は何か。またそのさい、mをnの関数で表せ。」という内容であった。これを、より数学的に表現すると、
整数pのm乗をp^mと書くことにすると、
p^m mod n = p となるような(n,m)の条件を求めよ。またその際、mをnで表せ。
ということになるかと思う。
 この問題、高校時代に思いついてはみたものの、自力で解くことはできなかった。いまでも発売されているが、当時、数学好きの高校生の楽しみとして『大学への数学』という雑誌があった。これを通じて知り合ったT氏にこの問題をもちかけてきたところ、2週間ほどで、完璧な正答が返ってきた。当時の書類はすでに手元には無く、細かい証明は全て忘れてしまったが、おおむね次のような結論であったと記憶している。
  • nの因数の中にベキ数が含まれている場合はmは存在しない。具体的には4進数、8進数、9進数など。これは、1桁目の数がゼロになってしまうからである。
  • 上記以外の場合は、mは必ず存在する。
  • mは、(nの各因数-1)の最小公倍数に1を加えた値である。
 実際にこの式によって22進数までのmを求めると次のようになる。
  • nが素数の時は、因数はn。よってn-1の最小公倍数に1を加えたものはn。要するに、m=nである.
  • nが6の時は(2-1)と(3-1)の最小公倍数は2。これに1を加えてm=3
  • nが10のときは同様にm=(2-1)×(5-1)+1=5
  • 同様にして、n=14の時はm=7、n=15の時はm=9、n=21の時はm=7、n=22の時はm=11を得る。

 こういう定理はたぶんずっと昔に発見されていたものと思うが、とりあえず「長谷川・T(これを解いた人の名前)の第二定理」として『大学への数学』へ特別寄稿されることになった。しかし、結果はボツ。理由は、証明が高校数学の範囲を越えており一般読者向けでないということだったと思う。

 さて、こういう問題が解決してますます数学者になる夢をふくらませたかというと、私の場合は、じつはそうではなかった。それは自分が何日間かかっても解けなかった問題を、同じ年齢のT氏があっさりと解いてしまったこと、しかもそのやりとりの中には「原始根」だとか、「Cayley?の定理」とか「de Moivre?の定理」というように、私が全く知らないような言葉がいっぱい出てきて、私の才能の無さと勉強不足がいっそう明白になってきたのである。また、こんなことばっかりやっていたせいもあったが、高3の時の模試の成績はそれほどよくなかった。けっきょく私は「某大理学部数学科」への進学を諦めた。

 余談だが、いま上の法則を「長谷川・Tの第二定理」と勝手に呼んだが、第一定理として提出された問題は、次のようなものであった。
集合の包含関係を示す方法としてベン図がある。nがどのように大きくなっても、あらゆる部分集合はそれぞれ1つの図形で表すという条件を満たしつつn個の集合を表すベン図が描けることを示せ。
 こちらのほうも、問題をもちかけたのは私。2週間ぐらいであっさり解いてしまったのはT氏であった。もちろん「第一定理」なるものは、長谷川・Tのオリジナルではない。その20年以上あとの話になるが、『数学セミナー』創刊30周年記念に「エレガントな問題を求む」という募集があったので、これに「第一定理」を応募したところ、前橋市のN氏と連名で優秀賞に選ばれたことがあった(1992, 4月号, p.79参照)。昔からたまに話題になる問題だったらしい。それはそれとして、『数セミ』で賞をもらったのは、私の生涯であれが最初であり、また頭の老化から言ってあれで最後になると思う。

 『大学への数学』は、高校生に数学者の夢を与えてくれる雑誌だった。印象に残っていることとして、私が高一の頃、この雑誌の「学力コンテスト』でいつも満点をとっている男性が居た。その名は、森重文(東海3)氏。数学好きの人なら、ああ、あの森先生かとすぐピンとくるはずである。
 いっぽう、上で、私のもちかけた問題2題をいとも簡単に解いてしまったT氏は、その後、第五世代コンピュータ・プロジェクトに参加され、gooで検索したところでは、現在も言語処理関係の研究で大活躍されているようだ。第五世代プロジェクト全体が、世間一般から必ずしも高い評価を受けなかったことは、少々不運であったようにも思う。
 T氏の息子さんもうちの息子も、そろそろ数学に興味を持つ年齢に達してきた。はて、うちの息子は『大学への数学』の愛読者になるだろうか?
【ちょっと思ったこと】
  • 日曜夜19時からの「ザ!鉄腕!DASH!!」(西日本テレビ)は、なかなか面白い番組だった。その中で日本語学校(教師養成学校を兼ねる)の授業風景をやっていたが、「これは本です→ハイっ→これは本です→ハイっ」とか「御飯を食べました。だから歯を磨きます。→御飯を食べたから歯を磨きます」というように、トレーニングの方式がなかなか合理的にできていた。日本人向けの英語教育もああいうふうにやっていったらよいと思う。たぶん民間の専門学校ではすでに同じ方式の英会話教育が行われているのだろう。とすると、なぜ中学〜高校では、旧態依然のトレーニング方式しかやらないのだろう。というか、学習指導要領の規定をもっと緩やかにして、英語教育方式にも競争原理を取り入れたらよかろうと思ってみたりする。
【新しく知ったこと】
【リンク情報】
【生活記録】
  • 妻は奥様連中と一緒に、どこやらに観劇に。夕食やら二次会やらあったらしく、午前0時を過ぎて帰宅。妻をオフミに送り出す夫の気持ちが分かりますなあ。余談だが、先週には娘が初めて友達どうしで1.5kmほど離れた古本市場まで行って来た。だんだんと個々人の好みに応じたバラバラの行動が増えていくということか。
  • 20時10分ころイリジウム衛星(56号)を観察するため息子と外に出る。マイナス4等の明るさであると予報されていたが、薄雲がかかっていたせいか、東の空約60度の高さに1〜2等星程度の光点が右方向に通過したにとどまった。ところが、なあんだと言っているうちに、ほぼ同じ明るさの光点が少し遅れて右方向に通過。あれえっと言っていたら、今度は逆方向(北行)にまたまた別の光点が。30秒程度のあいだに、それらしき衛星を3個も眺めることができた。
    <追記>こちらのボードの三島さんの書き込みによれば、倉敷でもこの時間帯に同じ星野に3〜4個の衛星が通過した模様。ただし、イリジウム衛星は1つだけで、残りは「LACROSSE 3」、「Iridium 54」、「RESURS 1-3 R」「COSMOS 2227 R」の順。なお、私が情報を得たサイトでは「Iridium 56」となっていたが、三島さんの情報では「Iridium 54」となっていた。この食い違いは不明。
    <追記2>きのうのイリジウムは56で正しかったようだ。倉敷で閃光を確認された三島さんが、こちらに閃光の写真をさっそくアップしておられる。
【家族の出来事】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • インターフェロン療法を行っても肝炎が完治しない「再燃型」のウィルス遺伝子型をもつC型肝炎患者でもインターフェロン療法が肝臓がん抑制に有効である、との研究発表。[6/1朝日]
  • 大阪府教育委員会が3年前に始めた「ふれ愛フレンド」の動きが全国に広がっている。文部省でも、学生を配置できる「ハートケア教育相談」事業を始めている。[6/1朝日教育欄]
  • サンスターの調査によれば、痛くなって我慢できなくなった時に歯医者に行く比率は、東京12.9%に対して大阪20.3%。関西人は歯医者嫌い?[6/1朝日新聞家庭欄]【調査対象は首都圏と京阪神の40、50代男女300人ということだから、12%とか20%というのは20人と30人程度の差。これをもって「関西人は歯医者嫌い」としてしまったら誇大解釈だろう。】
  • 町村文相は31日の飯山市での講演で、埼玉県所沢高校で生徒が入学式をボイコットしたのは「特定の左翼政党に牛耳られているから」としたうえで、「いろんな意見がある中では、最後に決定する人を決めておかないと組織は動かない。学校では校長であり、それに従うのが民主主義だ」との見解を示した。[6/1朝日]