6月22日(月)
【思ったこと】
980622(月)[教育]小・中学校で学ぶべきこと・教えるべきこと(1)
連載中の「人間界の左と右」については、明日アップの日記で読者の方からいただいた情報を紹介させていただきたいと思います。外国在住の方々から情報をいただけるとありがたいのですが...。
19時すぎ、車を運転しながらNHKラジオを聞いていたら、教育課程審議会が小中学校の教育内容を約3割ほど削減するという審議のまとめを発表した、とのニュースが伝えられていた。この答申、先月5/24の朝日新聞で改定案の主な内容がすでに明らかにされており、私自身も何かしら書こうと思っていたところであったが、けっきょくもたもたしているうちに正式発表の時期を迎えてしまった。
この案の骨子は、完全週5日制の実施に合わせて「ゆとり」を与え、児童や生徒の自主的な学ぶ力を尊重し、従来のテストでは測れないようなユニークな力を伸ばすということであったように記憶している。また、具体的には、小学校から台形の面積計算とか桁数の多い計算課題を無くし、2次方程式の解は中学から高校に移すというような内容。また、小学校で英語を教えられるようなしくみを作るというようにも伝えられていたと思う。明日6/23朝の新聞で正確な内容が伝えられると思うが今晩(6/22)の時点では、これ以上のことは分からない。
さて、こうした「ゆとり」の保証は大いに結構だと思うけれど、ここは結局、高校や大学の入学試験でどれだけの数の科目を課すのか、どの程度のレベルの問題を出題するのか、ということと密接に関わっている。いくら「ゆとり」とか言ったって、入試で難しい問題が出される限りは、それを解けるようになるために今以上に塾に通う必要が出てきてしまう。かといって、入試問題を易しくしすぎたのでは、定員を超える受験生がみな満点をとってしまうことになりかねない。大学は誰でも入れるようにしておいて、卒業までの要件を厳しくするという方策も考えられるが、いまの日本では、大学の留年生や中退者が大量に出るよりは、受験浪人を予備校に通わせておいたほうが社会的な安定が保たれるという事情もあるようにも思える。
こうした足かせを抜きにして教育内容の改革を検討することに限界があるのは承知しているが、ここではとりあえず、それらを考慮に入れずに、純粋に小・中学校で何を教えるべきかを考えてみたい。こうした問題の検討では、単に完全5日制実施に合わせてトータルの時間数を減らすための帳尻合わせに終わってしまうようでは困る。本当に教えるべきことは何か、という根本からの問い直しが必要であり、そのためには学ぶ側、学んだ側からの声も反映させていく必要があると思う。今回の改革には間に合わないとしても、日常的に、「学んだ側」からの声を発し続けていくことが大切であろうと思う。とりあえず、私が考えた基本指針は以下のとおり。
- 大人になって忘れてしまい、それでも生活に困らないようなことは教える必要無し。
- 大人になってから学んでも遅くないような内容は教える必要無し。
- 教科でも体育や音楽の実技でも、もっと選択の幅を広げ、個々の習得内容に応じて細切れに単位(小学校では「クリア」と言ったほうが好感がもたれるかも)を与えていく必要がある。そして、卒業要件は最低限の単位数(クリア数)とし、あとは多様な科目を個々人の希望に応じて増やせるようにする。
- 特定の科目・分野をみっちり教えても、それによって「普遍的知的能力」や「創造的思考能力」なるものが育つと考えるのは誤り。ずっと昔の心理学の研究で否定されているにも関わらず、「創造性を伸ばす」とか「知能を伸ばす」という使い方がまかり通っているのは問題。
- 教える以上は、90点以上をとらないと不合格にすべき。半分ちょっと理解した程度の点数では合格にするな。
- クラス全員に対して行う授業は、環境教育とかホーム・ルームだけに限定すべきで、それ以外は、個別学習やグループ学習を主体とすべきだ。
- 自然とのふれあいを大切にした教育が絶対に必要。スポーツ競技用の校庭ばかりでなく、それを上回る面積の水田や畑、自然観察林、花壇をすべての学校に整備し、これを軸に環境問題を考えさせる授業を実施すべきだ。大都市中心部で少子化による小中学校の統廃合が行われる場合、跡地はなるべく自然観察林などの教育施設に転用すべきでやたらビルを建てるべきではない。
時間が無いので、きょうはこの程度にとどめ、続きは明日以降に。しかし、連載が多いなあ。日記ネタには困らないとしても、企画倒れに終わらないように注意していかなければ...。
<6/23追記>予想通り6/23朝日新聞朝刊に詳しい内容が掲載されていた。またネット上でも、信濃毎日や毎日新聞などで概略が紹介されている。信濃毎日では“「国旗、国歌の指導徹底を図る」と表現をより強めた”点が強調されているような印象を受けた。
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【ちょっと思ったこと】
- TVニュースや新聞の報道によれば、札幌市内の少年(19)の集団暴走容疑に関連して、保護処分取り消しの決め手となったアリバイを示すビデオテープに偽造の疑いが強まり、北海道警は22日、撮影した友人の少年3人を証拠隠滅の疑いで逮捕したという。この事件では現行の少年法のもとでの審判制度の問題が論議されているようだが、そもそも、ビデオテープの録画の日付などいくらでも設定を変えることができるはずだ。そういうことを十分吟味せずに処分取り消しの決定を下した札幌家裁の判断能力そのものから問題にされるべきだと思う。
- 6/23朝のNHKローカルニュースによれば、広島県のグリーンコープがインドの核実験に抗議してインド製品の取り扱いの中止を決めたという。グリーンコープというのは岡山では全く見かけないが、長崎とか北九州では、日生協とは独立し、独自のCOOP商品を開発・提供する組織としてそれなりに定着していたように記憶している。しかし、果たしてこのことが経済制裁効果をもたらすものなのか、単なる自慰的行為に終わってしまうのか、何とも判断がつきかねる。
この問題に関連して、ちょうど、インドとの経済交流に詳しいゴリさんが6/22アップの日記で、アリバイ的な制裁の無意味さを指摘しておられたが、なるほどそのとおりかと思った。核実験にかぎらず、国家間の問題というのは、信義とか倫理とかが通用する世界ではない。高邁な平和思想より、幼稚園のわんぱく坊主どもを仲良くさせるための技法を国家レベルに応用したほうが、結果的に戦争の抑止に役立つという可能性が高いのかもしれない。
けっきょくは、「戦争をするより友好関係を保っておいたほうがお得ですよ」というような経済関係を保持すること、もっと具体的には、友好な関係が保たれることでより多くの利益が得られるような階層を相手国内の上層部に多数派として形成しておくことが、最も有効な方策ということになるのかもしれない。
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【新しく知ったこと】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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