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昨日の日記

6月24日(水)

【思ったこと】
980624(水)[一般]小・中学校で学ぶべきこと・教えるべきこと(2)国語(その1)漢字教育
 22日に公表された教育課程審議会の「審議のまとめ」について、「日記猿人界」でも多少の反応があった。私が拝見した限りでは、6/23付けの幹事クリタのコーカイ日誌さんの
そもそも学校を週5日制にするから教える内容を少なくしよう、という発想がおかしいと思います。教えるべき内容を先に吟味検討し、本当に社会に出るまでに学ばなければならないことだけを必須として、それを完全に理解させるのに必要な体制(週に何日学ぶべきか、ということだけではなく、1クラスの最適な人数や、授業の選択方法など)を考えるべきでしょう。
という御意見に代表されるように、全体として「先に週5日制ありき」ではないかという批判的な声が強かったように見受けられた。

 私自身も上で指摘された点はもっともだと考えているが、その批判を実りあるものにするためには、個々の科目で何を教えるべきなのか、またどういう教育体制をとることが一番望ましいのかといったことについて建設的な提案をしていくことにつきるかと思う。

 というような趣旨で、この連載では、科目別に私なりの考えを述べていくことにしたいと思っている。ただ、念のため言っておくが、この連載で書くことは本来、日記の上の「ひとりごと」にすぎない。それゆえ、根拠に乏しい思いつき程度の発想も含まれているし、他の方の御意見を拝聴したうえで修正することもありうる。いわばたたき台の提示のようなものであるとご承知願いたいと思う。
 さて、まずは国語から。国語教育について私が特に訴えたいことは、
  1. 漢字教育の見直し
  2. 報告書や論文を書く力をアップさせる教育
  3. 難解な文章は読ませない
  4. 文芸作品の解釈問題については、正解・不正解を強要しない。
といったところかと思う。時間が無いので、きょうはこのうちの1.に限って考えを述べたい。

 1.についての私の主張は、簡単に言えば、「漢字単熟語の読み」に関してはできるだけ早く教え始めるべきであること。反面、書取は極力少な目にし、作文指導の中で各自の好みに応じて自主的に学ばせるようにすべきだということである。言いかえれば、「漢字を読めるようになる」ことは一定の範囲で義務、いっぽう「漢字を書くこと」はあくまで個々人の権利であるというのが基本的なスタンスだ。

 ここで少々脱線するが、もし日本語が、ハングルのように漢字無しで成り立つならいっそのこと全部仮名表記かローマ字表記にしてしまえばよい。それができないのはなぜかと言えば、日本語は古来からの「やまとことば」に大量の漢語が移入されたことによって、同音異義語が極端に多い言葉になってしまったためであると言えよう。たとえば「こうどう」を例にあげよう。ATOKで漢字変換してみると、「行動」のほか「講堂」「公道」「坑道」「黄道」など全部で7通りの「こうどう」があることが分かる。しかも日本語は英語などと違って単語のあいだにスペースを入れない。それでもなお単語や文節の切れ目が分かるのは、やはり漢字表記に依るところが大きいように思う。

 日本語に漢字が不可欠であるとすると、いつごろからどのぐらいの数の漢字を教えたらよいかという問題が出てくる。ところがこのことについて、例えば学年別の漢字配当数を決めるにあたって具体的なデータが参考にされた形跡は見あたらない。このぐらいなら覚えられるだろうというドンブリ勘定で割り当てているのではないかと疑わざるを得ないところがある。
 では、じっさいに子供は何歳ぐらいから、どのぐらいの数の漢字を覚えられるのだろうか。じつは、このことに関しては過去に私自身4本ほど論文を書いたことがあるのだが、単熟語の読みということに限るならば、2歳数ヶ月からでも十分可能である。自閉症児の場合でも、読みに限るならばかなりの速度で数を増やすことができるのだ。もう少しデータを積み重ねる必要はあるけれど、「早期漢字教育イコール英才教育」という固定観念に基づく批判には根拠が乏しい。むしろ平仮名のみの表記で読みづらい絵本を読ませることのほうが問題だ。幼稚園や保育園での遊びの中から、漢字まじりの表記を積極的に導入していくべきであると思う。

 いっぽう書き取りはどこまで必要か?。いまやワープロ万能の時代だ。いや手書きが必要な場合でも、電子辞書が横にあればすぐに適切な漢字を見つけることができる。音声認識も可能になってきた。こんな時代に無理に書き方まで覚えさせる必要は全くない。画数の少ない漢字から教えるなどは愚の骨頂だ。正しく読めること、ひらがなから変換された漢字が妥当な変換であるかどうかを弁別する力さえ身につけていれば、それでよい。
 余談ながら、この日記「じぶん更新日記」のネイミングのきっかけとなった鷲田清一先生の文章なんて、あんまり漢字が出てこなかったように思う。ひらがなばかりで文章を書きたい人はそれでよいではないか。
【ちょっと思ったこと】
  • 上の文章を書いていた直後に、国語審議会が表外字字体試案について試案をまとめたというニュースが伝わってきた(第21期国語審議会報告)。6/25朝の朝日新聞にもその概要が紹介されていた。簡単に言えば、「迂回路」の「迂」とか、「榊原」の「榊」などは、「しんにょう」や「しめすへん」を昔ながらの字体で印字しなければならないということになるようだが、いまどきそんな面倒なことをするのはいかがかなあと思う。(←gif画像でも使わない限り、ネット上で字体論議をするのは難しいですなあ)
    もともと、官製の審議会が国語表記の問題にあれやこれやと制限を設けること自体に異論はあるようだが、かりにそれを認めるにしても、そもそも文字の使用は実態に即して決められるべきで、そのためには十分な実態調査をおこない各界の意見を幅広く聴取すべきであろう。大学教授とか新聞論説委員、ソフト会社社長らが、中途半端なデータと主観的基準だけで勝手に決めるようなことがあるとしたら問題だ。
    なお国語審議会報告では敬意表現のありかたについても試案が示されている。「言葉遣いに固定的に性差を要求すべきでない」というセクハラに配慮した文言が組み込まれている点は評価できるだろう。このほか、「敬意表現は.....心理言語学的、対照日本語学的知識を基礎として教えることが望ましい」とされているが、ここでの「心理言語学的」とはどういうことを指しているのだろうか。
  • 25日の朝日新聞によれば、日本IBM、オリンパス、ジャストシステムは24日、音声認識技術の共同開発を発表。また日本IBMは「ビアボイス98」を発売するという。現在私は「ビアボイスGold」を使用しているが、使い勝手はなかなか良好。但し、自分で考えながら少しずつ文章を書くのには不適で、あくまで印刷文書でOCRでは読みとりにくいものを読み上げ入力する場合に限って使っている。「ビアボイス98」なるものは何が改良されているのだろうか。
  • 四国霊場66番札所に近い香川県の山中に産廃焼却灰が大量投棄されていたことが24日に分かったという[6/25朝日]が、豊島の産廃大量投棄事件といい、今回といい、香川県の対策課はどうしてこうモタモタしてばかりなのだろうか。同じ紙面には、能勢町のごみ焼却場の周辺から高濃度のダイオキシンが検出されたことに関連して行われた猪名川水系の水質調査で、6地点すべてからダイオキシン類が検出されたとの報道があった。しかし、当局の見解は「他の河川と比べて特に高い濃度ではなく、直ちに住民の健康に影響はない」というもの。「直ちに」というのは「即死するほどの致死量ではない」という意味では当たっているかもしれないが、検出された以上安全とは言い難いだろう。
【新しく知ったこと】
【リンク情報】
【生活記録】
【家族の出来事】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • 特別養護老人ホームへの補助金交付に絡んで収賄の罪に問われた岡光前厚生省事務次官に対して、東京地裁は24日、懲役2年、追徴金6369万円の実刑判決を言い渡した。
  • 三洋証券、再建を断念し会社精算へ。
  • Windows95とMS-IEの抱き合わせ販売に関して、米連邦控訴審裁判所は23日、「法的手続に誤り」があったとして、昨年12月の地裁仮決定を覆す判決を下した。
  • 香港・中国合作映画「南京1937」を上映しているシネサロン・パヴェリアが予定より一週間早い打ち切りを決めていたことが23日分かった。右翼団体による妨害活動の影響。[6/25朝日]