7月26日(日)
【思ったこと】
980726(日)[自然]トンボとベッコウバチの観察
1週間ほど前からだったと思うが、大学構内では無数のトンボが乱舞している。この時期にこんなにたくさんのトンボを見たのは初めでのような気がする。種類は不明。一匹でも捕まえれば分かることなんだが...。なおごく僅かながら、水色と黒の縞模様の種類も見られた。
これだけたくさん飛んでいるのは珍しいと思って何度かデジカメで撮影を試みたが、たいがいの写真には全く写っていない。動きが速すぎるからだろう。設定を変えて何度かチャレンジして、やっと撮れたのが左側の写真。この10倍どころか100倍ほどの数が飛んでいるのだが、写せないのが残念だ。
ところで、このトンボを見ていて不思議に思うことが2つある。1つは、いくら眺めていても全く休憩しないということ。グライダーのように浮き上がっている時間も長いのでそれほどエネルギーは使わないとは思うけれど、とにかくずっと飛び続けているのは凄い。もう1つは、これもありきたりな疑問かもしれないが、夜はいったいどこでどのようにして寝るのだろうか? よく街路樹に雀が鈴なりになって夜を明かすところを見かけるけれど、トンボもどこかの木に鈴なりにしがみついて寝るのだろうか。どなたかご存じの方がおられたらこちらまでお教えいただければ幸いです。
1匹ぐらいくたびれて地面に降り立つトンボは居ないものかと見ていたら、少々羽根の短いアブのようなものが、時計台前の砂地(撮影は別の時間帯)に降り立った。よく見ると、この一帯には直径1cmほどの穴が至る所に開けられており、土を掘り出すもの、縄張り争いなのか、近づいてきた別の個体を追い払うものなどが見られた。土の量はからだの数十倍の体積にも及ぶ。相当深い穴が開けられているのだろう。あとで図鑑で調べてみたが、ベッコウバチの仲間らしい。【右側の写真。7/27にバッタを捕獲した写真に差し替えた】
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【ちょっと思ったこと】
- 一日遅れの記録になるが、土曜の午後のNHKスペシャル再放送「ブッダ・大いなる旅路」はなかなかタメになった。4回目のこの日は、タイ。国営の航空管制会社に勤める男性が3カ月間の修行を行う場面、家庭を捨ててメーチーになった母親、またその息子が麻薬などの非行から立ち直って僧として遍路を続ける場面、中部タイの寺院で末期エイズ患者の夫婦が奉仕を続けながら最後の時を迎えようとしている場面などが取り上げられていた。
タイというのは古くからの仏教国だと思っていたけれど、いまの小乗仏教が定着したのはなんと19世紀。ラーマ4世が、西からイギリス、東からフランスが東南アジア各国の植民地化をすすめていく中で、迷信を削ぎ落とした正統派小乗仏教を定着させ、仏教をもって国の独立をまもろうとしたといういきさつがあるようだ。ある意味では世界で最も仏教が生活に根を下ろした国と言えるかもしれない。
とはいえ、タイと言えば、貧富の差がはげしく、売春・買春やそれにともなうエイズの蔓延、麻薬、かつては軍事クーデター、というように、必ずしも仏教的な理想国家とは言い難い側面もある。もっともそういう諸矛盾があるからこそ、熱心に信仰する者も多いのかもしれないが。
私自身は、20年ほどまえ、ネパールへの中継地点として、行きと帰りに1泊ずつバンコクに立ち寄ったことがあった。行きがけには、航空券予約上のアクシデントから丸一日市内で待たされるハメとなり、それが予定外の市内観光の機会となって、エメラルド寺院とか涅槃寺院などをおもだった観光地を巡ることができた。涅槃寺院だったと思うが、靴置き場で「靴が無くならないように見張っていたのだから金をくれ」と子供が叫ぶなど、あまり宗教的な雰囲気は感じられなかった。それだけ、貧しい人たちが多かったのかもしれない。
- 岡山ではここ数日梅雨模様となっているが、それほど大雨にもなっていない。6月末に「梅雨明け宣言」を出さなかったことは気象台の英断だったかもしれないが、梅雨明け宣言を出してしまった四国や九州のほうが、梅雨明け宣言を出していない中国や近畿より大雨になっているというのは皮肉なことだ。
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【新しく知ったこと】
- 和歌山市の新興住宅地の夏祭りで25日、自治会が作ったカレーに青酸が混入し、4人が死亡したという。この死亡者の中に自治会長と副会長の名前が含まれいたので疑問に思っていたところであったが、7/27の各種報道によれば、「自治会長なので他の人より先に救急車に乗れない」として搬送を手伝っていたために手遅れになったらしい。船が遭難した時に船長が最後まで船に残るなどという話はよく聞くが、自治会長さんが自らには何の過失もない犯罪(7/27朝の時点では犯罪かどうかは未確定だが)の犠牲となったのは残念。よほど責任感の強い人だったのだろう。
<7/28追記>7/28の朝日新聞によれば死亡した4人のうち、自治会長と副会長は次の催しの準備のため他の住民よりも先にカレーを食べ、残りの2人も最初の列に加わっていたと見られるという。
- 7/27朝日新聞「ひと」:4月から岐阜県清見村に引っ越した菅原文太氏を紹介。
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【リンク情報】
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【生活記録】
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【家族の出来事】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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