【思ったこと(1)】
980806(木)[生活]恒例の単身生活始まる 8月中旬は、家族が妻の実家に里帰りするのが恒例となっている。今年もまたその季節がやってきた。昨年のばあいは8/12から8/19と長期にわたっていたが、今年はお盆の最中の混雑を避けるということと、たまたま抽選が全部当たり、8/11から8/15に神郷町と鳥取県大山の「山の家」に行くことになったので予定を早め、しかも8/6〜8/9に圧縮されることになった。 何度か日記に書いたことがあるけれど、私は家族というのは「独立した個々人が人生の一定期間、生活の場を共有する状態」というように考えている。家族と一緒に過ごすのも、単身で過ごすのもそれぞれ意味のある生活なのであって、どちらが特殊というわけでもあるまい。もっとも、私自身が年を取って寝たきりになった時には介護してもらうしかない。いま書いたことは、寝たきりになる前に削除し、代わりに「家族というのは社会的存在である個々人が、終生支え合い助け合っていくべき必要不可欠の生活空間である」というように書き換えておくことにしよう。がはははh。 さて、今年は単身期間が短いことから、自炊のほうも極力簡便にしたいと思う。冷凍庫の中にはち切れんばかりに大量の冷凍食品があったのでこれを電子レンジであっためて少しずつ消費する。御飯は3食分ほど炊いて冷蔵庫に保管し、これも必要に応じて電子レンジであっためる。繊維をたくさんとる必要があるので野菜だけはちゃんと食べるようにしよう。ということで恒例の単身メニューの紹介:
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【思ったこと(2)】
980806b(木)[一般]ヒロシマ NHKスペシャル「原爆投下・10秒の衝撃」[8/6、2000〜2100]を見た。投下された爆弾が破裂する100万分の1秒前から、直下の民家の一家が中性子の放出のために全滅していたとは知らなかった。放送でも伝えていたように、原爆を象徴するキノコ雲はすでに広島が破壊しつくされてから3分後の様子を表しているにすぎない。実際の破壊は投下から10秒以内に起こり、これもいま述べた中性子による殺傷のほか、火球による熱線、爆風によって吹き飛んだガラスの破片による殺傷などさまざまであることが分かった。 核兵器廃絶の運動に対しては、なぜ核兵器だけを問題にするのか、といった疑問がよく浴びせられる。確かに、戦争はすべて残虐であり、人道的な戦争など決してあり得ない。ではなぜ、そういう運動が必要なのかと言えば、それは核兵器が特に残虐だからという理由ではなく、むしろ逆に、直感的な残虐さが伝わりにくいからではないかという気もする。 女性や子供を含む何万人もの人々を広場に集めて無差別に銃弾を浴びせたとすれば、これ以上撃つなと、銃口の前を泣き叫びながら走り回る兵士も出てくるかもしれない。少なくとも平穏な日常生活を送っている圧倒的多数の人間にとっては、無抵抗の人々が殺戮される場面は、無条件に残虐であり、何の説明を受けなくても本能的に悪であると直観されるはずである。 ところが核兵器の場合は、ボタン操作1つで100万分の1秒単位で大量の人々が灰と化してしまうために、殺戮過程の残虐さが直観できず、シミュレーションゲームと何ら変わらないような錯覚を起こしてしまいそうになる。この錯覚を防ぐ唯一の手だてが、当時の写真とか被爆体験の生の声ということになるのだろう。 ところでいま述べた番組によれば、クリントン政権下では、過去の核実験関連フィルムなどが相当量公開されているとのこと。しかし、いまだに私が疑問に思うのは、戦争終結を早めるための戦略的手段としての原爆投下の有効性である。当時のアメリカはソ連、中国との対立に備えて、核兵器の現実の効果を知るためのデータを熱望していたところがあったように思う。とすると、何もしなくても10日以内に日本が無条件降伏することを察知した上で、駆け込みで、生身のヒロシマ、ナガサキ市民を対象に巨大な生体実験を強行したという可能性が無いわけでもあるまい。このあたりの資料もそろそろ公開してもよいのではないか。それによって日米関係が急速に悪くなるということも無かろう。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【家族の出来事】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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