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【思ったこと】
980906(日)[心理]愛他主義は内集団の枠を超えられるか? 先日来、必要があって日本心理学会発行の『心理学研究』誌を少々念入りに読んでいる。その中に、「愛他主義は内集団の枠を超えられるか?−−社会的動機からのアプローチ−−」(篠塚、1997、心理学研究, 68, 163-172.)というタイトルの論文があった。 私は社会心理学の専門家では無いので、この研究の理論的背景については詳しい知識は持っていない。私の理解した範囲で要約すれば、人には、自己のみの利益を優先する利己主義的な傾向と、自・他の利益を同時に考慮する愛他的な傾向がある(ほかに、自分の利益より他者の利益を優先する愛他動機というのがあるらしいが、ここでは考慮しない)。素朴に考えると、愛他主義的な人が増えれば、自分ばかりでなく国全体のことや世界平和のこともちゃんと考えるので、戦争は起こりにくくなると予想される。ところが、実際には、世界各地では米ソ冷戦時代以上に民族紛争が頻発している。では、愛他主義的な教育をすれば、民族紛争の抑止につながるのだろうか。 これに対して上記論文は、否定的であった。一口で言えば愛他義は集団の枠を超えないということ、つまり、自・他の利益を同時に考慮するとか言っても、考慮されるのは集団の内部の他者どまりで、集団の外には向かないというのが上記論文の主張内容の1つであったと理解した。 この論文自体は、実験室内で100円のお金のうち幾らを拠出するかというようなシミュレーション実験であり、そのことについての批判はこちらの批評にも書いたので、ここでは重複を避けたい。ま、行われた実験自体には問題が多いとは思うけれど、少なくともそこから示唆されるのは、「周りの人への思いやり」とか「平和を愛する気持ち」といったものを学校教育の中で育て上げたとしても、そのことだけでは民族紛争の回避にはつながらないと言うことである。 論文から離れて、ではどうすればよいのか考えてみる。ひとつの民族を一人の個人として考えると、世界中は、利己主義者ばかりの集まりということになる。その考えからいけば、利己主義者たちの争いを鎮めるのは力しか無い。それゆえ、他の民族に迷惑をかけるような民族には懲罰を与えて制するか、懲罰を与えると脅かしておいて無謀な行為を思いとどまらせるか、どちらかしか方策が無いことになる。 とはいえ、利己主義者たちばかりの集まりであっても、いつでも喧嘩ばかりしているわけでは有るまい。そこで、たまには集まって一緒に楽しんだりして、共存をめざす。これが、民間の交流とかスポーツ祭典のようなものなのだろう。 いま、北朝鮮のミサイル(人工衛星?)打ち上げに対抗して、多額の予算をつぎこんで防空体制を固めようと主張する人が出てきているが、例えば、もし北朝鮮が本気で日本を攻撃しようと思ったとして、日本国内の在日朝鮮人までを皆殺しにするような核攻撃をするだろうか、もっと有効な攻撃方法がいくらでもあるのではといったことも考慮に入れる必要があるだろう。あるいは、北朝鮮と日本が戦争になったとして、韓国はどういう態度をとるか。おそらく、日本に味方することは無いだろう。こういう民族レベルの問題を考慮せずに、もっぱら武器レベルの装備の充実にお金をつぎ込んでも軍需産業を利するだけであろう。 |
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【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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