じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
サルスベリ。昨年非常に見事な花を咲かせた裏年のためあまり咲かないのではと思っていたところ、8月中旬になって写真のように色とりどりの花を咲かせるようになった。 |
【イランで思ったこと(7)】 990825(水)[旅行]チャードル、ノーネクタイ、ヘア○ード イスラム教の戒律を守るイランでは、女性は肌、髪、身体の線を隠すことが基本とされている。実際街角で見かけた女性たち全員が、黒い布で髪を覆い、黒(=チャードル。どの様式までを正装のチャードルと呼ぶのかは勉強不足で分からない)などの長袖の地味な色のロングコートを着用していた(写真左上。写真そのものは許可を得て撮影したものだが、ネット上での公開までは前提としてないので縮小したものだけをアップしておく)。これはTV番組でも同様。空港の売店で日本の一寸法師の絵本を見かけたが、打ち出の小槌を振るお姫様さえ青いベールをかぶっていた(写真左下、もっとも日本の絵本でもお姫様が何かをかぶっていたような気もするが...)。 いっぽう男性のほうも服装自由というわけではない。特にネクタイは反イスラム的と見なされているらしく誰も着用していなかった。写真右はTV番組をデジカメで撮影したもの。一番左の男性キャスターのように、ニュース番組、トーク番組など登場するすべての男性がノーネクタイであった(中央は同じ番組の女性キャスター、右側は気象情報番組)。 こうした服装規定は堅苦しさを感じさせるようにも見える。じっさい、この蒸し暑い日本に同じ服装規定を導入したら、女性はみな熱射病で倒れてしまうに違いない。ところが、イランではこのことが逆に強い日差しから肌を守るという利点をもたらし、また男性にあっては、公式の場で背広ネクタイを着用しなくても失礼にあたらないといううち解けた雰囲気を作り出しているようにも見えた。 確かに日本では宗教的な意味での服装規定は一切無い。しかし日本のほうが服装の自由があるかというとはなはだ疑問でもある。いま上にも述べたように、少なくとも男性の場合、オフィス街では背広やネクタイをつけて炎天下を歩いている人がいる。私自身の場合は普段はポロシャツを着用しているけれども、全学レベルの委員会に出る時とか大学公開説明会、あるいは学会シンポでの話題提供の時などは、どうしてもネクタイを着用をせざるをえない無言の圧力を感じてしまう。女性の場合も、服装が自由であればあるほど周囲の目を気にして服装選びに悩んでしまうことがあるかもしれない。そういう意味では、イランのほうが、男性は気軽にノーネクタイ、女性は迷わずチャードル着用という点で服装の束縛から自由であるようにも思えるのだ。 余談だが、髪を隠した女性ばかりを一週間以上も見ていると、帰国してから髪をむき出しにした女性が町の中をうようよしているのがむしろ異様で、たとえは悪いが、ヘアヌード写真が公然と週刊誌に掲載され始めた頃のことを思い出してしまった。テヘランから東京に向かう飛行機が離陸したあと日本人の女性乗客が一斉にスカーフを外すシーンがあったが、一瞬、服を脱いでいるのを盗み見ているような恥ずかしさを感じてしまった。髪に限らず、皆が隠しているものが突然露わになると何かしら奇妙な感じがするものだ。唇、耳たぶ、おへそ、鼻の穴なんかも、皆が隠している世界に住んでいる人が今の日本を突然訪れた時には、おもわず赤面してしまうのではないかと思った。 |
【新しく知ったこと】
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【ちょっと思ったこと】
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