じぶん更新日記1999年5月6日開設Y.Hasegawa |
ランタナ。本来は樹木だがハイビスカスと同じで霜にあたると枯れてしまう。移植にも弱いので、結局一年草扱いにしたほうが手間がかからなくて済む。長崎に住んでいた時は大株が露地植えで育っていたのを見たことがある。 |
【思ったこと】 991116(火)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(6):都会の学生と田舎の学生の違い? 数日前、ある学生から以下のような質問メイルをいただいた。ご本人からWeb日記に引用することについて了承をもらえたので、今日はこの話題を取り上げてみたい。まずは質問の内容: 都会の学生と田舎の学生を比較してどちらかと言うと前者のほうがあらゆることにおいて後者よりも積極的であったり、行動的であるように思うのですが行動分析学ではこのことをどのように説明できるのですか?はじめにお断りしておくが、「行動分析学的見地」などと言われると学会にも相談して慎重に構えなければならない。以下に書くことは、あくまで私の個人的な見解であることをご了承いただきたいと思う。 さて、質問の骨子は、都会の学生と田舎の学生が、現在の行動傾向の特徴、および将来の可能性において違いがあるのではないかという点にあるが、行動分析だったらば、「都会vs田舎」という分け方はそもそもしないのではないかと思う。なぜなら「都会vs田舎」は随伴性ではない。都会という環境と田舎という環境にそれぞれ含まれている随伴性の集合に違いがあることは確かだろうが、それなればそれで個別の随伴性のどの部分がどういう影響を与えているのかを細かく見極める必要がある。 次に、質問文中の「あらゆることにおいて後者よりも積極的であったり、行動的であるように思う」とか「学生の秘めている可能性」というのも行動分析的な捉え方とは言えない。何度か書いたように、行動分析でいうところの「行動」は常に具体的でなければならない。単に印象として行動的に見えるとか、外向性や活動性などの尺度得点で比較するだけでは不十分。どういう具体的な行動がどのぐらいたくさん生じたのかを個別に調べていく必要があるだろう。 もちろん、学生の生活行動全般を調べるにあたって、ただ漠然とデータを集めていては「これもある」、「あれもある」という羅列的な結論しか出てこない。そこでとりあえず、比較軸として「都会か田舎か」という形でデータを分類整理し、それぞれにどういう特異的な随伴性があるのかをリストアップしてみることには価値があるだろう。しかし究極的に学生の将来への可能性まで見通すということであるならば、具体的にどういう行動が起こり、どういう随伴性が関与しているのかというところまで綿密に調べてみなければ生産的な結論は得られない。例えば「田舎の大学のほうが良い」という形で何らかの有意差が出たところで、「じゃあ、田舎の大学に編入しましょう」とか「大学を郊外に移転しましょう」という方向にはつながらない。 やや抽象的になってしまったが、要は、「都会か田舎か」というような括りをどこかではずした上で、もっと具体的に
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【ちょっと思ったこと】
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【本日の畑仕事】
ミニトマト、トマト、小松菜、ナス、レタスを収穫。トマトやナスやいよいよ終わりか。 |
【スクラップブック】
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