じぶん更新日記1999年5月6日開設Y.Hasegawa |
義父母と一緒に別府の温泉へ。別府湾SAからは別府湾や高崎山(写真右後ろ)、鶴見岳などがよく見えた。 |
【思ったこと】 _00103(月)[一般]西暦2000年に達成されたこと、未だ達成できないこと 年末年始に「20世紀を振り返る.....」特集番組をいくつか見た。21世紀までにはまだあと1年残っているはずなんだが、人類の過去100年あるいは1000年の歴史を振り返るべき20世紀の最後の1年がやってきたという点で、いろいろ参考になる情報を提供していた(12月31日の日記参照)。 そんななか、年末のあるTV番組(番組名は忘れた)によれば、手塚治虫の「鉄腕アトム」は、2003年にアトムが誕生するという設定になっていたとか。当時の予測によれば2003年は、車は空を飛び、月に自由に行き来できる時代。ところが電話は何とダイヤル式の黒電話。そのちぐはぐな所が面白かった。 1/1の22時30分から放映されたNHKの「百年前に見た夢:20世紀はどう予測されたか」というのはもっと本格的なものであり、ロビダの『第二十世紀』や『電気生活』、いまの携帯電話やインターネットに相当する世界送信塔を予言したニコラ・テスラなど、興味深い話題をとりあげていた(福来友吉氏の透視の実験が出てきたのはちょっと場違いであるような印象を受けたが)。 これらの番組を見ていると、なぜ特定の技術は達成され、特定の技術は達成できなかったのかという点で別の興味がわいてくる。私が子供時代(1950年代)に読んだSFものと合わせて当時予想されていた西暦2000年の世界では
このうち1番目の宇宙旅行は予想より大幅に遅れている。その最大の理由は、地球以外の天体に行っても大して得るものが無いことが分かってきたためであろう。科学技術というのは単なる知的興味だけでは遂行し得ない。何らかのニーズが無ければ資金も調達できないのだ。もしどこかの惑星に癌の特効薬でもあることが分かったら人類は生活費を切りつめてでもそれを獲得するための技術に投資をするに違いない。現実には、月や火星は地球上でも最も利用価値の少ない砂漠地帯よりさらに資源的価値に乏しく、努力してもそれに見合った強化子が伴わない現状になっているように思われる。 このほか、探査技術が進歩することによって、「調べる=人間がその場所に行く」という図式が崩れてきたことも大きな原因になっているかと思う。アポロの宇宙船の時もそうだったけれど、月の石を持ち帰ったり風景写真を撮るだけだったら、わざわざ人間が月の上で宇宙服を着てはね回る必要はない。人を送り込むことのリスクやコストに見合った成果が得られなければ予算がつかないのも当然。そういう意味では21世紀、よほど意外な発見でも無い限り、宇宙開発は50年前に予想されていたほどには進まない可能性が高いように思う。 2番目の空中自動車が全く実現できていないのは、重力というものが予想以上に制御不可能であったためかと思うが、3番目と併せて考えてみると、じつは移動手段と交信手段というのは、どちらかが進歩すればもう一方は不要になることに気づく。そもそも人が移動するというのは、遠く離れた場所にいる人と直接話をしたり、そこに集まって共同作業をするために必要となることが多かった。交信技術が進歩すれば在宅でも仕事をこなすことができる。図書館に足を運ぶ必要も無いし、デパートに買い物に行く必要も無い。となれば、観光旅行を除けばわざわざ自家用空中自動車を操縦して飛び回るというニーズも無くなる。 こうして考えてみると、科学技術の進歩は人間行動の科学と密接に関連づけなければ予想ができないことに気づく。B.F.スキナーは1953年に刊行した『科学と人間行動』のなかでそのことを的確に指摘した。というより、人間行動の科学をきっちりと整備、進歩させなければ科学技術を人類の福祉に役立てることもできないと主張している。この日記の中でもこうした視点から21世紀の科学技術について考察をすすめていきたいと考えている。 |
【生活記録】
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