じぶん更新日記

1999年5月6日開設
Y.Hasegawa
[今日の写真] ユリオプスデージー。霜や雪などでダメージを受けない限りは冬越し可能で、ちょうど今頃きれいな花をつける。

1月14日(金)

【思ったこと】
_00114(金)[一般]1月15日は「反省人の日」に

 1年の月日の流れを丸一日分に置き換えるならば、1カ月は12分の1で2時間分、半月分がちょうど1時間という計算になる。つまり1日の生活で「ありゃ、もう1時間過ぎてしまったか」と感じることは、1年というスケールで言えば半月が経過することに等しい。こう考えてみると、1年の最初の15日間を振り返ることは、今年1年にどれだけのことができるかを見通す目安となるものだ。かつての「成人の日」は第二月曜日に変更になってしまったけれど、1年を見通すというための日として1月15日はやはり重要。「反省人の日」とでも名付けたらよいのではないかと思う。

 1月9日の日記にもちょっと書いたけれど、年をとったせいだろうか、このところ月日のの流れが物凄く早いように感じる。14日は、学部内FD委員会の委嘱を受けて、学生が受けている授業のコマ数やその予復習にあてる時間などを調査する質問用紙を作っていたが、午前中の1時間程度で仕上げられると思っていたものを午後まで持ち越し。他の雑用も加わって、結局完成したのは16時頃になってしまった。このほか、先日の3連休に英語論文1篇と本2冊を読む予定にしていたがこれも達成できず。公用HPの整備とか、過去日記のテーマ別ファイル作成などは全く手を付けられなかった。

 こうして反省してみると、やろうと思っていることを順番にこなしていたのでは必ず積み残しが出てしまう。年齢相応に仕事量を削減し、手が回らないことは他の人に頼むか最初からきっぱり断るという姿勢も必要になってくるかもしれない。

 「いずれやってみよう」などとは思わないことかな。今やらないということは、私の年では、結局一生やらないと決めたようなもの。ヘタに先延ばしするよりは、「もうええんや」と切り捨ててしまったほうが気が軽くなるようにも思う。

※以上書いたことは、あくまで今年48歳となる「高齢日記書き」としての個人的な感想。もし20歳代、30歳代の方がこれを読まれていたら、あんまり同意してほしくない。もっと夢を追い続けてほしいと思う。
【思ったこと(2)】
_00114(金)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」その後(10):外国人に介護を託すことについて

 ここで急に話題が変わるけれど、法務省は「出入国管理基本計画」案を8年ぶりに見直す中で、人手不足に悩む農業、ホテル従業員のほか、介護労働にも外国人を受け入れるかどうかをめぐって最終的な調整を続けているという[1/14朝日]。従来、介護労働は「...同一作業の反復で、本国でも習得できる」単純労働と見なされ、在留資格としては認めて来られなかった。ところが、少子化に伴う労働人口の減少、その一方で介護を必要とする高齢者は、2025年には今の280万人から520万人に増加すると見られており、人手不足を補う見通しがたっていないという。

 また、これとは別に、14日のNHKニュースで、タイの日系人の中で介護職員として日本で働くことをめざす若者が居ることが伝えられていた。かつて日本軍がビルマに攻め込んで敗退したあと、一部の兵士がそのままタイに帰化。その子孫はかなりの数にのぼっているようだ。日系人の場合は一般の外国人受け入れ基準の拘束を受けない就労が認められる場合がある(1990年の入管改正による)ので、上記の法務省の調整に関係なく実現する可能性が高いように思われる。

 2025年となれば私も73歳。生きていればそろそろ介護をお願いする状態になりつつあるかもしれない。私自身は、個人的には、まず何よりも妻から、それが無理なら子どもたち(あるいは息子の嫁や娘の夫?)あたりから介護を受けられれば願ったりかなったりと思っているけれど、妻の方が先に寝たきりになることもありうるし、子どもたちの生活に制約を与えることはできる限り避けたいという気持ちもある。そうなれば、介護職員の国際化も大いに結構。不親切な日本人に遭遇するぐらいだったら、多少言葉が伝わらなくても親切で行き届いた世話をしてくれる外国人の介護を受けながらいろいろな文化に接してみたいという気もする。

 もっとも、「外国人に介護を託す」ということの根本には、「時給が安くて済む」とか「日本人は3Kと言われるような重労働を嫌がるから」というような、金持ち国の身勝手な発想がよこたわっているようにも思う。将来どの国でも同じように高齢化が進んだ場合、金持ち国の高齢者は外国人の若者をやとって介護を受けられるが、お金の無い国の高齢者はのたれ死にするしかないという国家間の不平等が生じてくる恐れもある。人と人との支え合い、助け合いを基本とするような介護の問題は、需要供給の中で成り立つ国際的なビジネスとは異なって、やはり「自給自足」を前提に自分の国の中で解決していかなければならないようにも思う。

 そのためには、お金と雇用だけで解決をはかろうとする介護制度には根本的な欠陥があると言わざるを得ない。3世代同居型の介護が無理であるとするならば、例えば、
  1. 入会後、体の動かせるあいだは、自分よりさらに高齢の寝たきりのお年寄りの介護に携わる。
  2. 自分が高齢になった動けなくなった時には、新たに入会した年下のお年寄りの介護を受ける。
という形の、お年寄りだけの互助組織を作るなんていうこともあってよいと思う。「あなたたちを育てたんだから親の面倒を見なさい」などと恩着せがましいことを言っても、子どもたちから暖かく面倒をみてもらえるとは限らない。まして、「息子の嫁」なんぞは自分が苦労した育てたわけでないからそのロジックは通用しない。上記の介護システムだったら、まず自分が介護に携わり、そのノウハウを伝えながら自分自身の介護を受けていくわけだから、恩着せがましい雰囲気は無くなるようにも思える。

 このほか、もっと根本的に、高齢者の生きがいを実現するにはどういう環境整備が必要か、寝たきりになった場合でも、外界への働きかけをする権利をどうやって保障していくかといった根本問題があるが、これはまた機会を改めて述べることにしたい。なお、関連記事が11月14日の日記にある。
【ちょっと思ったこと】
  •  今年の冬もどうやら暖冬傾向。岡山県内のスキー場は、恩原、神郷、津黒高原などが軒並み積雪0cm。鳥取県の大山でさえ不可、あるいは一部可のゲレンデがあるという。正月、新成人の日、今度の土日のいずれも閉鎖となれば、関係者の方はさぞがっかりすることになるだろう。

     1/15朝のNHK気象情報によれば、1月上旬10日間の東京の最高気温平均値、最低気温平均値、平均気温は、13.3°、6.4°、9.7°であり、いずれも1876年の観測開始以来史上一位の暖かさだとか。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
夕食後の散歩時にレタスとブロッコリーを収穫。