1月22日(土)
【思ったこと】 _00122(土)[一般]「故障した時計は1日に何時間遅れるのか」から時計の精度と機能について考える
1/23の朝日新聞に「誤差が2000万年に1秒以下」という超高精度の原子時計が米国で開発されたとの記事があった。レーザーで原子を絶対零度近くまで冷却する方式で、精度は従来型の3倍、米国の標準時計となるほか、パリの国際度量衡局にも登録されるという。
このニュースでふと疑問に思ったのは、誤差が「○○年で1秒以下」とはどういう意味なのだろうか。
パズルの本などで「毎日必ず5分遅れる時計」などというのがよく話題にされるけれども、もし必ず、正確に5分遅れるのであれば、これは世界一精密な時計と変わらない。この場合は、目盛りを「遅れ」に合わせて修正すればそれで済むことだ。
ところで、この「必ず5分遅れる」という意味は、時計の長針を5分だけ進めているのとは訳が違う。24時間で2周するはずの短針が毎時5/24分だけ遅れていくという意味のはずだ。
この考えを進めると、故障して動かなくなった時計は、一日に何時間遅れる時計と呼ぶべきなのだろうか。という疑問に行き着く。1日は24時間だから24時間遅れる時計のようにも思えるが、短針が12時間で一周することを考えると「必ず最大で12時間遅れるの誤差をもつ」時計であるようにも見える。いかがだろうか。もう1つ、時計の精度という点で言うならば、日時計も捨てたものではない。これって結構正確ではなかろうか。
※(追記)上記の文では当初「遅れる」と書いたが、壊れた時計が6時、実際の時間が午前10時の時は、「4時間遅れている」とも「8時間進んでいる」とも解釈できるので、「遅れ」ではなく「誤差」というように訂正させていただきます。
元の話題に戻るが、時計の精度には、その時々に「気まま」に生じる誤差と、長期的に基線自体が変化して生じる誤差があるものと思う。例えば昔の柱時計の場合は、振り子の長さが気温によってごくわずか伸縮するために生じる誤差があると聞いたことがある。いっぽう長期的な変動のほうは、「必ず5分遅れる」というように規則性があるならアジャストできるはず。おそらく、最初の記事にあった「誤差が2000万年に1秒以下」という意味は、想定できない誤差の蓄積した場合の変動幅の95%の推定域が±1秒以内であるという意味なのだろうか。
以上、素人なりに思ったことを述べてみたけれど、よく考えてみると、物理学的な意味での時計の精度とは別に、人間行動に対応した有用面での精度というのが別に存在していることに気づく。例えば、動かなくなった時計を修理に出すのは、誤差?(12時間?24時間?)が大きすぎるためではない。時間の違いを測れないこと、他の人との待ち合わせや会議に間に合うように自分の行動を調整するための道具として活用できないためなのだ。
その意味から言えば、時計の精度として要求されるのは、誤差の最大の変動幅ばかりでない。変動のバラツキ(分散のような散布度の大きさ)も重要な意味をもってくる。例えば、
- 1カ月の累積のズレ(=基線の逸脱の範囲)の最大値は30秒だが、毎時間の変動幅(=ローカルな変動幅)は決して±0.1秒を超えない時計
- 1カ月の累積のズレの最大値は5秒だが、常に1時間あたり5秒以内のランダムな変動をする時計
という2種類があったらどちらを選ぶだろうか。おそらく生活上のニーズによって変わってくるように思う。
もう1つ、人間行動との関係で時計の役割を考えていくと、時刻を知るための時計としての有用性と、時間を測るための時計としての有用性の違いに気づく。待ち合わせに使うのは前者の機能、複数の会場で入学試験を行う時に公平性を保つのは後者の機能である。近年、携帯電話の普及で、少なくとも個人的な待ち合わせの際に「時刻厳守」を必要としなくなった点はまことに興味深い。このあたり哲学者の内山節さんが『自由論』の中で時間や時刻を守ることと自由の関係について書いておられた。機会を改めて取り上げてみたいと思う。
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【ちょっと思ったこと】
- 20日の日記で迷惑メイルのことをとりあげたが、訪問販売・セールスでも手の込んだものが出てきた。
昼すぎに自宅アパートで一人で仕事をしていたところ、チャイムの音が聞こえた。ドア越しに覗いてみると平服を着た男性が「今度○×△(←よく聞き取れない)に越してきた○○です。ご挨拶に伺いました」という。このアパートには単身赴任者も居るのでてっきり挨拶だと思って無警戒にドアを開けたところ、何たらリフォームのセールス。単に自分がこの地区の担当になって近くに引っ越してきたので挨拶に来たという名目でセールスをやっている模様だが、私には「あざとい」口上にしか聞こえなかった。ちなみに私の家のチャイムボタンの横には「訪問販売、セールス、布教、募金、署名、その他一切の宣伝・勧誘はお断りします」という札をぶらさげているのだが...。
このほか、アパートの階段で一度目撃したのは「先日、ご主人様とお話しした時にご質問をいただきましたので資料を持ってまいりました...」というように、こちらから何か約束をしていたかのような錯覚をおこさせる商法もある。アパートという特殊性から、浄水器、換気扇などを管理人からの委託を受けたかのような口振りで売り込みに来る者もいる。いずれも、何とか営業成績をあげて生活を支えたいというセールスマンの気持ちも分からないわけでは無いが、物は人から勧められて買う物ではない。ホントに便利なものは黙っていてもちゃんと買い手が集まってくるものだ。というのが私の考え。
- 買い物と言えば、数日前のNHKのニュースで、インターネット上・ショッピングのトラブルについての話題が取り上げられていた。その中に、「送金したのに商品が送られて来なかった」とか「商品についての苦情を言おうとしたらすでに業者がトンズラしていて該当HPが閉鎖されていた」などのクレームが寄せられていたというが、これって、購入者側のほうもあまりにも無警戒で無いかなあ。正体の分からない業者に先にお金を送るなどということは、ドブにお金を捨てることと変わりない。ま、99年12月3日の日記に書いた合格電報屋、98年2月1日の日記で取り上げたネット宝くじなどもそうだが、良い意味での警戒心と購入者側の自己責任についてもしっかりと考えていく必要があるかと思う。「いつでもアクセスできるサイトがある」ということと「信頼できる業者がそこに存在している」ということとは全く別問題。もっともそう言い切ってしまうと、この日記なんぞもあんまり信頼できませんなあ。がはははh。
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【スクラップブック】
- 元小結の板井(本名・板井圭介氏)が21日、日本外国特派員協会で講演し、自分が現役だった時に「一日に3〜6番の八百長があった」こと、「現役横綱から40万円もらって負けた」ことなど八百長の事実を認める発言をした[1/23]。【このニュースに関しては、複数のWeb日記作者がすでに意見を述べているようだ。】
- ペットボトルの生産量は年々増え続け、99年には30〜35万トン。これに対する回収量は75000トン前後となるが、再利用施設の不足や再生品の新規用途の開発不足により一時保管料が大幅に増えている[1/23]。
- 日本体操協会は『週刊現代』1/29号が全裸の女性が体操演技のポーズをとっている写真を掲載したことについて20日、この写真が競技に取り組む青少年や関係者に「不快感と屈辱感を与える」として、謝罪に応じない場合は取材拒否をする旨の抗議文書を送った。[1/23]
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【今日の畑仕事】
ホウレンソウと大根を収穫。
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