じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa



9月24日(木)

【思ったこと】
980924(木)[心理]ふたたび血液型性格判断(1):「有る」ことと「無い」ことはどう違うのか

 先日、ある方から「血液型性格判断」を肯定する某サイトのことを教えていただいた。単に「血液型と性格は関係がある」と主張しているだけでなく、これをちっとも話題にしない心理学者たちを批判し、「どうだ、これでも反論できないのか! 弱虫どもめ!」とでも言わんばかりの主張を展開しているのだという。そういえば、一年前だか半年前だか忘れたが、その主宰者の方から、いちどそういうHPを開設したというようなメイルをもらったような気もする。これまで一度もアクセスしたことが無かったので、結果的には私もそれを無視した心理学者の一員に含まれていたことになる。
 1週間ほど前から、日記読みの合間をぬって、その中の幾つかのページを少しずつ拝見しているが、現時点で、この方は少なくとも2つの誤りをおかしていると確信するに至った。

 まず第一に、その方は、「血液型否定論者」の「主張」をすべて論破すれば、「血液型と性格には関連がある」ことが実証されたことになるかのような議論を展開している。これは趣味としてディベートを楽しむ分には面白いかもしれないが、本質的には、科学的な実証には全く結びつかないロジックである。例えば、ある島に、10人の住人が居て、そのうち8人は「この島にはお化けが居る」と考え、残りの2人は「お化けが居ない」と主張していたとする。で、もし、8人が2人を論破したら、その島にはお化けが居ることになるのか。そんな馬鹿なことはあるまい。

 第二に、そしてこれが最も重要な点なのだが、この方も、かつての能見正比古氏もそうなのだが、「血液型の比率に偏りがある」という事例が1つでも実証されれば、戦前の古川竹二氏や能見氏の主張がすべて真であるかのような議論を行っていることである。
 科学的な研究では、「有ると決まれば何でも有り、無いと決まればすべて無し」などという乱暴な論理は成り立たない。たまたま、9/24の朝日新聞では、インドネシアでシーラカンスが見つかったことが書かれていたけれど、「シーラカンスが居たことが証明できたから、ネッシーもクッシーもイッシーもツチノコもヒバゴンも何でも居るのだ」なんていう乱暴な議論は成り立たない。分かったことはシーラカンスがインドネシア沖にも居たということだけであって、それによってネッシーの存在可能性が高まるなどということは決してありえない。

 デジタル技術の進歩のせいかどうか分からないが、ともすれば、「無い」を「0」、「有る」を「1」というように、排他的に物事をとらえがちである。この論法でいけば、「無い」を否定すればすべて「有る」ということになるのだろうが、現実はそんなに単純ではない。
 未知の生命体とか新しい法則を見出す時に取るべき科学的態度は、「とりあえずは無い」という帰無仮説を立てた上で、「有る」という可能性のある事象を徹底的に検証し、偶然とは言い難い存在なり特徴が安定的に確認されたときに初めて、その事象に限って「有る」という結論を下すのである。

 心理学の中には「血液型否定論者」が多いなどとよく言われるが、この場合の否定というのは、あらゆる領域にわたってデータを取り尽くした上で否定的結論を得たという意味ではない。つまり理論として「血液型と性格は関係がない」ということを主張する意味での否定論ではなくて、「血液型と性格は関係がある」という人のデータ収集法やロジックの立て方に問題があることを指摘するという立場からの否定論を唱えているにすぎないのだ。「差別につながる血液型性格判断はやめよう」言うのは、「差別」が根拠で反対しているのではなくて、安定したデータが得られていない段階で、血液型を知るだけで適性や相性まですべて分かってしまうかのような商業主義優先の誇大宣伝が差別をもたらす恐れを指摘しているだけにすぎない。
 私はかつて『現代のエスプリ』(1994、7. 第324号、p.128)に、次のようなことを書いた。
 ここで強調しておくが、血液型人間「学」がある種の普遍性を強調する「理論」であるのに対して、「血液型と性格は関係がない」というのは理論ではない。研究の出発点となる作業仮説にすぎないのである。理論は一つの反例によって崩すことができるが、作業仮説に反例を示したってしょうがない。「血液型と性格は関係がない」という作業仮説のもとに地道にデータを集め、ある性格的特徴について明らかに血液型との関係を示すようなデータが安定的に得られた時に初めてこの仮説を棄却するのである。これこそが、雑多な変動現象の中から帰納的に規則性を見い出そうとするときにとるべき科学的態度である。
 血液型肯定論を唱えるのであれば、有意差が見られたという単発的なデータを列挙したり、心理学者から相手にしてもらえないことを愚痴るのではなくて、まずは、客観的・具体的な基準の元で再現可能な形で定義された性格特徴(あるいは行動特性)を1つでも掲げ、かつ「ラベリング効果(○型は〜という特徴があると言われて、自分の性格がそういうものだと思いこんでしまう効果)」の影響も排除した上で、「○型は、この特性において、明確に×型と異なる」というデータを示してもらいたいものだ。そういうデータが確認されれば、別段、心理学者相手に愚痴らなくても、おのずとその存在が認知されるようになるはずであるし、具体的な論争も可能になってくるものと思う。

※この話題にかぎりませんが、ご意見・反論等は御自分のHPのほうに掲載のうえリンクの形でご紹介ください(なぜ私がこういう態度をとらざるをえないのか、については改めて述べることにします)