じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa
【思ったこと】
981006(火)[心理]ふたたび血液型性格判断(6):UFOは存在するか?
 前回の9/30の日記(関連記事は血液型性格判断資料集の9/30分に収納)で、科学として血液型と性格の関係を探索する場合には、その出発点として「無」から出発する必要があることを論じた(全体の資料は、日記よりやや更新が遅れるが、血液型性格判断資料集にある)。

 前回の内容は、「無い」という帰無仮説を棄却して「有る」ことを証明するという、統計的検定の原理上からの主張であったが、統計的検定を使わない場合にも「無から出発する」必要があるのか、今日はこの問題についてちょっと考えてみたい。

 結論から言えば、必ずしも「無から出発」すべきであるとは限らない。但し「有から出発」できるのは、「有る」と言われているものに具体性があり、その特徴や検出の方法が確立している場合に限られると私は考える。

 例えば、殺人犯人が銃を持ったままある建物の中に逃げ込んだとする。ところが逮捕時には銃を所持していなかった。その当時に建物内に他に出入りが無く、銃を風船につけて空に飛ばすとか窓の外のトラックの荷台に放り込むというような細工ができないとすれば、建物内の探索は、とうぜん「有る」という事実から出発することになるだろう。
 「銃を山の中に捨てた」というような場合も、基本的には同じであろう。あとは、その犯罪の重大性とか、それを見つけ出すのに必要なコストを天秤にかけて、ニーズに応じて探索が進められる。

 これに対して表題の「UFOは存在するのか」といった場合には、「UFO」には何の具体性もない。というより、そもそもUFOというのは定義上「unidentified flying object」の略称から分かるように、確認されていない物体を示すのである。それゆえ、そもそも「UFOは存在するかしないか」などという抽象的な議論自体が成り立たない。いつの時点においても未確認の物体は存在しうるから「絶対的に無い」などという主張はできないし、逆にその物体が確認されてしまえば未確認で無くなるわけだから定義上UFOでは無いということになる。

 もし「UFO」を「地球外の生命が操縦する飛行物体」というふうに置き換えるならば、とうぜん議論は成り立つ。ただこの場合も、具体的、かつ個別的に、まず「どういう宇宙人が居るのか」「どういう円盤に乗ってくるのか」という議論をしなければならない。世界各地の雑多な「目撃例」を寄せ集めて抽象的に「宇宙人が居るか居ないか」を論じても何ら発展は無い。

 「血液型と性格」の問題も同様だ。「血液型と性格は関係があるか」などという抽象的な議論は全く意味をなさない。必要なのは、具体的に「どういう関係があるのか」を主張すること。その主張は過去の資料とどういう整合性を持っているのか、根拠とする個々の資料にデータのゆがみは無いのか、これらを細かく立証していかなければ何も言えないのである。