じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
【思ったこと】
981101(日)[心理]ふたたび血液型性格判断(11):「血液型性格判断」についての考察は現代の心理学の諸問題を改善できるか 心理学者たちの血液型性格判断への態度を批判しているYさんのサイトの中で 特に、血液型性格判断を擁護するつもりもないし、またその内容を考察する気もありません。血液型と性格の問題(血液型性格関連説)を通して、現代の心理学が抱えている諸問題を素人なりに考察していこうというのがこのHPの目的です。という記述があることに気づいた。しかし、「血液型性格判断」批判発言を批判することで、この崇高な目的が果たして達成できるものか、率直なところ疑わしいように思う。 そもそも心理学とか言ったって、いろんな立場がある。自然科学的な方法を認める人もいれば居ない人もいる。パーソナリティ研究が行動理解に役立つと考える人も居れば、あまり重視しない私のような者もいる。崇高な目的には敬意を表するけれど、結局は、一握りの心理学者たちの思い違いやちょっと勇み足の指摘に終始することになり、グローバルな視点での現代心理学の諸問題の改善には結びつかない気がする。 とは言え、そのサイトの中の「性格質問紙なんてくだらない」という記述は、多少誤解もあるけれど、一読に値する内容を含んでいる。じつは私自身も続編待ちの未完ながら、拙論にて、性格を知ることが必ずしも自己理解や他者理解に結びつかないことを指摘している。 ただ、念のため言っておくが、私は決して、性格検査全般がクダラナイとは思っていない。私が主張しているのは、「性格を知っても行動の原因を把握したことにはならない」ということ。行動傾向の特徴を簡潔に記述するための概念としては、性格はなお有効な情報であろうと考えている。 要するにこういうことだ。現在起こっている行動を特徴づける記述概念の形で「あなたは○○という性格です」と言明することは誤りではない。しかし、「○○という性格だから××をした」というような、行動の説明概念として性格を多用することには断固として反対するというのが私の立場である。 それから、私はかつて、長崎大学の公開講座「血液型と性格」を主宰しそこで得られたデータを紀要論文として発表したことがあるが、紀要論文の考察を読んでいただければおわかりのように、あの論文は「性格検査で差がなかったから、血液型と性格は関係の無いことが実証された」などと主張するものでは決して無かった。「血液型人間学」本が言っているほどに違いがあるのなら、その差は任意の集団に任意の性格テストを実施した場合にも現れるはずである。しかし実際には、そんなに顕著な差が現れなかった」という結果が得られたので、「少なくとも、実用レベルでは、「血液型人間学」のその時点での主張は有用な情報たりえず、むしろ無用な誤解や差別の元凶となる恐れがある」と主張したにすぎない。 なお、実際に行った性格検査は「YGテスト」と「PFスタディ」の2種類であった。ついでに言っておくが、「長谷川はYGテストの結果から血液型と性格の関係を否定した」などと言っている方があれば、それが著名な心理学者であろうが新聞記者であろうがすべて間違い。原著の考察部分をちゃんと読まずに早とちりしていることの証拠。 本筋がら外れるがもうひとつ言わせてもらおう。これはあくまでYさんがロジックを分かり合える方であると思えばこその要望なんだが、実名入りのコンテンツをいったんネット上で公開され、後に削除や大幅な修正される場合には、何らかの断り書きを付していただきたいと思う。たとえば、先月中旬に公開されておられた「血液型別情緒曲線」という作文では、 ...実はこの説明を裏付けるプロの心理学者の研究がある。それを紹介しよう。それは日記猿人でおなじみ、はせぴ〜こと長谷川芳典氏(岡山大・助教授)がもっと若いころに地元の新聞に紹介された研究だ...として、私のデータを引用し、ご自分なりの解釈をしておられた。短期間であっても、こういう情報がネット上で不特定多数に流されれば、いや別に対話ページを作るつもりは無いんだが、私としても自分の名誉のために何らかの反論を用意せざるをえない。それがいつの間にか削除されてしまったのでは、私が反論のために要した努力は全くの無駄になってしまう。 |