【思ったこと】
981225(金)[因得]ネット上で批判をすることについて(2)批判や批評にもいろいろある
昨日の日記の続き。 一口に批判、批評、評価などと言ってもいろんなレベルがある。以下、おおざっぱに分けてみたい。
- 単なる感想:
「Aさんが〜と書いてあることについて私はこう感じた」というように、記述内容について個人的な感想を述べること
- 評定:
「これら5つのWeb日記の中では、Aさんが3位、Bさんは4位、Cさんは1位....」というように他人の日記を勝手にランク付けしたり、5段階評価したり、推奨リストに選別する行為。
- 比較対照:
「Aさんは○○と言っているが、私は○○ではなく××であると思う」というように、自分の考えがAさんと異なることを強調しながら自分の考えを展開する行為。
- 局所的な批判:
「Aさんが○○と言っている点には私は反対だ。なぜならば...」というように、相手の発言の一部に限定してそれを否定するような意見を述べること。
- 個人全体に関わる批判:
「Aさんは一貫性のない人だ。その証拠に、ある時は『○○は××だ』と言い、別の時は『○○は××でない』と言っている。」というように、相手の姿勢、態度、基本方針、思想全般について意見を述べること。
昨日の日記で、「批判する」ことは、「評価する」ことや「感想を述べること」、「相手の意見と対比させながら自分の意見を述べる」こととは異なるのでは無いかと述べた。さらにその違いを示す決め手が「批判した相手からの反論を受ける義務を負う内容であるかどうか」にあるのではないかと述べた。この視点から上記の5通りについて考えてみると、
- 主観に基づく個人的な感想は反論の対象とはならない。
- これも反論の対象にはなるまい。本人から見れば不当な評価であっても、順位を上げろと反論するわけにはいかない。
ちょうどTVで、日本の国債の格付けが一部で下げられたことについて、アメリカの格付け会社の功罪が取り上げられていたが、格付けが不正確な会社は信頼を失うことによって自動的に制裁を受けるという見解が妥当であるように私には思えた。
日記の評価なども、主観が一致しない読者は利用しない。利用者が少なければ自然に消滅するだけであろう。
- 単に自分の考えの特質を浮きだたせるために他人の考えと比較対照しただけの内容は反論を受ける義務を負うものとは言えない。
- これは、その内容に関して反論を受ける義務を負う。
- 相手からの反論を受ける義務を負うのは当然であり、また、かなりの社会的責任が問われる。
以上、おおまかに検討を加えてきたが、「ネット上で批判をする」というのは厳密には上記の4.または5.に相当する行為を行うことではないかと私は思う。
もちろん、同じ批判でも、話題や批判のレベルによって同列には論じられない場合もあるだろう。政治家の姿勢とかプロ野球の監督のさい配ぶりのように公的な性格が強い対象を批判する場合と、ネット上で個人間が行う論争を同列視するわけにはいかない。後者では、極力対等な条件のもので批判行為がなされるべきであり、特別の必然性が無い限りは、両者とも正体を明らかにしたうえで正々堂々と議論に参加する必要があると考える。次回に続く。
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