1997年5月31日(土)
きょうは息子の小学校の運動会だった。運動会というと、毎年おなじような競技ばかりで義務的に参観することが多かったが、今年は小学校最後ということで、ここ数年とは違った気持ちで活躍を見守った。
大学構内ではビワの実がそろそろ黄色になってきた。今年は豊作の年にあたっているようだ。ほかに、ユスラウメの赤い実もあった。
5月も終わりになった。5月初めには、写真のようなレンゲの花(4月29日、吉備路サイクリングコースにて撮影)が美しく咲いていたが、まもなく田植えのシーズンとなる。今年も、カブトエビやホウネンエビが出てくるだろうか。
1997年5月30日(金)
朝、別の学科のN氏と話したことだが、花壇に農薬など蒔かず、また明らかな雑草以外は抜かないで放っておくと、けっこう面白いことが起こるものだ。
- 今年の春は、彗星見物に熱中していたせいもあって、マラソンやスミチオンなどの農薬を殆ど撒かなかった。ところが、その割にはアブラムシが少ない。よく見るとテントウムシが、あちこちで走りまわっているのだ。アブラムシは花芽を台無しにするほか、ウィルスを媒介するなどと言われているため、どうしても予防的に農薬を撒きたくなる(いわゆる“好子除去阻止”の随伴性)。これをどこまで我慢するかが、ポイントだ。
- セイヨウノコギリソウに虫がついた。花芽が茎の根元から枯れているセイヨウノコギリソウ(白花)を見かけるようになった。この植物は非常に強く、放っておけば一面、この花ばっかりになりそうに思っていたが、やはりそれなりに、繁殖を妨げる昆虫(?)が現れるようだ。
写真は、ブルーデージー(ルリヒナギク)。一昨年の6月にいっぱい刺し芽をした。昨年は、あまりパッとしなかった、南向きの暖かい露地で冬越しさせたところ、花つきがよくなった。なお、周りに見える黄色い花は、ガザニア。
1997年5月29日(木)
このところ、この日記を書く暇がない。理由は単純だ。この日記は、その日の夜に書くことになっているが、じぶん更新日記のほうに力をいれすぎ、こちらに手が回らないためである。最近では、じぶん更新日記は“考えたこと、知ったこと”、こちらの日記は“体験したこと、感じたこと”というように使い分けているのだが、もともと、あまり感じない人間であるし、土日以外は研究室に籠もっていて、花を見る以外にはこれといった体験をしないので、書きたいということがあまりない。土日以外、当分は、三行半日記として続けるのが健全なようだ。
写真は、ブルーサルビア(サルビア・ファリナセア)。5月23日撮影。数年前に種から育て、株が残っている。宿根性だが、株は増えていない。たまに、ラベンダーと間違われる。まあ、ハーブの仲間であることは変わりない。
1997年5月28日(水)
小6男児の殺人事件のことが頭にあって、すっきりしない一日だった。午後からは会議ばかり。
写真は、ゴールドスティック(クラスペディア)。3年目の株。露地でもけっこう育った。ドライフラワーに適する。
1997年5月27日(火)
朝は某短大で授業。先週の小テストのさいに“時間が余った人は、解答用紙の裏に、いま一番欲しいものか一番やりたいことを合わせて3つ書いてください”という課題を出した。このねらいは、人間が本当に求めているのは、物自体ではなく、その物との関わりにあるのだ、と強調することにある。例えば服が欲しいと思うのは、服をタンスにしまっておくためではなく、その服を着て誰かと歩いたり、周りの人から好評を得るためだ。宝石も同様。お金を欲しがるのも、そのお金を使って、何か特別なものとの関わりを求めようとするからである。で、どういう回答が多かったかと言えば、“お金”、“時間”、“自由”、“ニンテンドウ64”、“彼氏”、“顔の整形”など。
夕食時に“炎のチャレンジャー”を見る。在日外国人がどれだけ日本のことを知っているか、100問連続正解なら100万円というのがあった。最後まで残った解答者が間違えたのは、“獅子舞”。回答者のアメリカ人は、“シシマル”と答えてしまった。子どもの頃を想い出すが、獅子舞が家の玄関までやってきたのは1度だけだったと思う。実際に踊ると法外な金をとられるので、親が当時の10円を渡して追い返していた。そのあと、近所の門柱などに、“押し売り・獅子舞おことわり”のステッカーが取り付けられていた。私が住んでいたのは東京の世田谷であったが、少なくともあの地域では、獅子舞は伝統芸能というより、押し売りの同類であって迷惑がられていたように記憶している。
同じ番組のなかで、クジを5回引いて、指定された数だけピンを倒すという、変則ボウリングをやっていた。5回連続で100万円だが、きょうは4回連続者が2人も出た。どちらも、5回目で失敗。やはり、これで優勝というときの緊張の影響は大きいようだ。
1997年5月26日(月)
朝方はよく晴れていたので、いつものとおりベランダに布団を干す。ところが、10時前から急に雲が多くなってきた。昨日のことがあったので家に電話すると、妻がすでに取り込んでくれていたことが確認でき、一安心。そのあと本降りとなって、午後まで降り続いた。【いま21:30だが、ここまで書いたところで、急に妻がディスプレイを覗き込んで、“ねえ、こんなこと毎日書いていて面白い?”と聞く】。
昼頃、雨のなか、大きなアオダイショウが、法文2号館西の道路を横切っているのを見た。このあたりでは、毎年大きなヘビを見るが、今年はこれが初めてだ。学生時代、京都の百万遍近くの歩道で大きなヘビがとぐろを巻いているのを見た時には、あまりの意外さに飛び上がるほどびっくりしたものだ。しかし、岡大構内では、ヘビの2匹や3匹ぐらい出てきて当たり前といった感じだ。京都より、もっともっと自然が残っている。ヘビが出てきた草むらでは、去年の夏にはマツムシの声が聞こえた。すぐ横の田んぼには、もうすぐカブトエビが出現するだろう。
写真は、5月19日にもご紹介したサラセニアの花【撮影は5月11日】。2週間で、左のようなユーモラスな形に変化した。比較のため、11日撮影の写真を右側にかかげてある。
1997年5月25日(日)
昨日遊びすぎたので、今日は朝から研究室。15時過ぎに息子とキャッチボールを始めたら、10分も経たないうちに雨が降り出してきた。布団を干しっぱなしにしていたことに気づき、慌ててアパートに戻る。妻は、買い物に行ったきり戻っておらず、娘はアパートの下で雨に濡れながら友達と遊びに夢中だった。大した降りではなかったが、5分ほど布団を雨に晒してしまった。
ふたたび大学へ戻ると、ちょうど東の空に美しい虹が見えていた。3階の演習室や、東側の建物の屋上で、時計台などを前景に何枚か撮影する。これほどはっきり、明るく見えた虹は何年ぶりのことだろうか。18:20頃、家に戻る頃にも、またまた虹が現れていた。布団は濡らしてしまったが、そのマイナスを補ってお釣りがくるほどの素晴らしい体験だった【虹の写真は、次の日曜日ぐらいにDPEに回す予定です】。
1997年5月24日(土)
広島県庄原の国営備北丘陵公園まで行って来た。以前から注目していた所であったが、数日前にアヤメの花が見頃であると報じられていたのを機会に、訪れることにしたものである。岡山道ができたので手軽に行かれると思っていたが、途中のSAに2ヶ所も立ち寄り、ソフトクリームを食べたり、昼食をとったりしたため、結局、3時間近くかかってしまった。
この日は、寒気を伴った低気圧が接近していたため、あいにく、到着の少し前から雨が降り出してしまった。そのため、“田植え体験”などのイベントは、午後からは中止。そこで、大規模な農家を再現した施設を見たり、(もともとの目的であった)アヤメの花などを見る。妻と子供たちは、木工体験館でペンダントづくりをすることになった。私だけは、1人で雨の中、花壇や芝生広場を見て回る。ルピナスが見事に咲いていた。
木工が完成した14時50分頃に雨が止んだ。林間アスレチックコースで思う存分に体を動かす。雨上がりのため、私たち以外には利用者は誰もいなかった。このコースには全部で39の遊具があるが、まだ設備が新しく、大人でも楽しめるものばかりであった。
16時30分頃、完全に晴れる。閉園の17時まで、あまり余裕はなかったが、芝生広場や花壇でギリギリまで遊ぶ。
帰りは、新見ICで一般道に出て、途中で夕食をとり、180号線から吉備高原都市、空港を通って、レスパール藤ヶ鳴へ。食事の時間を40分ぐらいと考えると、約2時間でレスパールに着いたことになる。どうやら、新見以西の地点との間を往復する場合にも、岡山自動車道は、あまり時間の節約にならないことがわかった。しかも、岡山ICと庄原IC間の料金は3450円もかかるが、新見ICと庄原ICの間だけならば1600円で済む。すでに、津山以東に行く時に岡山自動車道が役に立たないことは実証済みである。いったい、この道路は何のためにあるのだろう。
22:30頃、ようやくアパートに戻る。ふと東の空を眺めたら、満月を少し過ぎた丸い月とともに、夏の大三角形が真正面に見えた。これらの星座の位置は、3月上旬の早朝と、まったく同じであった。あの頃は、慢性的な睡眠不足に陥りながらも、毎朝のように彗星を眺めたものだ。なつかしさを感じるとともに、月日の流れの速さを実感した。
1997年5月24日(金)
左に示したのはヒルザキツキミソウ。大学構内では、種を蒔かなくも勝手に繁殖する園芸種だ。こういう野生化した花を思いつくままにあげてみると、いま一斉に咲き始めたニゲラ、すでに満開のフランスギク(たぶん)、セイヨウノコギリソウ(白花)、ガイラルディア(大天人菊)、オリエンタルポピー、オオキンケイギク、ガザニア、サンジャクバーベナ、ムシトリナデシコ(コマチソウ)、先日名前を教えてもらった“リモニウム・シニュアタ”。もうすぐ咲き始めるルドベキアとハルシャギク、それに夏以降に咲く、マリーゴールドとコスモスなどがある。このうちの1種類でも種を持ち帰って庭に蒔いたとする。よほど管理を徹底しないと、3-4年後には、その花で庭が覆い尽くされるであろう。これらはどういう優劣関係や競合関係にあるのか、あるいは季節によって咲き分けることで共存していくのか? 自然選択(淘汰)のシミュレーションを眺めているようで、たいへん興味深い。
1997年5月22日(木)
双眼鏡で有名なFujinonから、まもなく彗星特集のページが終了するとのメイルをいただいた。WNN-UNIVERSEも、さようならHB彗星という写真や感想文の募集キャンペーンをやっている。いよいよ、来るべき時が来たという感じだ。どちらも、これから新しい企画を検討中ということだが、せっかく集めた読者をどう引き留めていくか、苦慮している模様。
きょうは、研究室の窓の外から、いろいろな野鳥のさえずりが聞こえてきた。これまで2回ほど、野鳥の観察会に参加して鳥の名前を教えてもらったが、自分でもあきれるほと物覚えが悪い。それはそれとして、岡大構内にはずいぶんたくさんの野鳥が来る。いちどコゲラが木をつついているのを見たこともあるぐらいだ。少しでも鳥の名前やさえずりを覚えたら、ずいぶんと楽しみが増えることであろう。
夕刻1920頃、帰宅。この時間は、コウモリが至る場所を旋回していた。東南の空に大きな月。月がこんなに南から出るとは。夏至が近づけば、北半球は太陽のほうに傾く。太陽と正反対にある満月は南のほうに傾く。それだけ夏至が近づいてきた証拠だ。
夕食を食べながら、TVチャンピオンを視る。今日は、“少年漫画アニメ王”選手権だった。私が好きなのは西岸良平の昭和30年代を描いた漫画。TVのアニメであれば、何といっても銀河鉄道999だ。“目をとじて想い出す...”で始まるエンディングのテーマ音楽をはじめ、番組のなかで流れる音楽がとってもよかった。どこか懐かしさが漂うとともに、あれを聞いただけで宇宙を旅しているような気分になる。ストーリーも、単行本の原作より、TVアニメのほうが感動的であった(但し、映画化された作品は、まったく感動できなかった)。
写真は、マツバギク(5月17日、文学部の建物の西側で撮影)。黄色の花はすでに終わり、いまは赤花が見頃。桃色は、これから、かなり長期間咲き続けるはずだ。
1997年5月21日(水)
彗星写真の焼き増し分を受け取り、これまで支払額に応じて累積されていたサービスポイントを精算した。じつは、このK写真屋に通い始めたのは、彗星の写真を取り始めた2月以降のことである。それまでは、大学近くのプリント料無料(24枚現像料700円程度)の店を利用していた。この場合、翌日の11時に仕上がりとなる。彗星写真を撮り始めてからは、とにかく、なるべく早く写り具合を知りたかったので、スピード仕上げが可能なK店に通い詰めたわけである。こちらのほうは現像料は550円だが、プリント料が1枚25円、合計1150円程度の出費となる。その代わり、3時間もあれば仕上がるし(看板には30分仕上げと書いてあるが)、ポケットアルバムをつけてくれるので整理しやすい。また、「これは天体写真です」と注文をつけていたため、ちょうどよい明るさに調整してくれていた。いちど、同じ露光条件で撮影したものを写真屋に頼んだことがあったが、焼き付けの時間をかけすぎて、真昼の空に彗星が飛来しているようなプリントになってしまったことがある。そうい意味で、今回の彗星写真ではK写真屋に、ずいぶんとお世話になった。
しかし、単純に花や人物の写真を撮るだけだったら、少しでも安いほうがよいし、プリントに1日待たされるのも大した問題ではない。K写真屋には申し訳ないが、よほどの急ぎの用事がない限り、とうめんご無沙汰することになりそうだ。
きょうの写真は、ジギタリス。一昨年の秋に、苗屋でポット苗を購入。2苗とも同時に咲き始めた(5月17日撮影)。
1997年5月20日(火)
きのうに引き続いて、昼前から雷雨。途中で突風が吹いたらしく、建物のドアのガラス戸が割れていた。写真は15日に撮影した半田山の写真。雨上がりに霧が立ち上る風景は、どこかの高原に居るような錯覚をもたらす。
夕方は、多少晴れ間があり透明度もよさそうだったが、さすがに彗星見物に行く気にはなれなかった。今度の土日に、おもだった彗星特集サイトを覗いてみようと思っているが、そろそろ、見納め宣言が出されている頃だろう。彗星に熱中した人々がどういう総括をしているか、楽しみだ。
1997年5月19日(月)
昼過ぎまで、強い日射し、真夏のような暑さ。16時過ぎから黒い雲がでてきて、まもなく雷雨。かなり降った。写真は、食虫植物の一種、サラセニア。2年前に購入。一昨年は、室内で冬越しさせたが、この冬は南向きのベランダで、寒風が当たらないように工夫しながら管理。日当たりがよかったせいか、大きな赤い花をつけた。『花屋さんの花』(鈴木昭、主婦の友社)によれば、サラセニアの花はあまり目立たないという。しかし、どっこい。こんなに美しい花を咲かせた。全体の様子を写したピンぼけ写真は、こちら。
1997年5月18日(日)
先々週は森林公園、先週はキャンプと、続けて外出したので、今週ぐらい、ゆっくりと仕事に精を出したいと思っていたが、めずらしく、妻からハイキングに行こうとの提案があり、西粟倉村の若杉原生林まで行って来た。岡山市内からここに至る最短のコースは、山陽町から佐伯町、美作町、作東町、そして宮本武蔵で有名な大原町を通る、北東方向への斜めに向かうルートである。ふつう、2時間もあれば十分であるが、途中に立ち寄った美作のAコープで昼食をとったり、ちょうど開かれていたフリーマーケットの見物をしたりして、結局3時間かかって目的地に着いた。
若杉原生林は、氷ノ山後山那岐山国定公園の一角にあり、一部杉林もあるが、全体としてはブナを主体とした広葉樹林帯でおおわれている。先々週に訪れた岡山県立森林公園に比べるとずっと地味で、有人の管理棟などもない。ふだんは静かな所だが、この日は、どこかの“歩こう会”のお年寄りがバスで訪れていて、けっこう騒がしかった。
妻の提案でここまで来たものの、妻も子供もあまり歩きたがらない。結局、妻子は天然林の中をゆっくりと散策し、私だけ別行動をとって、若杉峠の展望台から中国自然歩道歩き回ってきた。とちゅう、氷ノ山が望める場所もあったが、全体として見晴らしは、あまりよくなかった。杉の倒木があり、その下にまだ雪が残っている所があり、ここで引き返す。
帰りがけに、作東町の“冒険の森”に立ち寄る。2年ほど前にいちど訪れたが、閉園時間ぎりぎりで引き返した所であった。アドベンチャーコースターは、トンネルの中に地底や宇宙空間をイメージした模様が光っていて、なかなか面白い。このほか“鳥のみち”というのも子供たちには人気があった。ただ、日曜日にもかかわらず、入園者は数えるほどであった。これで経営が成り立つのか、という心配もあるが、職員の大部分がお年寄りであることから、おそらく、赤字覚悟で、高齢者対策事業を兼ねているのであろう。
湯郷の鷺温泉に入って、約1時間で家に戻る。
1997年5月17日(土)
19時50分〜20時15分
五月晴れ。午前中は娘の参観日。授業風景を参観するのが普通だが、校内運動会が雨で順延になっていたそうで、リレーと、親子対抗の玉入れをやった。
昼は、家族全員で、国道2号線沿い高島-東岡山間にある“北京”という店へラーメンを食べに行く。土曜日の昼には、よく外食をするが、私は岡山市内では、ここのラーメン屋のスープが一番うまいと思っている。家族では、“マル伴”がいいとか、源八がいいとか、あるいは駐車場がないので1度しか行っていないが、“マル天”がいい、など意見が分かれているところだ。“北京”を気に入っているもう1つの理由は、メニューが450円のラーメンと100円のライスのみであること。これ一筋で店をささえるのは、相当の自信がなければできないことだ。
夕刻、最近では珍しい透明度の高い空になった。さて、天文雑誌によると、ヘールボップ彗星は、5月16日以降は薄明終了時刻以前に沈む、と記されている。これは、簡単に言えば、日没後、完全に真っ暗になる前に沈んでしまう、という意味であり、もはや完全に適期をはずれてしまっている。しかし、こんなによく晴れたのは珍しい、しかも土曜日でもあったので、思い切って、龍王塚古墳まで遠出することにした。例によって、家族に声をかけるが、もはや完全に信用を失っていて、誰1人、同行する者はいなかった。
さて、現地に着いた1935頃には、外はまだ相当に明るかった。そんな中、西北西の方角、地平線スレスレに明るい星があった。あとで調べたが、どうやら金星らしい。そのうち、カペラやベテルギウスが見えてくる。肝心の彗星を双眼鏡で必死に探すが、なかなか見えて来ない。
そのうち、ベテルギウスの右横に、もやもやとした星が肉眼で認められるようになってきた。双眼鏡を覗くと、まちがいない、これが約1週間ぶりに見たHB彗星の姿であった。きょうは透明度がよく、薄雲がないため、10日や11日より遙かに明るく見えた。さっそく、カメラをセットする。しばらく撮影していなかったため、時間を測ったりメモをとるときに使うミニライトを忘れてきてしまった。しかし、皮肉なことに、月齢10.6の月明かりのおかげで、何とか液晶の時刻を読みとることができた。19時54分から20時7分までの間に4枚撮影する。その後、20時15分まで双眼鏡で、冥王星の10倍の彼方に向かう彗星を見送った。
1997年5月16日(金)
昨日に引き続いて、朝、草取りをしたが、今年初めて藪蚊に刺された。屋外で刺されたのは今年初めてだが、じつは、私のアパートでは、冬でも蚊に刺されることがある。藪蚊より大きめの蚊だが、種類はわからない。網戸をつけていてもどこからか侵入してくるし、蚊取り器は家族の中に頭痛を引き起こす者がいるので、何と、昔ながらの蚊帳を吊ってしのいでいる。自然との関わりは大切にしていきたいが、蚊との関わりは、お断りである。
大学構内では、ニゲラの花が次々と開花している。天人菊の仲間も一斉に咲き出した。
夜は、薄曇りで、月にかさがかかっていた。いちおう、西の空を眺めてみたが、星は1つも見えなかった。
1997年5月15日(木)
雨がようやくあがった。8時すぎに、実験室の周りの草取りをする。バケツ2杯の雑草を取ったら、止めることにしているのだが、ずっと手入れをしていなかったので、雑草が至る所に伸びていて、すぐ一杯になった。きょうは、さらに2杯分を追加した。
ボイラー棟の前のザクロの花が開き始めた。ビスカリア、ニゲラ、シャクヤク、キンギョソウ、ゴールドスティック、それにバラの花。バラと言えば、毎年1回は、RSKバラ園に行ったものだが、今年はどうしようか。
1997年5月14日(水)
雨がよく降った。地震のあった薩摩地方の方にはお気の毒だ。午前中は、三学部合同予算委員会。ローテーションが回ってきて今年度の委員長に選ばれた。今年は、三学部の交通安全対策委員長も引き受けている。3月には小学校のPTA会長への立候補も勧められたが、こちらは固辞して逃げ延びた。
大学構内では、雨の中、カンパヌラの仲間(モモバギキョウ)がいつの間にか咲いていた。ジキタリス、セイヨウオダマキも今が見頃だ(昨年、赤や青の苗を1株200円ぐらい出して買ったが、白花の優勢が変わらない)。
1997年5月13日(火)
1日中雨。朝1番に、某短大で非常勤講師。暑くなってきたせいか、渋滞でくたびれたせいか、午後、コンピュータの前で座ったまま居眠りをしてしまった。昔、オーバードクターの頃には、毎週13.5コマ(おおむね20時間)、それに夜は週4回ほど家庭教師をやっていた。いま、同じことをやったら、3日で倒れてしまうだろう。
1997年5月12日(月)
今日もよく晴れた。昼に生協で食事をしていたら、たまたま図書館長のK教授が斜め前に座られた。K教授は、土日の朝に私が大学構内の花壇の草取りなどをしている時に、よく声をかけてくれる。“長谷川さんは、若いのに余裕があっていいですね”などと言われるが、これは、“草取りをしている暇があったら研究しなさい”という皮肉では決してないらしい。もっとも、実際のところ、この春は殆ど草取りをやっていない。夜に彗星を眺めている分、園芸作業をするゆとりがなくなっているのは確かだ。あとで、図書館を前景にした彗星写真を贈呈することにした。
夕刻は空の半分ぐらい晴れて、19時45分頃に、月やベテルギウスなどは見えていたが、彗星の予想位置のあたりは薄雲が一面に覆われていた。“どうやらこれで...”というような考えは持たないことにしたので、明日以降のことは何も言わない。
1997年5月11日(日)
20時00分〜20時5分
ヒバリとウグイス、それにコゲラの木をつつく音で目が覚めた。午前中は、バトミントンやフリスビー、キャッチボールなどをして、滞在型のキャンプ生活を楽しむ。以前に訪れた時には、隣に牧場があったのだが、経営難のためか、閉鎖されているように見受けられた。スタンプラリーで、敷地内を巡回した時に、ギンリョウソウを2株ほど見た。
道の駅「かもがわ円城」や「円城ふるさと村」、「小森温泉」などを経由。特段の渋滞もなく、40分足らずで岡山市内に戻った。
少々遊びすぎたので、夜は大学の研究室へ。結構、晴れていたので、大学の駐車場から双眼鏡で西の空を眺めると、尾を上に伸ばした彗星がぼんやりと見えた。5Fのテラスから、もういちど眺める。今日は、もともと彗星を見ることは予定していなかった。むしろ、昨日までのいきさつで、すでに見納め宣言をしているので、“あれ、また見えてしまった”という印象であった。セレモニーとしての“見納め”は別として、ほんらい“終わり”というのは、しばらく時間がたってから結果的に判定されるものが多いのだ。これからは、もうキザっぽい見納め宣言は止めにしたい。見えた時はそれでもよい。結果的に今日が最後になったら、それでもよし。
1997年5月10日(土)
20時00〜20時16分
午前中は仕事。午後から、オートキャンプに出かけた。家族でキャンプに行くのは、雲仙、大山桝水、岡山県黒木、島根県石見海浜公園、四国カルスト、高知県興津、比婆山県民の森についで、8箇所目(通算10泊目)となる。海の近くがいいとか、若杉原生林(県北東部)がいいという希望があったが、“父性の復権”を発動させて、チロリン村キャンプ場に行くことになった。ここを選んだのは、岡山市内から40分ほどで行かれるという手軽さもあったが、もう1回ぐらい眺められたら、という彗星への未練があったころも確かだ。
このチロリン村は、正式には“KOA岡山中央”という。詳しい由来は知らないが、これは“Kampgroud of America”の略ということらしい。“camp”がなぜ“Kamp”になるのかは、よく知らないが、アメリカのKOAの設置規格を満たしているらしく、管理がしっかりしている。5年ほど前に、日帰りでちょっと立ち寄ったことがあり、見晴らしのよいキャンプ場としてマークしていたところである。
土曜日の夜であったが、サイトはガラ空きだった。北東から西南に至る空がひらけていて、これなら、2月以降、晴れていさえすれば、いつでも最高の条件で彗星が眺められたはずである。夕食を終えてから、薄明の西空を眺める。時折薄雲がかかり、あまりよい条件ではなかったが、三日月がかなり明るく見えていた。ぎょしゃ座の五角形は、カペラ以外はかろうじて見える程度であった。
薄明が終わりに近づいてきたが、彗星は、その位置さえ確認できない。そこで、双眼鏡で覗きながら、ぎょしゃ座のイオタ(ι)星を頼りに、彗星のありそうな場所を探索する。しばらく、左右・上下に走査しているうちに、やっと、尾をあげた見慣れた彗星の姿を眺めることができた。さっそく家族を呼ぶ。双眼鏡は固定していないので、彗星が近くの木の真上に見える位置まで移動してから、順番に覗かせた。妻は、だいぶ苦労したあげく、やっと姿をとらえることができた。娘は、双眼鏡を手にして数秒覗いたあと、“うん、見えた”といって、息子に渡す。こんなに早く見えるとも思えないが、いちおうこの言語的報告を信用しておこう。息子の番になった頃には、ちょっと薄雲がかかったようで、何度覗いても見えない様子だった。私も代わって再度探してみたが、やはり見えなかった。しばらく待って、再度晴れ間が出たところで、息子に双眼鏡を渡す。こんどは、“やったあ。見えた!”と言って喜んだ。それからしばらく眺めていたが、20時16分頃、真っ暗な視野のなかに幾分暗さが少ないモヤモヤが見える程度になってしまい、判別がつかなくなった。
1997年5月9日(金)
19時45分〜20時10分
メイストームが去り、久しぶりによく晴れ上がった。19時10分頃に家を出て、岡山空港北西側の龍王塚古墳に向かう。子どもたちも誘ってみたが、これまで、何度も“これが最後だぞ”を連発してきたために、狼少年の話どおり、全く信じてもらえず、家で留守番。妻は、最初は迷っていたが、今日こそは夫の言葉を信じたのか、“最後ぐらいは夫婦で見るものだ”という言葉のせいか、あるいは“今日来ないと一生後悔するぞ”と脅したせいか、結局、一緒に来てくれることになった。
到着した1930過ぎには、月齢2.6の月が、まだかなり高いところにあった。地球照が美しい。月との離角が5度まで接近しているおかげで、双眼鏡をつかってたやすく彗星の位置を確認することができた。
じきに、肉眼でも見えてくる。しかし、こんなに光度が衰えたとは思わなかった。5月1日には、あんなに明るく見えていたのに、まったく信じられない。薄明のせいかと思ったが、空が暗くなってもちっとも目立ってこない。肉眼では、ボーッとした光のかたまりに見える程度。視力が1未満の妻は、肉眼では結局見えなかったという。おそらく、彗星自体の光度の減少よりも、高度が下がったことによる大気の影響が大きく出ているのではないかと思う。
双眼鏡を覗いたとき意外に思ったのは、テイルの向きが、少なくとも付け根部分は左斜め上に伸びているように見えていたことだ。天文誌には真上もしくは右斜め上に伸びるように描かれている。但し、テイルの先のほうの暗い部分は、ぎょしゃ座方向に伸びていた。
写真を数枚撮るが、あまりにも弱々しい。固定撮影では、かろうじて写っている程度だろう。もはや、人間を入れた記念写真とか、何かを前景に入れた写真は難しいものと思う。
10日の夜も晴れるという予報だが、オートキャンプに行く予定があるので、この場所には、もう来ない。11日までは晴天は続かないだろう。今日で、少なくとも岡山市内で彗星を見ること間違いなく最後になる。すっきりと晴れ上がった空で最後の機会を得たことで、納得できる見納めになったと思う。
最後の写真
帰りがけに、リサーチパーク・芳賀地区に立ち寄った。ここは、3月に、朝夕、よく通いつめた場所であり、彗星見物の観察地としては特に思い出の多い場所である。この場所を変更せざるをえなかったのは、4月以降、西空遠方の稜線に、満月並の水銀灯がたくさん灯るようになったからである。この日も、まさに彗星や三日月の見える方向の真下に、10基以上の水銀灯が輝いていた。よく見ると、中心のあたりに大きな建物がある。あれは一体、何の施設なのだろうか。身勝手は恨みをいだくつもりはないが、周辺地域の子供たちが自分の家の庭先から星空を見る権利を奪っていることは確かだ。誰が何のためにああいう照明を始めたのか、いちど確かめたいものである。
子どもたちへのおみやげのケーキを買ってアパートに戻る。階段から北西の空を見ると、細い月が、ちょうど半田山の稜線付近の木の間に、UFOが着陸したかのように光っていた。20時41分であった。
1997年5月8日(木)
メイストームが来るというの警戒していたが、雨も風も大したことはなかった。昼過ぎに寒冷前線が通過したあと急激に気温が下がる。20時から20時20分前後に、何度か外を眺めたが、西北西方向に晴れ間は見えていたものの彗星の位置は確認できなかった。
さて、これからのことだが、私が初めて夕空にこの彗星を見たのは3月11日のことであった。この時の薄明終了時の高度は2.5度となっている。これとほぼ同じ条件まで高度が下がるのは5月12日か13日頃となる。しかし、3月11日の修正光度が0.4等であるのに対して、この時期の光度は1.6等まで下がっている。天気予報も考慮した上で、ここから推定すると、明日9日(金)から11日(日)までが、いよいよ見納めと考えてよさそうだ。
昼過ぎに、WNN-UNIVERSEの担当係の方から、Eメイルが届いていた。HB彗星の写真を募集しているとのことだ。私も、素人写真を数枚、添付ファイルで送ろうかと思う。何がよいかな? 彗星だけの拡大写真は、専門家にはかなわないので、もっぱら、何かを前景に取り入れたものを送ろうかと思う。岡大時計台、桜、桃、吉備路五重塔ぐらいが妥当なところだろうか。感想文も募集しているという。もっとも、この日記でも露呈しているように、私は、物事にあまり感激せず、感情を言語的に表現することを最大の苦手とする人間だ。感想文のほうは、この日記を読まれた日記猿人の同好の方にお任せすることにしたい。
ロスの永菅さんからの報告です(時刻は現地時間)。
こんばんは。お変りありませんか?
日本はストームで雨だったんですね。
ロスは,今日とっても暑く,車を,2時間病院の駐車場に止めていたら,106度(41度 C )になっていました。外気は,94度(34度C)でした。
ロスはもう,真夏です。
20:15 よりHーB 観測しました。でも,空が明るくなかなか発見できなかった。でも,Capella が見えているので,探していたら,25分頃,突然発見。まったくの突然で,いつも驚かされます。
でも,核も弱いし尾も太いけど見えにくい。北斗七星のほうが,はっきり見えます。”随分,遠くなったなあ〜 ”よ,改めて感じます。
今日は,三日月も明るく,もうすこし大きくなったら,きっと H-Bは見えなくなるでしょうね。3月なかばからの友達だった,(いや,恋人かも,毎日会っていたんだから。)おに,寂しくなります。
しかし,発見!!
三日月でも,双眼鏡で見ると,地球の陰がうつり,ちゃんと灰色の円が見えるんですね。今まで,月を見ていても,地球の陰の円まで見たことなかったので,驚き,感激でした。
H-B が帰ったら,時々夜空を眺めようと決めました。
21:00に風がでてきて,寒くなってきたので,観測stop しました。
1997年5月7日(水)
昨日に引き続いて暑かった。最高気温は29度どまりだったようだが、湿度が高い分だけ、昨日より蒸し暑く感じられた。
明日は、メイ・ストームになるというので、雨で濡れるとダメになりそうな花を切って花瓶にさした。フランスギク、アルメリア(高性)、キンギョソウ、セイヨウノコギリソウ、ビジョザクラ、ナデシコ類、ギリア、星咲フロックスなど。
そのほか、ガザニア、アリッサム、シュッコンアマ、アヤメ、ラベンダー、ディモルフォセカ、キンセンカ、ブルーデージーは今が満開、セイヨウオダマキ、ジキタリス、ヤグルマギグ、マツバギク、ハナビシソウ、ヒルザキツキミソウ、宿根バーベナ、天人菊、赤花除虫菊、ペチュニアなどが咲き始め。そろそろ終わりかけが、ネモフィラとアネモネ、ワスレナグサなど。チューリップとラナンキュラスは先週で完全に花が散った。(実は、花名がわからないものが数種類ある。写真ができたら、このページでお尋ねしたいと思っておりますので、ぜひご協力をお願いします。)
1997年5月6日(火)
19時45分〜20時20分
じっとしていても汗がにじみ出るほどの暑さだった(あとで調べたら、岡山の最高気温は30.5度)。月明かりがなく、すっきり晴れ上がった空で彗星が見られるのも今日が最後かと思い、夕食を早めに済ませて、岡山空港裏山北斜面の道路に向かう。途中、運転中にも彗星を眺めることができたが、運悪く、その真下に不吉な雲が迫っていた。20分ほどかかって、現地に着いたころには、もはや薄雲の中。双眼鏡で、かろうじて尾があることを確認できる程度だった。これでは写真撮影は無理、と判断し、しばらく双眼鏡で眺めていると、後ろから大型のワンボックス車が横付けし、“津山へ行く道はここでよいか”と聞く。津山は正反対の方向だったので、国道53号に向かう道順を説明する。車が去って、再び彗星の方向を眺めると、すでに厚い雲に覆われていた。とりあえず三脚にカメラをセットして、雲が切れるのを待つ。たまに車が通り過ぎたが、私の奇妙な格好をネズミ取りか何かと間違えたかもしれない。その後、何度か、薄雲の中に、ぼんやりと姿を見せていたが、写真が撮れるほどに、すっきりと晴れることはなかった。
高度から言っても、月明かりの影響から言っても、あとチャンスは1回ぐらいだろう。いや、ひょっとしたらこれが最後かもしれない。見納めの彗星見物とは難しいものだ。見ること自体も難しくなるが、それよりも、気持ちの切り替えの方が問題だ。大げさに言えば、自分に死期を迎える時にも、同じように、どこかで気持ちの切り替えが必要なのだろう。それがないと、中途半端なままに終わってしまいそうな気がする。
1997年5月5日(月)
きょうも、あまりパッとしない天気だった。昨日に続いて夏日となり、長袖では暑い。午前中は研究室。午後も研究室。1530頃、家族が自転車でやってきたので、空き地で野球をしたり、草花を摘んだりして、連休最後のひとときを過ごす。
夜も、パッとしない空。晴れていてモヤが出ているのか、曇っているのかさえ見分けがつかないほどで、星ひとつ見えず。
1997年5月4日(日)
1997年5月3日(土)
連休の後半が始まった。とはいえ、第2・第4土曜の学休日や振替休日制度が定着した現在では、3連休というのはそれほど珍しいことではない。じっさい、カレンダーを見たら、9月13-15日、10月10-12日、11月22-24日と、秋に3ヶ月連続で3連休があることがわかった。
3年前の連休は、島根県の浜田市近くのキャンプ場と三瓶山、2年前には四国カルストと高知県興津にいずれもキャンプに出かけたが、昨年来、日程や天気の関係もあって、連休はもっぱら、日帰りのハイキング程度の行楽にとどまっている。
この日は、朝から曇時々雨で天気が悪く、午前中は研究室で仕事、午後は、家族で、古本市場、園芸品店、ホームセンター、生協などへの買い出しに出かけた。園芸品店(岡山西警察北側)では、ポット苗を1ケース480円で売っていて、ゴデチュアとペチュニアがそれぞれたくさん入っているケースを2つ買ってきた。あとで数えたら、全部で70ポットもあった。これで計960円はお買い得である。10ポットほどは、アパートの階段入り口付近に植え、残りは、大学構内の空き地に植えることにした。
夜、何度か、外を見るが、この日も彗星は見えなかった。
【写真左】シュッコンアマ(宿根亜麻)
いま大学構内のあちこちで咲いている。もともとは、タキイ種苗の混合種セット“ブルーガーデン”に含まれていたものであったが、種を保存して、実験室横のの空き地に植えてみたものである(撮影は4月29日)。
【写真右】その拡大写真(撮影は4月27日)。
ロスの永菅さんからの久しぶりの報告です(時刻は現地時間)。
ここ,ロスは 春を飛び超えて,もう夏です。
空は,毎日快晴で彗星観測も,楽です。でも,日中は暑く86度Fあります。雨期も過ぎ,乾燥した毎日が,つずきます。
今日,5/3。20:30より1時間H-B 彗星の観察しました。
随分遠くなりましたね。観測できる時間も短くなったように,思います。
彗星の完全倒立,本当に柄でもつければ,ほうきですね。
核も小さくなりましたね。
尾も,太くなりましたが,イオンテールは,見えなくなりました。
今月一杯は,まだ見れるのでしょうね。
もうやめよ,もう,今日で観測やめようと,思うのですが,
夕食のあと,やっぱり双眼鏡もって,テラスに出て行ってしまいます。いますこし,観測を楽しむつもりです。
1997年5月2日(金)
晴れたり曇ったり。昼休みに、大学構内を東西に流れる座主川(ざすがわ)沿いのツツジを見る。今が満開。
この川の北隣には、小さい用水路があり、田植え後には水が流れる。例年、いろいろな淡水魚のほか、スジエビが棲みつく。
夜は、曇りなのか快晴なのか、わからないようなモヤモヤした空になり、天頂部の数個の星を除き、まったく見ることができなかった。
夜、DPEにまわしてあった4月下旬の写真数枚を、4月の彗星日記に追加した。
1997年5月1日(木)
19時45分〜20時30分
朝方は薄雲が広がっていたが、じきに晴れ、ずっと快晴が続いた。いつものとおり、岡山空港北西側の龍王塚古墳前の空き地に行く。今日は透明度がよく、ダストテイルがくっきりと見える。全体の明るさは、まだカペラには負けていなかった。
10分ほど眺めてから、別の観察地を探してみる。吉備高原に向かう道路の途中、南の方に曲がる道路があったので少し登ってみるが、これは、山上最終処分場に行く道であることがわかった。モタモタしていると彗星が沈んでしまうので、この道からさらに細い道を入り、民家が2軒ほど並んだ小高い丘で、2枚ほど写真を撮る。民家は真っ暗だったが、50すぎのおじさんが、私の車が来たので何事とおもったのか、家の中からステテコ姿で出てきた。それで、彗星を見に来たことを知らせ、双眼鏡で覗いてもらった。しばらく、彗星談義をして、その場を去る。
5月1日20時11分。岡山空港裏側。山上最終処分場近くの路上にて。50mm。28秒。
帰りがけに、もういちど龍王塚古墳の空き地に行ってみる。彗星は、まだ稜線より上にあったが、弱々しく、目を凝らしてやっと見える程度だった。どうやら、観察に適した時間帯は、19時50分から20時20分ぐらいまでの30分に絞られてきたようだ。